(1987年以降1992年まで『短歌人』・1990年以降1993年まで『未来』より)
夢を見るうつらうつらのうたたねに信濃追分あたりを歩く
今日もまた優しい嘘をついている富士の笠雲雨呼んでいる
半年もほったらかされた天皇の異常のデータ朝刊に読む
禅林寺へ行ってみました三鷹で降りて 昨日どこへも行くところなく
森茉莉も納骨されるはずだという森家の墓地の花枯れている
花と酒、それも津軽の酒がある 太宰治は幸福な死者
この町の七十軒の古時計ネジマキ屋さんにまかされている
脚立持ち修理具入れた鞄持ちネジ巻き歩く古時計の町
崖にある足跡一つ晴れた日に海を見ていた恐竜X
鉛筆の芯折れている音がするどこかの沼で魚が跳ねる
犯罪を犯したいほど雲一つ草木一つも動かぬ真昼
街路樹の赤い風船ひきちぎり春一番の南風吹く
私を支配しようとする人を紙飛行機に乗せて飛ばそう
すねかじりすねをかじってかじりきりその一本を捨ててきている
ひとり出かける日の駅前に浩平の好きなボンネットバス
前の家の庭の木を切り草を抜き蜜柑をひろいどくだみを摘み
一枚の葉は見つかりましたかと陛下と小倉遊亀さんの会話
税務署と市役所と法務局行ったり来たりで日が暮れている
日常がただ日常で過ぎてゆく等身大の鏡の中で
生きているとどんどん汚れていきますね表面積が大きくなって
人は死に土塊になり灰になり空の雲より淡いものとなる
太陽は天の赤道通過中眠気とだるさとたたかいながら
一年はわずかな時間の経過だとスザンヌ・ヴェガの歌聴きながら
四十代の女はみんな元気だという話聞いているうち疲れてしまう
鴎外忌初めて暑い夏の日のその日の墓地に風もない日の
絶版の「父の帽子」の中にいる父鴎外と森家の人々
森鴎外、太宰治と森茉莉と静かに眠れ梅雨まだ明けず
一葉の父のふるさと塩山のすもも花咲く二本木の道
二本木行きバス終点のバス停の馬小屋の馬、留守番の馬
何をしているかわからぬ家があり馬一頭が繋がれている
あの窓の一つの窓に住んでいる 歩道橋を斜めに歩く
一冊の本落ちている石の上、蟻が見ている旧約聖書
旅立ちの支度をしているいつの日か来る私の旅立ちの日の
こうもりが薄暮の空を飛んでいるまだ帰らない子供を待って
夕空に一つ星あり三日月あり近づき消える飛行機もあり
美しいというものはあるどこにでも小さな家の軒に降る雨
お魚が雨傘さして歩いてる「エッフェル塔とロバ」の風景
追憶のロシアが見えるフランスの海に河岸に空の向こうに
こんな夜更けにまた火事らしい 窓に映っている灯と私
八幡の大杉樹齢数百年「皮一枚のぼくの人生」
嬉々として弾けるように跳んでゆくはるばると来て海を見た子が
満ち潮に靴さらわれて流されて網で掬っている小学生
左舷には純漁村風、右舷には地中海風風景がある
なせばなるやればできると思ったこと一度もなかった死に極道され
丸坊主になってしまったベンジャミン何が悪かったのかなあって考えている
葉も枯れ土も減ってしまった幸福の木ますます過分数になっていくね
千代田区一番町の夕闇に病む人あるらし水鳥も病む
雨がまたざんざん降って夜になる 九月東京、雨の東京
東京の空から太陽消えている 医師団は血を入れ替えている
土曜日の約束をして別々の道を帰って日常である
こんな午后もしあったなら鴨川の石になってもよいほたる草
されどされどさびしさびしと言う人よ雨の降る日の優しさごっこ
昨日から熱あるようなないようなぼんやり過ごす雨の休日
貴腐ぶどう熟れる夕陽の落ちる町あずさ九号通過する町
少し汚れ少し壊れて美しい騎馬民族の王の水差し
あの頃の夢がどこかへ消えたと言うどんな現実に捩じ伏せられて
落ち着いて玉葱切っている時間 涙は何のせいでもなくて
母が死んだ ただそれだけのことなのに親族一族すべてが視える
栗の実を拾ったことも今ではもう遠い昔の夢のようです
何もかもお終いだって知っていて何も知らないふりをしている
ふるさとの海へ行こうと話してる春休みには大橋渡り
ざる一杯バケツ一杯の海老やシャコおやつに食べていた漁師町
浩平と二人で渡る瀬戸大橋海老の匂いのする町に来る
ホラーでない異次元世界見たいから超高層の夕陽見ている
広島のことはやむをえなかったと語りし天皇眠る天皇
戦争の死者たちがもういいと言うあかげらの歌が寂しいゆえに
明日ゆく日出ずる国の天子ゆく空襲の日の空に似た夕焼け
血塗られた昭和の果てに血を替えて天皇はゆく何も告げずに
冬ざれの史蹟公園散歩する缶コーヒーを片手にもって
千曲川上流育ちクレソンを佐久の馬刺の大皿に盛る
転がされ棄てられている一塊の土のようなる影のようなる
細長い廊下の向こうに海があり座敷の向こうに海光る家
この生のさなかに訣れし人あれば春立つ頃の月を忘れず
半分は冗談だった薄情さ私の本質だっただなんて
しばらくはこんな調子で流されて流れるままに流されてみて
なまじっか愉しい日々があったから後の月日がさびしいのです
夜行性みみずく一羽起きてきて日々の軽さに爪たてている
物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代
畑にも庭にも雨が降っている蓮池に咲く花にも降るよ
冬眠のがまとこの頃の私とどちらが先に目を醒ますのだろう
鹿苑寺「白蛇の塚」の子孫かも赤と黒との小さな小蛇
通夜の客若い日の名で呼びあって遥か昔の物語する
見知らない記憶すらない一生に支配されゆく一生もある
来たる闇行く世の闇の何処より光はありてわがいのち在る
生きている私に砂をかけている耳をすませば弔いの鐘
夜明けから降りだした雨昨日まであなたの庭に降っていた雨
一日中雨が降ってる一日中雨を聞いてる蛙……私
祈りにも似た暮しなどに憧れるこの春ゆえの軽い変調
どこまでも空っぽだってことのほかその錯乱の理由を知らず
メッセージはもうどこからも届かない何の憂いもないはずの日々
光れ風 野分よ奔れ残生と呼ぶに短き時生きるため
人の世の栄枯盛衰見てきたる烏梢にとまる夕暮
平家谷、落人、桃源郷、杏花咲く村に来ている
父と子と古い公図を開いている古屋敷二町歩八幡平五町歩
犬目行きバスに揺られて四十分 君恋温泉今日は訪ねる
本陣の道を歩けば土埃 四方津へ降りる最終のバス
二重の生、二重の私を生きている梅雨入りの日の空々漠々
家を売り家を購いまた家を売りそうして心はざらざらになる
核融合試験官でもできるらし詩のようなもの創っているらし
人恋うて人恋いやまぬ夕暮よ蛍の沢と呼びし深沢
「夢だけに生きれば終り」腹が減ったか?と訊いてるレノン
「憎しみは愛だけが消す」ジャワルナデ大統領の手の鳩が飛ぶ
もう死んだ気になっているのか夏の蝶 幾何学模様の中に眠って
突然に視界展けて富士がある木のトンネルを抜けて行ったら
縁側に出て村を見る富士を見る南アルプス邑の朝焼け
道端の小石を蹴って歩いている彼岸花咲く寺までの道
富士よりも高く住むような村に来て無住の寺で聴く蝉しぐれ
もっと引けもっとサラッと歌えという艶歌の竜のひばりへの注文
私は暗いところで暮していた名だけ明かるい学園通り
閑雅なるよきものなんてこの世には存在しないものかもしれない
棄ててきた何かを思い出すように晴れた空から雨降ってくる
優しくも強くも生きてゆけないしオブローモフにもなれないけれど
失ったものの記憶は新しく脱け殻はみな標本になる
遠く住む友の葉書を読んでいるその街はもう雪が降ってる
思い軽く生きているよと告げている花と木のことだけ書いてある
何よりもその見通しの明るさは人がお金を出しても買うもの
身に即しあまりに近く身に即し息苦しくてならぬ石仏
まるでもう今日の不条理のように暗い舞台を見せられている
俳優の松田優作死んだ日に滝沢修のゴッホ観ている
蝋燭のほかには何もない舞台、青い炎になった老優
エピローグ、宇野重吉のナレーション死者に感動させられている
利休の死、死の死があって残るもの、流派という名の形骸ばかり
サイレント・マジョリティなどと呼ばれいつも何かに括られている
西多摩のなんじゃもんじゃの旧家には「富貴安楽」の額掛けてあり
街中の五重の塔をとり囲む墓一千基陣形に似る
火だるまになって死ぬのも非業なら延命治療という非業死もある
「萩の寺」その名おぼえて来てみれば墓地分譲は今盛りなり
奥多摩の渓谷二千年前の海パレオパラドキシアの伝説
生まれ落ちたる時の他にはドラマなく垣間見るだけの私の人生
「そしてまた雨ふる今夜私の両手は緑いろ」とソーサの歌う
焼き芋を売る声なども聞こえくる冬至の夜の駅裏通り
