正福寺(住職改め)長老のひとこと

正福寺住職が毎月テーマを決めて「ひとこと」申し上げます。
ホームページの更新情報も不定期に載せていきます。

8月のひとこと(平成20年)

2008年08月01日 | Weblog
梅雨もあけ、いよいよ夏本番。

“暑いですね”が挨拶がわり。

暑い時は、暑いが一番などというものの、やはり、少しでも涼しいところを求めるのは、これまた、動物の本能なのでしょう。

さて、この暑い夏、8月13日より全国で、お盆に入ります。

お盆には、ご先祖の精霊(みたま)が里帰り。

生きぼとけたちも里帰り。

どんな“再会”が繰り広げられるのでしょうか。





私の父と母で2人。父と母の両親で4人。そのまた両親で8人。

20代さかのぼると、なんと私ひとりの血の中には、
100万人以上のご先祖の血が流れていることになるそうです。

おそらく、50代さかのぼると、その数は天文学的な数字になるのではないでしょうか。

虎は死して、皮革を残す。人は死して何を残す、などといわれます。

私は死して、私の血を子孫に順番に伝えていくのですね。

何とも不思議な生命の営みではありませんか。






釈尊の国、印度では、長い時間の単位を、「劫」(こう)と言い表しました。

一辺が、約7kmの立方体のような岩に、百年に一度、天女が舞い降り、その衣の裾が岩に触れ、、岩がすりへります。このようにして、岩が完全になくなるまでの時間を、「一劫」(いちごう)と言い表しました。

何とも気の遠くなるような話ではありませんか。

なぜ、印度人は、こんな長い時間の単位を考え出したのでしょうか。

地球上の生きとし生けるものの、一切の生命の営みの不思議さ、そしてこの生命の営みは、決して、途中で途切れさせてはいけない、ということを、直観的に、感じとっていたからではないでしょうか。

逆に、印度では、短い時間の単位を、「刹那」(せつな)と言い表しました。

1日24時間は、648万セツナに相当するというのです。

そうすると、1セツナは、0.013秒にあたるのです。

現代の先端の科学技術で、この単位を測定できるのかどうか、私には分かりませんが、印度人の物の見方、考え方には、多くの示唆を与えられます。

過去も未来もいらない、という“刹那主義”は困りものですが。

刹那の積み重ねが、私たちの人生、一日一日。

大切に生きていこうではありませんか。


合掌

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする