syuの日記・気まま旅

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武蔵野 野火止 syu散歩

2017-04-06 | syu散歩

「JR武蔵野線」
もともと山手貨物線の代替のための「東京外環貨物線」(貨物専用線)として計画され、1927年の鉄道敷設法に取り入れられていたが、第二次世界大戦等もあり一旦、計画は凍結。
戦後になり山手貨物線での貨物列車本数の増加から、1964年に日本鉄道建設公団(鉄建公団)によって大都市交通線(D線)として工事が着工。
1973年、府中本町駅 - 新松戸駅間、与野駅 - 西浦和駅間などが開業し、旅客線および貨物線の営業を開始し、開業当初、貨物列車の合間の住民への見返り運転であり、昼間は40分間隔、ラッシュ時でも15 - 20分間隔での運転。
人口増から、次第に旅客列車も増発され、1988年、京葉線第2期区間「南船橋駅 - 新木場駅間」の開業から武蔵野線と京葉線の一部の列車の直通運転が始まった。
JR国分寺ー小平ー東所沢ー新座ー浦和(埼京線)-川口ー草加ー千葉県野田・・・東京へ。

「新新座」駅
駅は、埼玉県新座市野火止五丁目にある。鶴見起点で48.5km・府中本町から19.7km

「松平信綱」 1596-1662 幕閣一の切れ者と云われた。 ー川越藩主」
大河内久綱の長男・叔父の松平正綱の養子・三代将軍家光付きの家臣・寛永10年に老中に累進する。
島原の乱・由比正雪の乱・・中心的役割を担った。-知恵伊豆の通称で知られている。江戸庶民からは好かれていなかったというー

              松平信綱が玉川上水から開削し、野火止用水を分水した。


                   地域は大きく発展していった。


                     人口増加と新田開発が


                   雑木林は、燃料と肥料に。


                    火事にも役立っている。


日本画家「速水御舟」明治27年の1894年、東京浅草に生まれ。
幼い頃より絵の才能を発揮し、若くして日本画壇において活躍し、大正12年頃から、平林寺境内に仮住い。
雲水と修行生活をともにしながら峰尾大休老師に参禅、禅の修養に励みました。
御舟の代表作として名高い「炎舞」(重要文化財)は、この2年後に描かれている。
御舟は、平林寺仮寓のあとも新座市に留まり、平林寺境内林他、新座近辺の武蔵野の風景や人々の暮らしの様子を作品に残している。
昭和10年(1935)40歳にて急逝。
西洋画にも果敢に学び、日本画を新たな時代へと導いた功績は大きいと云う。



           文豪「国木田独歩・田山花袋」らも、武蔵の独特の美しさを作品に。


「天然記念物保全」
平林寺境内林は、今でも武蔵野の風情をひろくとどめ貴重な文化財に、現在およそ43ha(東京ドーム9個分)。

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