地下街にホーキを持った魔女がいる雪も降らない降誕祭前夜
魔女はもう空を飛べない世を忍ぶ仮の姿に地を這うばかり
★ここより『未来』提出作品含む★
雪ちらちら春の岬に降ってきてスティル・ライフはもう終わるのです
カムチヤツカ半島の先の点々に住んで原子炉の火も燃やしている
立葵、義手にて描ける人もいてただ思い出のためだと言って
北陸は能登能美郡根上町春の煙の立つ昼下がり
ひかえめに静かに生きてみたくなる酸晴雨降る白い一日
今は最期、とぎれとぎれのつぶやきのそのつぶやきのように降る雪
切れ切れに想い出したりして雪に 終幕近いシーンの音楽
昔見た夢のつづきをみるような「戦争と平和」の国の映像
夢ロシア雪のロシアのサモワール世が世ならという祖母の口癖
ここにいる私はいったい誰だろう春のうららの墨田川かな
墨田川ベイエリアまで川下り未来が少し見えてくるまで
もう誰の心も残っていないから風の別れのような青空
虹立つは昨日一人の魂が空へ急いで帰った軌跡
誰もいない午前の日差し浴びている昔の恋のような冬の陽
簡単な引っ越しが済んでマイケルと呼ばれた猫の飼い主も去る
生きていることさえ無駄の一つかも三月十日春雷を聞く
脳細胞の数ほどの渦巻銀河系宇宙、ピケットフェンスを幾つ超えても
ブラインド越しに見ている街の空、赤い屋根から濡れはじめている
いつからか既にオールド・ゼネレーション ミック・ジャガーの皺深き顔
南から吹いてくる風もう春が扉を叩いているのだろうか
ゆっくりと見えない破滅に向かっている何にもない日の春の夕暮
酸性雨降る雨の夜は鎧戸をおろして昔話をしよう
温室になった地球で生きている半分死んで病んで狂って
人が死にそしてそれから何もない 窓ガラスには雨の雫が
離れ猿次郎は親を知らざれば自分を猿と思わざりしよ
それぞれの運尽きるまで凩天にそよげよ風が流れる
人生と共に息しているような気がしないんだこの頃私
ぬかるみを歩いた人の足あとがぬかるみの中残されている
吸いこまれそうな魔の淵 透明な水に透明な魚が泳ぐ
月曜日の鬱のことなど書いてある「あなたも病気」という本を読む
朝は昼に昼は夕べに夕べは朝に何の不思議もないのだけれど
人類の子供二人を育てている春爛漫の空の真下で
少しだけ暗いところが好きだった陽あたる丘に住んでいたから
音のない雨を見ている音のない風を見ている一年の後
向かいあい一人は絵地図一人は歌のようなものなど書いている午後
煙突の見える場所から描いている五歳の地図の空の拡がり
星空の下のテントで眠っている消息絶った重信房子
隠れ家に日常があり石鹸の匂いしている幼児がいる
地下鉄の地下に水湧き流れる音淋しい人が背中押される
思う程死ぬのは簡単じゃないと呼吸不全に陥りながら
病院の地下には霊安室があり待機している葬儀屋もいる
究極のなれの果てなる同窓会初夏の銀座の三笠会館
一九九〇年の街角でグレタ・ガルボの死を聞くばかり
若い日は誰にもあったはずなのにシーラカンスのように眠って
私のためというなら何のため私は生きているのだろうか
日曜日の教会の裏は荒井呉服店 春の燕が通り抜けする
体制は黄昏の色、世紀末漂流民は流氷に乗り
黙示録開いてみたくなるような額の象徴もつゴルバチョフ
魂の蛍明滅しただろうあなたが病んでいた夏の日々
白い手のさよならだった細くなり小さくなって優しくなって
長い夢みているような気がします醒めない夢をみているような
エルドラド幻の郷エルドラド金の釣針のむ魚たち
蛙、蛇、鰐棲む河の流域に栄えて滅ぶ エルドラドという
地球儀の文字書き換えるミャンマーと、昔「ビルマの竪琴」を観た
教科書も地図もすっかり役立たない世界史に風、新しい風
NHK「七色村」のマリエさんプラハの春は再びめぐり
さよならがどうもになって終ること長い時間が流れていたこと
東洋の小男一人立っていてマチスの聖母子眺めているよ
ドミニコ会ロザリオ礼拝堂の壁、線で描かれたマリアとキリスト
美しいものは戦国乱世の落城の日の天守の自害
国分寺の家に行ったら咲いているえごの花びらもう泥だらけ
雨降れば傘さしてみる萼あじさい去年と同じ色に咲いてる
降る雨のように触れられないならばいっそ何にも無いほうがいい
