syuの日記・気まま旅

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亀戸香取神社 七福神 syu散歩

2017-05-15 | syu散歩

昔は亀戸付近を、「柳島・やなぎしま」と云った。
葛飾郡柳島村及び柳島5か町を指す地名で、現在の都墨田区から江東区に存在した地名で、現在の墨田区業平・横川・太平・錦糸、江東区亀戸に相当する区域になる。
江戸期の柳島は、「柳島5か町」と言われた柳島町・柳島横川町・柳島出村町・柳島裏町・柳島境町の5町と、葛飾郡の柳島村があった。
この内、裏町と境町は1869年に柳島町に、出村町は1872年に太平町にそれぞれ編入された。
1889年の市町村制施行に伴い、横十間川より西の柳島村は東京市本所区に編入され、柳島町、柳島横川町が町域を広げたほか、新たに柳島元町、柳島梅森町の2町が成立。横十間川より東の区域は南葛飾郡亀戸村の大字となり、1910年代に東京市電(都電)が開通し、浅草、上野、須田町などと直結し、
一気に町の発展を促進させたと云う。
                   下町情緒の亀戸


                  カメの形をした亀戸町


亀戸天神・梅まつり」 2月上旬~3月上旬
                  300本の梅が


「亀戸勝矢祭」~
平安時代、平将門の関東制圧(天慶の乱)が、追討使「俵藤太秀郷(藤原秀郷)」は乱が起きた時、勝利を祈願し「香取神社」を参拝
その後平貞盛と共闘し、見事乱を治め奉賽として弓矢を奉納・「勝矢」と命名。
勝矢祭は、1000年経つ今でも・・・
勝矢祭では平安時代当時の格好を再現し、武者行列が大島3丁目亀出神社を出発し亀戸3丁目香取神社までを2時間かけて練り歩くと云う。

                  勝矢祭ー写真ー


「亀戸香取神社」
「藤原鎌足」が東国下向の時に勧請したとも、応安4年の1371年・鎮座。
祭神ー経津主神・相殿ー武甕槌神、大己貴神・境内社ー水神社、三峰神社、熊野神社、稲足神社、天祖神社

          亀戸七福神の大国神、恵比寿神


亀戸村の香取社
村の鎮守なり。祭神は経津主神なり。
右に健御雷神、左に大杉大明神を合せ祀れり。由緒に云。当社は天智天皇4年乙丑大職冠鎌足東国下向の時勧請し、太刀一腰を納め朱雀院御宇俵藤太秀郷、将門追討の時参籠して弓矢を納めし事あり。其後大永3年当社を再興し、又応安4年修造云々とみえたり。此事他の所見なければ信ずべきものにはあらされど、寺社帳に応安4年鎮座の由載たれば古社なることは論なかるべし。享保の頃当社へ常州阿波郡大杉明神飛来せりとて、其頃参詣群集せりと云。
末社子守稲荷金比羅ー 旅所、北十間川の北側にあり、僅の除地なり。神主香取中務。吉田家の配下なり、旧家なれど家系等も傳へず。
神明社
往古大樹の榎神木たりしが、此木枯たりしとき天下泰平の文字を虫食しより、泰平神明と尊称すと云。
香取中務(香取社)持 (新編武蔵風土記稿より)
                       狛犬


「木遣り」
神社造営の重い神木・石など運ぶ時の「労作歌」で多数で声を掛け合う。

遣師 イヨオ・・・・オオオ・・オイ  ヤ・・・・・ルヨ・・・・ 側ウケ イエ・・・エエエ エ・・ヨオ・・・・オ・・・「手古」
   ~ ~ ~。
                        木遣り音頭の碑


香取神社の現在では、勝ち運を司るスポーツ振興の神として、全国から参拝者が訪れていると云う。
スポーツで大切なのは、諦めないこと、相手にひるまないこと“自己との闘い”でもあるんです」と。
これは仕事や病気に関してでも同様、参拝者はさまざまな勝ち運を願っていくとか。「仕事で勝てますように…!」と。

                         拝殿


「福聚山・善應寺普門院」
1522年、武蔵国豊島郡三原にあった開基とされる「千葉自胤」の城中に創建。
創建時の本尊は聖観音で、千葉自胤の家臣「佐田善次盛光」が冤罪によって斬罪に処されるところ、日頃の信心によって、この観音に身を救われたことから、千葉自胤が感じ入り寺院を建立したのだという。
年代不詳ながら別に堂が建てられ、1622年、に現在の土地に移った。

船で釣鐘を運ぼうとしたところ、誤って隅田川に落としてしまい、これを引き上げることはできず、これがー鐘ヶ淵ーの地名の由来。
慶安2年の1649年、德川家光が立ち寄った際、5石の朱印状を拝領し、1772~1781年には、「栄範上人」によって本尊が聖観音から大日如来に改め、

          江戸期には葛飾区青戸にある薬王山真頂寺宝持院の末寺であった。


「伊藤左千夫」
上総国武射郡殿台村・千葉県山武市、の農家出身で明治法律学校(現・明治大学)中退。
明治31年、に新聞「日本」に「非新自讃歌論」を発表。
歌よみに与ふる書・に感化され、「正岡子規」に師事。
子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌「馬酔木」「アララギ」の中心となって、島木赤彦、斎藤茂吉、古泉千樫、中村憲吉、土屋文明などを育成した。
明治38年、子規の写生文の影響を受けた小説「野菊の墓」を「ホトトギス」に発表。
夏目漱石に評価される。
代表作に「隣の嫁」「春の潮」など。
この頃、東京帝国大学学生の三井甲之や近角常音が出入りをしていた。
常音の兄である真宗大谷派僧侶の近角常観とも知遇を得て、常観が主宰していた雑誌「求道」に短歌を寄稿する。1913年の大正2年、脳溢血のため死去。



          大日如来像 「亀戸七福神・毘沙門天」


「光明寺」    創建ー1555年。
                   天台宗の寺ー山号 亀命山遍照院。


境内には、浮世絵の第一人者と賞された「歌川豊国(国貞)」の墓がある。前回の亀戸天神に。



                   亀戸から見た「東京スカイツリー」


伊藤左千夫ー(短歌)
亀井戸の 藤もをはりと 雨の日をかささして ひとり見にこし ・ けならべて 雨ふるなべに 亀井戸藤浪の花 ちらまくをしも。
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