梅雨もあけ、いよいよ夏本番。
“暑いですね”が挨拶がわり。
暑い時は、暑いが一番などというものの、やはり、少しでも涼しいところを求めるのは、これまた、動物の本能なのでしょう。
さて、この暑い夏、8月13日より全国で、お盆に入ります。
お盆には、ご先祖の精霊(みたま)が里帰り。
生きぼとけたちも里帰り。
どんな“再会”が繰り広げられるのでしょうか。
私の父と母で2人。父と母の両親で4人。そのまた両親で8人。
20代さかのぼると、なんと私ひとりの血の中には、
100万人以上のご先祖の血が流れていることになるそうです。
おそらく、50代さかのぼると、その数は天文学的な数字になるのではないでしょうか。
虎は死して、皮革を残す。人は死して何を残す、などといわれます。
私は死して、私の血を子孫に順番に伝えていくのですね。
何とも不思議な生命の営みではありませんか。
釈尊の国、印度では、長い時間の単位を、「劫」(こう)と言い表しました。
一辺が、約7kmの立方体のような岩に、百年に一度、天女が舞い降り、その衣の裾が岩に触れ、、岩がすりへります。このようにして、岩が完全になくなるまでの時間を、「一劫」(いちごう)と言い表しました。
何とも気の遠くなるような話ではありませんか。
なぜ、印度人は、こんな長い時間の単位を考え出したのでしょうか。
地球上の生きとし生けるものの、一切の生命の営みの不思議さ、そしてこの生命の営みは、決して、途中で途切れさせてはいけない、ということを、直観的に、感じとっていたからではないでしょうか。
逆に、印度では、短い時間の単位を、「刹那」(せつな)と言い表しました。
1日24時間は、648万セツナに相当するというのです。
そうすると、1セツナは、0.013秒にあたるのです。
現代の先端の科学技術で、この単位を測定できるのかどうか、私には分かりませんが、印度人の物の見方、考え方には、多くの示唆を与えられます。
過去も未来もいらない、という“刹那主義”は困りものですが。
刹那の積み重ねが、私たちの人生、一日一日。
大切に生きていこうではありませんか。
合掌
“暑いですね”が挨拶がわり。
暑い時は、暑いが一番などというものの、やはり、少しでも涼しいところを求めるのは、これまた、動物の本能なのでしょう。
さて、この暑い夏、8月13日より全国で、お盆に入ります。
お盆には、ご先祖の精霊(みたま)が里帰り。
生きぼとけたちも里帰り。
どんな“再会”が繰り広げられるのでしょうか。
私の父と母で2人。父と母の両親で4人。そのまた両親で8人。
20代さかのぼると、なんと私ひとりの血の中には、
100万人以上のご先祖の血が流れていることになるそうです。
おそらく、50代さかのぼると、その数は天文学的な数字になるのではないでしょうか。
虎は死して、皮革を残す。人は死して何を残す、などといわれます。
私は死して、私の血を子孫に順番に伝えていくのですね。
何とも不思議な生命の営みではありませんか。
釈尊の国、印度では、長い時間の単位を、「劫」(こう)と言い表しました。
一辺が、約7kmの立方体のような岩に、百年に一度、天女が舞い降り、その衣の裾が岩に触れ、、岩がすりへります。このようにして、岩が完全になくなるまでの時間を、「一劫」(いちごう)と言い表しました。
何とも気の遠くなるような話ではありませんか。
なぜ、印度人は、こんな長い時間の単位を考え出したのでしょうか。
地球上の生きとし生けるものの、一切の生命の営みの不思議さ、そしてこの生命の営みは、決して、途中で途切れさせてはいけない、ということを、直観的に、感じとっていたからではないでしょうか。
逆に、印度では、短い時間の単位を、「刹那」(せつな)と言い表しました。
1日24時間は、648万セツナに相当するというのです。
そうすると、1セツナは、0.013秒にあたるのです。
現代の先端の科学技術で、この単位を測定できるのかどうか、私には分かりませんが、印度人の物の見方、考え方には、多くの示唆を与えられます。
過去も未来もいらない、という“刹那主義”は困りものですが。
刹那の積み重ねが、私たちの人生、一日一日。
大切に生きていこうではありませんか。
合掌