気がつけば横になりたくなっている雨の日は雨の音聴きながら
何一つ残さず消えてゆくのがいい感動だけがすべてだったと
講習会「ゴキブリ団子のつくり方」、PTAの総会にいる
学校は金太郎飴本舗ゆえ熟練工のような教師もいる
規律説き正義押し売る人もいて胡桃を潰すように個を潰す
まだ見えない雨を感じているような雨の匂いのする日曜日
世界はもう遠くへ行ってしまったと微熱ある日の夕べの風が
異型の子みごもる地球いつしかにチェルノブイリに雨は降りつつ
家庭という殻が重たくなっている葉裏にひそむわがかたつむり
鬱々と鬱を重ねてゆくばかり生気失せゆく今日鴎外忌
難破した船から救い出すように絶版の書の数冊を購う
言葉とは冬の桜と詩人が言う風たちの歌聴いて育てば
「火薬庫」で火薬爆発、容赦なく苛酷に生きよと中東の風
新安値つけている日の市場ゆえ避暑地の猫のように眠ろう
そしてまた黄昏刻の映画館 「秋津温泉」「雪国」の恋
完結が死であるならばこの旅は滅びの歌がよく似合うはず
日本へこの子を連れていって下さいとチェルノブイリの若い母親
誰が死んでも空は照り風は真夏の街馳け抜ける
夕焼けが窓染めている安っぽい映画みたいだけれど綺麗だ
午前五時「桑の都」の蒸気立ち「中村豆腐」の硝子戸が開く
俊ちゃんと夏中行った香炉園、海水浴場だった昔に
私の生まれた頃の魚崎の海もきれいに澄んでいたはず
流木で沸かした産湯に入ったわけで漂いながら生きてるわけで
去年まで母が元気でいた家が八月の雨と草木の中に立っている
わけもなく今日は心が軽くなり九月初めの雨に濡れている
空はもう秋の空だと雲が言う日本海には高気圧がある
一顧だにかえりみられないもののため 石を積んだり崩してみたり
そしてもう春は最後の春になり秋は最後の秋になるかのかも
汗ばんで眠っていたのは睡蓮の葉かげに眠るおやゆび姫
万人に見放されている気がしているたった一人の人を失い
負へ負へと退却していた私の兵隊たちを呼び戻している
ひまわりに似た花が咲く夏の朝それも晩夏の雨上りの朝
〈カグー〉君は飛べない鳥と呼ばれているなぜそうなったのか誰も知らない
深海魚うちあげている秋の海何を嘆いている海だろう
国分寺の家の樹に似て太い幹蝉がとまっている夏の闇
窓際に誰かが忘れていった本 風が読んでる「梁塵秘抄」
私も月の小舟を一人漕ぐ「梁塵秘抄」の桂男のように
始まりはイエスの方舟、ものみの塔、富士の裾野にオウム鳴くまで
「オッチャン」は元気でいるか 方舟は夏の終りの海漂うか
また空が小さくなったまた青いシートが空へ伸びてゆく街
火炎ビン葦簀に移って燃え尽きた。三島屋商店炎上の経緯
不安との道連れであるあまりいい人生送っていないのである
その心見えなくなって長い日が、長い時間が過ぎてしまった
思い出を少し残して消えてゆくいつかあなたもいつかあなたも
レコードの針を降ろした時の音、多分忘れてしまうだろう音
振ってごらん揺すってごらんもしかしたら記憶の底の音がするから
生きて逢う最後の夏を見るように積乱雲をあなたは見ていた
悲しみは時が癒すという嘘を信じるふりを誰もがしていた
「苦楽園」誰が名付けし駅名と 小さな駅に人を待つ時
北側の窓から猫が出入りするすすきが白い川べりのアパート
じゃがいもを剥きながら思う一節 お皿を洗いながら思う一章
つい二年前まで母は生きていたその街角を曲って消えた
母だって死んでしまった神無月 見捨て給うな月は欠けても
悲しみに胸を切られて血を流す出血多量の夕焼けがある
「あなたさえいれば私は生きられる」久しぶりに読む恋愛小説
健全な市民のように生きたいと泥棒貴族の最後の仕事
そしてもし明日があるなら始めましょう貴方と二人の子供の暮し
何でもない普通の日々でも薔薇の日々、明日があるなら明日も薔薇色
世界中が留守になったと思うでしょうあなたのいない世界の夜明け
何の夢も希望もないと思える日「ヒマラヤの芥子」の絵葉書が来る
揺れている揺れて何かを想っている落葉前線移りゆく頃
虫喰いも形不揃いなるもよしその新鮮さ食してみたし
マーケット情報今日も変化なし大いなる雲空を覆えど
秋の午後歯医者の椅子に座っている「夜半には雨」と気象情報
究極は心の壁を持たないこと ホームレスヨーコ ニューヨークにいる
