さて第二段。
ほんとは(私にとって)とってもわかりやすい二宮さんにしようかと思ったのですが……ここで大野さんをもってきましたよ、わたくし(笑)。我ながらチャレンジャー。
というのも、ここによく遊びにきてくださるかたはよくおわかりかと思いますが、私からいちばん思考回路が遠い、わからないのが大野さんなんです。
(まあそもそもこういう理屈ぽいブログを書く人間は大野さんから遠いだろうな 笑)
よく翔さんが言う、「大野さんの目で世界を見てみたい」、これ、もうほんっとうにそう思う。
ただ、私の近くにはたぶん大野さんタイプのサンプルがいて、いつも「面白れえなあこの人」と思って観察しているので(注釈:オットです)、さあ、レッツ・トライ!
(※以下すべてわたくしの妄想ですのでお読みくださるかたはご了承ください)
まず、こういうのって普段から相手のことをどれだけ“言語化”しているかで、コメントの長さも内容も違ってくると思うんです。
相手について、“頭”で(“感覚”ではなく)考えているかどうか。
そしてそれを整理して言葉や文章でアウトプットしているかどうか。
これを普段からやっていて非常に得意なのが翔さんなんですね。だから翔さんのテキストはとてもわかりやすい。最初からきちんと“櫻井翔プレゼン”の形になっているからです。
大野さんはとくだんこの“言語化”を普段からしていないんじゃないかなあと。だから松本さんに対する以外はコメントがとっても短いです。
(これは、「何も考えていない」のとは全く違います。ここ誤解しないでくださいね)
以前、大野さんはビジュアルで思考してビジュアルでアウトプットするんじゃないか、何か言うときはそのビジュアルを説明しているんじゃないか、とコメントをいただいたことがあるんですが、そのとき、そうかも!と膝を打ちました。
絵の説明って、よっぽどのボキャブラリがなければとっても難しい。
そしてそもそも別に“言語化”って、生活していくなかで支障がなければとくにやる必要のない作業だと思うんですよ。実際に周りを見てもそれが習慣になってる人ってあんまりいないと思います。
そうなると、松潤に対してだけはコメントが長い、というのが重要な意味をもってくる。
つまり大野さんは、松潤に対してだけはいろいろ考えて“言語化”しようとした、しようとした時期があったということなんじゃないかなあと思ったんです。
それだけきっと大野さんにとっての松潤は難しかった。
ただ大野さんて、人との距離感覚を図る力が抜群に優れていると私は思っていて、感覚的に「合わねえなあ」と思ったら、相手に悟らせずにすうっと心の距離をとる、つまり離れることができる人なんだと思うんですね。
これは意図してやってるわけではなく、そういった自分の“感覚”を読み取る力が非常に秀でていて、それに従って行動するとそうなる、という。
でも、大野さんは松潤にそうはしなかった。いや、そうしてた時期もあったとは思うんですが、途中からきちんと松潤に向き合ったのではないかなあと。
これ、大野さんにしてみたらかなり意識してやらなきゃできないことだと思うんですよ。
だからそれは、「嵐」や「松本潤」に対する強い愛情の裏返しなんだろうなあ、と私は思っていて。大野さん自身がそれを自覚しているかどうかはともかく。
あと大野さんのコメントで特徴的なのが、自分が相手に思ってることと、相手が自分に思っているだろうこと、大野さんはほぼイコールだと考えていること。
ここではニノだけ除きます。というのも、私は大宮はまたちょいと特別な関係性にあると思っているので。
話を戻して、これ実は相葉さんもだいだいそうなんです。これは読んですぐに、面白いなあ!こんなに出るもんなんだな!と思いました。
前回の松潤が極端に自己評価が低いと書きましたが、ニノもその傾向がある。翔さんは相手によって違っていて、ある意味非常にニュートラル。
一方の天然コンビは、自己評価がとっても適切なんですよね。
これって凄く難しいことで、頭でぐるぐる考えてもなかなかそうはならない(というかむしろ頭でぐるぐる考えちゃうと自己評価は下がる傾向にあると思います)。
ええと、誤解されそうなことを承知で書きますが、これは大野さんが親御さんから豊かな愛情を受けて育った証拠だと私は思います。
自分が何をしてもどう考えても、生きているだけできちんとした価値のある人間だ、そうまっとうに思える人間をつくるのは、それを肯定する幼い頃からの周囲の愛情。
大野さんはこの人間のメンタルの土台がもの凄く強い人なんだろうなあと思うのです。
だから過剰な野心がなくて、卑屈に尊大にもなることがなく、自分の好きな道を揺るぎなく歩いてゆける。どんなことをしてもやっても自分は自分だとしっかり自分で肯定できることの強み。
そしてそこに人一倍の才能と努力が重なって、今の大野智という人が出来上がっているんじゃないかなあと。
大野さんのそういう部分に、
末っ子は自分にはないものを見て強く強く惹きつけられる。
翔さんはその才能と自分には出来ない生き方に憧れる。
相葉さんは自分と似た部分をつがゆえにシンパシーを覚える。
さて、ちょいと横においておいた大宮ですが。
ここのふたりはですねえ、仲間というよりむしろ、普通に(?)恋愛関係に近い関係性なのかな、と思って見ているんですよね、ワタクシずっと。ちなみにこれ「腐」視線ではありません。普通に思ってます(大事なので2度言いました 笑)。
だからまあ、……じゃっかん駆け引き要素も加わってしまっているのではないかと。
山コンビや天然コンビが安心して見ていられるのとは対照的に、大宮ってとても危ういバランスのうえに成り立ってるコンビだと思うんですよ。
二宮さんのぐらつきがちなメンタルの土台を埋めてるのが大野さんで、だから忙しくなったり不安になってきたりするとニノは大野さんにくっついて心の安定を得る。
でも大野さんはニノのそのメカニズムをたぶん感覚的にしかわかっていないから、ニノがあんまり寄ってこなくなると、あれえ、ニノもう俺に飽きたのかなあ?なんてぼんやり思っていたりする。
この蜜月がいつまで続くのかは、ニノにかかっている気がします。
こんな感じで書いてみましただ~。
なんか微妙に書き足りない感じもするなあ。気が向いたら加筆します。
んでもって、理屈ぽいことをつらつら書いている私は、末っ子同様、大野さんに自分にはないものを見て強く憧れるうちのひとりです。
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