今そこを風が通っていったのは きっと精霊になったあなただ
夢を見るうつらうつらのうたたねに信濃追分あたりを歩く
今日もまた優しい嘘をついている富士の笠雲雨呼んでいる
半年もほったらかされた天皇の異常のデータ朝刊に読む
禅林寺へ行ってみました三鷹で降りて 昨日どこへも行くところなく
森茉莉も納骨されるはずだという森家の墓地の花枯れている
花と酒、それも津軽の酒がある 太宰治は幸福な死者
この町の七十軒の古時計ネジマキ屋さんにまかされている
脚立持ち修理具入れた鞄持ちネジ巻き歩く古時計の町
崖にある足跡一つ晴れた日に海を見ていた恐竜X
鉛筆の芯折れている音がするどこかの沼で魚が跳ねる
犯罪を犯したいほど雲一つ草木一つも動かぬ真昼
街路樹の赤い風船ひきちぎり春一番の南風吹く
私を支配しようとする人を紙飛行機に乗せて飛ばそう
すねかじりすねをかじってかじりきりその一本を捨ててきている
ひとり出かける日の駅前に浩平の好きなボンネットバス
前の家の庭の木を切り草を抜き蜜柑をひろいどくだみを摘み
一枚の葉は見つかりましたかと陛下と小倉遊亀さんの会話
税務署と市役所と法務局行ったり来たりで日が暮れている
日常がただ日常で過ぎてゆく等身大の鏡の中で
生きているとどんどん汚れていきますね表面積が大きくなって
人は死に土塊になり灰になり空の雲より淡いものとなる
太陽は天の赤道通過中眠気とだるさとたたかいながら
一年はわずかな時間の経過だとスザンヌ・ヴェガの歌聴きながら
四十代の女はみんな元気だという話聞いているうち疲れてしまう
鴎外忌初めて暑い夏の日のその日の墓地に風もない日の
絶版の「父の帽子」の中にいる父鴎外と森家の人々
森鴎外、太宰治と森茉莉と静かに眠れ梅雨まだ明けず
一葉の父のふるさと塩山のすもも花咲く二本木の道
二本木行きバス終点のバス停の馬小屋の馬、留守番の馬
何をしているかわからぬ家があり馬一頭が繋がれている
あの窓の一つの窓に住んでいる 歩道橋を斜めに歩く
一冊の本落ちている石の上、蟻が見ている旧約聖書
旅立ちの支度をしているいつの日か来る私の旅立ちの日の
こうもりが薄暮の空を飛んでいるまだ帰らない子供を待って
夕空に一つ星あり三日月あり近づき消える飛行機もあり
美しいというものはあるどこにでも小さな家の軒に降る雨
お魚が雨傘さして歩いてる「エッフェル塔とロバ」の風景
追憶のロシアが見えるフランスの海に河岸に空の向こうに
こんな夜更けにまた火事らしい 窓に映っている灯と私
八幡の大杉樹齢数百年「皮一枚のぼくの人生」
嬉々として弾けるように跳んでゆくはるばると来て海を見た子が
満ち潮に靴さらわれて流されて網で掬っている小学生
左舷には純漁村風、右舷には地中海風風景がある
なせばなるやればできると思ったこと一度もなかった死に極道され
丸坊主になってしまったベンジャミン何が悪かったのかなあって考えている
葉も枯れ土も減ってしまった幸福の木ますます過分数になっていくね
千代田区一番町の夕闇に病む人あるらし水鳥も病む
雨がまたざんざん降って夜になる 九月東京、雨の東京
東京の空から太陽消えている 医師団は血を入れ替えている
土曜日の約束をして別々の道を帰って日常である
こんな午后もしあったなら鴨川の石になってもよいほたる草
されどされどさびしさびしと言う人よ雨の降る日の優しさごっこ
昨日から熱あるようなないようなぼんやり過ごす雨の休日
貴腐ぶどう熟れる夕陽の落ちる町あずさ九号通過する町
少し汚れ少し壊れて美しい騎馬民族の王の水差し
あの頃の夢がどこかへ消えたと言うどんな現実に捩じ伏せられて
落ち着いて玉葱切っている時間 涙は何のせいでもなくて
母が死んだ ただそれだけのことなのに親族一族すべてが視える
栗の実を拾ったことも今ではもう遠い昔の夢のようです
何もかもお終いだって知っていて何も知らないふりをしている
ふるさとの海へ行こうと話してる春休みには大橋渡り
ざる一杯バケツ一杯の海老やシャコおやつに食べていた漁師町
浩平と二人で渡る瀬戸大橋海老の匂いのする町に来る
ホラーでない異次元世界見たいから超高層の夕陽見ている
広島のことはやむをえなかったと語りし天皇眠る天皇
戦争の死者たちがもういいと言うあかげらの歌が寂しいゆえに
明日ゆく日出ずる国の天子ゆく空襲の日の空に似た夕焼け
血塗られた昭和の果てに血を替えて天皇はゆく何も告げずに
冬ざれの史蹟公園散歩する缶コーヒーを片手にもって
千曲川上流育ちクレソンを佐久の馬刺の大皿に盛る
転がされ棄てられている一塊の土のようなる影のようなる
細長い廊下の向こうに海があり座敷の向こうに海光る家
この生のさなかに訣れし人あれば春立つ頃の月を忘れず
半分は冗談だった薄情さ私の本質だっただなんて
しばらくはこんな調子で流されて流れるままに流されてみて
なまじっか愉しい日々があったから後の月日がさびしいのです
夜行性みみずく一羽起きてきて日々の軽さに爪たてている
物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代
畑にも庭にも雨が降っている蓮池に咲く花にも降るよ
冬眠のがまとこの頃の私とどちらが先に目を醒ますのだろう
鹿苑寺「白蛇の塚」の子孫かも赤と黒との小さな小蛇
通夜の客若い日の名で呼びあって遥か昔の物語する
見知らない記憶すらない一生に支配されゆく一生もある
来たる闇行く世の闇の何処より光はありてわがいのち在る
生きている私に砂をかけている耳をすませば弔いの鐘
夜明けから降りだした雨昨日まであなたの庭に降っていた雨
一日中雨が降ってる一日中雨を聞いてる蛙……私
祈りにも似た暮しなどに憧れるこの春ゆえの軽い変調
どこまでも空っぽだってことのほかその錯乱の理由を知らず
メッセージはもうどこからも届かない何の憂いもないはずの日々
光れ風 野分よ奔れ残生と呼ぶに短き時生きるため
人の世の栄枯盛衰見てきたる烏梢にとまる夕暮
平家谷、落人、桃源郷、杏花咲く村に来ている
父と子と古い公図を開いている古屋敷二町歩八幡平五町歩
犬目行きバスに揺られて四十分 君恋温泉今日は訪ねる
本陣の道を歩けば土埃 四方津へ降りる最終のバス
二重の生、二重の私を生きている梅雨入りの日の空々漠々
家を売り家を購いまた家を売りそうして心はざらざらになる
核融合試験官でもできるらし詩のようなもの創っているらし
人恋うて人恋いやまぬ夕暮よ蛍の沢と呼びし深沢
「夢だけに生きれば終り」腹が減ったか?と訊いてるレノン
「憎しみは愛だけが消す」ジャワルナデ大統領の手の鳩が飛ぶ
もう死んだ気になっているのか夏の蝶 幾何学模様の中に眠って
突然に視界展けて富士がある木のトンネルを抜けて行ったら
縁側に出て村を見る富士を見る南アルプス邑の朝焼け
道端の小石を蹴って歩いている彼岸花咲く寺までの道
富士よりも高く住むような村に来て無住の寺で聴く蝉しぐれ
もっと引けもっとサラッと歌えという艶歌の竜のひばりへの注文
私は暗いところで暮していた名だけ明かるい学園通り
閑雅なるよきものなんてこの世には存在しないものかもしれない
棄ててきた何かを思い出すように晴れた空から雨降ってくる
優しくも強くも生きてゆけないしオブローモフにもなれないけれど
失ったものの記憶は新しく脱け殻はみな標本になる
遠く住む友の葉書を読んでいるその街はもう雪が降ってる
思い軽く生きているよと告げている花と木のことだけ書いてある
何よりもその見通しの明るさは人がお金を出しても買うもの
身に即しあまりに近く身に即し息苦しくてならぬ石仏
まるでもう今日の不条理のように暗い舞台を見せられている
俳優の松田優作死んだ日に滝沢修のゴッホ観ている
蝋燭のほかには何もない舞台、青い炎になった老優
エピローグ、宇野重吉のナレーション死者に感動させられている
利休の死、死の死があって残るもの、流派という名の形骸ばかり
サイレント・マジョリティなどと呼ばれいつも何かに括られている
西多摩のなんじゃもんじゃの旧家には「富貴安楽」の額掛けてあり
街中の五重の塔をとり囲む墓一千基陣形に似る
火だるまになって死ぬのも非業なら延命治療という非業死もある
「萩の寺」その名おぼえて来てみれば墓地分譲は今盛りなり
奥多摩の渓谷二千年前の海パレオパラドキシアの伝説
生まれ落ちたる時の他にはドラマなく垣間見るだけの私の人生
「そしてまた雨ふる今夜私の両手は緑いろ」とソーサの歌う
焼き芋を売る声なども聞こえくる冬至の夜の駅裏通り
地下街にホーキを持った魔女がいる雪も降らない降誕祭前夜
魔女はもう空を飛べない世を忍ぶ仮の姿に地を這うばかり
★ここより『未来』提出作品含む★
雪ちらちら春の岬に降ってきてスティル・ライフはもう終わるのです
カムチヤツカ半島の先の点々に住んで原子炉の火も燃やしている
立葵、義手にて描ける人もいてただ思い出のためだと言って
北陸は能登能美郡根上町春の煙の立つ昼下がり
ひかえめに静かに生きてみたくなる酸晴雨降る白い一日
今は最期、とぎれとぎれのつぶやきのそのつぶやきのように降る雪
切れ切れに想い出したりして雪に 終幕近いシーンの音楽
昔見た夢のつづきをみるような「戦争と平和」の国の映像
夢ロシア雪のロシアのサモワール世が世ならという祖母の口癖
ここにいる私はいったい誰だろう春のうららの墨田川かな
墨田川ベイエリアまで川下り未来が少し見えてくるまで
もう誰の心も残っていないから風の別れのような青空
虹立つは昨日一人の魂が空へ急いで帰った軌跡
誰もいない午前の日差し浴びている昔の恋のような冬の陽
簡単な引っ越しが済んでマイケルと呼ばれた猫の飼い主も去る
生きていることさえ無駄の一つかも三月十日春雷を聞く
脳細胞の数ほどの渦巻銀河系宇宙、ピケットフェンスを幾つ超えても
ブラインド越しに見ている街の空、赤い屋根から濡れはじめている
いつからか既にオールド・ゼネレーション ミック・ジャガーの皺深き顔
南から吹いてくる風もう春が扉を叩いているのだろうか
ゆっくりと見えない破滅に向かっている何にもない日の春の夕暮
酸性雨降る雨の夜は鎧戸をおろして昔話をしよう
温室になった地球で生きている半分死んで病んで狂って
人が死にそしてそれから何もない 窓ガラスには雨の雫が
離れ猿次郎は親を知らざれば自分を猿と思わざりしよ
それぞれの運尽きるまで凩天にそよげよ風が流れる
人生と共に息しているような気がしないんだこの頃私
ぬかるみを歩いた人の足あとがぬかるみの中残されている
吸いこまれそうな魔の淵 透明な水に透明な魚が泳ぐ
月曜日の鬱のことなど書いてある「あなたも病気」という本を読む
朝は昼に昼は夕べに夕べは朝に何の不思議もないのだけれど
人類の子供二人を育てている春爛漫の空の真下で
少しだけ暗いところが好きだった陽あたる丘に住んでいたから
音のない雨を見ている音のない風を見ている一年の後
向かいあい一人は絵地図一人は歌のようなものなど書いている午後
煙突の見える場所から描いている五歳の地図の空の拡がり
星空の下のテントで眠っている消息絶った重信房子
隠れ家に日常があり石鹸の匂いしている幼児がいる
地下鉄の地下に水湧き流れる音淋しい人が背中押される
思う程死ぬのは簡単じゃないと呼吸不全に陥りながら
病院の地下には霊安室があり待機している葬儀屋もいる
究極のなれの果てなる同窓会初夏の銀座の三笠会館
一九九〇年の街角でグレタ・ガルボの死を聞くばかり
若い日は誰にもあったはずなのにシーラカンスのように眠って
私のためというなら何のため私は生きているのだろうか
日曜日の教会の裏は荒井呉服店 春の燕が通り抜けする
体制は黄昏の色、世紀末漂流民は流氷に乗り
黙示録開いてみたくなるような額の象徴もつゴルバチョフ
魂の蛍明滅しただろうあなたが病んでいた夏の日々
白い手のさよならだった細くなり小さくなって優しくなって
長い夢みているような気がします醒めない夢をみているような
エルドラド幻の郷エルドラド金の釣針のむ魚たち
蛙、蛇、鰐棲む河の流域に栄えて滅ぶ エルドラドという
地球儀の文字書き換えるミャンマーと、昔「ビルマの竪琴」を観た
教科書も地図もすっかり役立たない世界史に風、新しい風
NHK「七色村」のマリエさんプラハの春は再びめぐり
さよならがどうもになって終ること長い時間が流れていたこと
東洋の小男一人立っていてマチスの聖母子眺めているよ
ドミニコ会ロザリオ礼拝堂の壁、線で描かれたマリアとキリスト
美しいものは戦国乱世の落城の日の天守の自害
国分寺の家に行ったら咲いているえごの花びらもう泥だらけ
雨降れば傘さしてみる萼あじさい去年と同じ色に咲いてる
降る雨のように触れられないならばいっそ何にも無いほうがいい
気がつけば横になりたくなっている雨の日は雨の音聴きながら
何一つ残さず消えてゆくのがいい感動だけがすべてだったと
講習会「ゴキブリ団子のつくり方」、PTAの総会にいる
学校は金太郎飴本舗ゆえ熟練工のような教師もいる
規律説き正義押し売る人もいて胡桃を潰すように個を潰す
まだ見えない雨を感じているような雨の匂いのする日曜日
世界はもう遠くへ行ってしまったと微熱ある日の夕べの風が
異型の子みごもる地球いつしかにチェルノブイリに雨は降りつつ
家庭という殻が重たくなっている葉裏にひそむわがかたつむり
鬱々と鬱を重ねてゆくばかり生気失せゆく今日鴎外忌
難破した船から救い出すように絶版の書の数冊を購う
言葉とは冬の桜と詩人が言う風たちの歌聴いて育てば
「火薬庫」で火薬爆発、容赦なく苛酷に生きよと中東の風
新安値つけている日の市場ゆえ避暑地の猫のように眠ろう
そしてまた黄昏刻の映画館 「秋津温泉」「雪国」の恋
完結が死であるならばこの旅は滅びの歌がよく似合うはず
日本へこの子を連れていって下さいとチェルノブイリの若い母親
誰が死んでも空は照り風は真夏の街馳け抜ける
夕焼けが窓染めている安っぽい映画みたいだけれど綺麗だ
午前五時「桑の都」の蒸気立ち「中村豆腐」の硝子戸が開く
俊ちゃんと夏中行った香炉園、海水浴場だった昔に
私の生まれた頃の魚崎の海もきれいに澄んでいたはず
流木で沸かした産湯に入ったわけで漂いながら生きてるわけで
去年まで母が元気でいた家が八月の雨と草木の中に立っている
わけもなく今日は心が軽くなり九月初めの雨に濡れている
空はもう秋の空だと雲が言う日本海には高気圧がある
一顧だにかえりみられないもののため 石を積んだり崩してみたり
そしてもう春は最後の春になり秋は最後の秋になるかのかも
汗ばんで眠っていたのは睡蓮の葉かげに眠るおやゆび姫
万人に見放されている気がしているたった一人の人を失い
負へ負へと退却していた私の兵隊たちを呼び戻している
ひまわりに似た花が咲く夏の朝それも晩夏の雨上りの朝
〈カグー〉君は飛べない鳥と呼ばれているなぜそうなったのか誰も知らない
深海魚うちあげている秋の海何を嘆いている海だろう
国分寺の家の樹に似て太い幹蝉がとまっている夏の闇
窓際に誰かが忘れていった本 風が読んでる「梁塵秘抄」
私も月の小舟を一人漕ぐ「梁塵秘抄」の桂男のように
始まりはイエスの方舟、ものみの塔、富士の裾野にオウム鳴くまで
「オッチャン」は元気でいるか 方舟は夏の終りの海漂うか
また空が小さくなったまた青いシートが空へ伸びてゆく街
火炎ビン葦簀に移って燃え尽きた。三島屋商店炎上の経緯
不安との道連れであるあまりいい人生送っていないのである
その心見えなくなって長い日が、長い時間が過ぎてしまった
思い出を少し残して消えてゆくいつかあなたもいつかあなたも
レコードの針を降ろした時の音、多分忘れてしまうだろう音
振ってごらん揺すってごらんもしかしたら記憶の底の音がするから
生きて逢う最後の夏を見るように積乱雲をあなたは見ていた
悲しみは時が癒すという嘘を信じるふりを誰もがしていた
「苦楽園」誰が名付けし駅名と 小さな駅に人を待つ時
北側の窓から猫が出入りするすすきが白い川べりのアパート
じゃがいもを剥きながら思う一節 お皿を洗いながら思う一章
つい二年前まで母は生きていたその街角を曲って消えた
母だって死んでしまった神無月 見捨て給うな月は欠けても
悲しみに胸を切られて血を流す出血多量の夕焼けがある
「あなたさえいれば私は生きられる」久しぶりに読む恋愛小説
健全な市民のように生きたいと泥棒貴族の最後の仕事
そしてもし明日があるなら始めましょう貴方と二人の子供の暮し
何でもない普通の日々でも薔薇の日々、明日があるなら明日も薔薇色
世界中が留守になったと思うでしょうあなたのいない世界の夜明け
何の夢も希望もないと思える日「ヒマラヤの芥子」の絵葉書が来る
揺れている揺れて何かを想っている落葉前線移りゆく頃
虫喰いも形不揃いなるもよしその新鮮さ食してみたし
マーケット情報今日も変化なし大いなる雲空を覆えど
秋の午後歯医者の椅子に座っている「夜半には雨」と気象情報
究極は心の壁を持たないこと ホームレスヨーコ ニューヨークにいる
今そこを風が通っていったのは きっと精霊になったあなただ