syuの日記・気まま旅

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龍眼寺・亀戸天神 syu散歩

2017-05-13 | syu散歩

江東区・京浜工業地帯の東翼を担って、城東工業地帯の核心部を形成・が地盤弱く、地下水汲み上げで地盤沈下で区の半分がゼロmで地震水害対策が進められ堤防強化と避難場所確保などが。
都江東区亀戸は、区の北東部ー旧中川・堅川・横十間川・北十間川に囲まれた地域、元南葛飾郡亀戸町でカメに似た島で亀島と呼ばれ、「亀村」。
村内に「亀ヶ井」という名井にちなんで(かめいど)-「亀戸町」
江戸時代には、幕府の銭座(銅銭)が置かれていた。
今は、荒川・中川両水路完成し、急速に発展している。鉄道もJR総武本線と東武鉄道亀戸線と道路整備で中小企業と商店街が。
私の父は、この亀戸駅で米機の空爆で、線路を挟み右左に逃げ、左に逃げて命拾いをしたと云う・この駅を降りると父の話を思い出す。

「竜眼寺」-萩寺ー
                    創立 応永2年の1395年の古い寺


「松尾芭蕉句」
                  濡れてゆく 人もおかしや 雨の萩


「句・歌の碑」      落合直文の句碑
             榎本其角   月見とも 見えずや 露あり庭の萩
             大納言家長  ききしより 見る目ぞ まさるこの寺野庭に 散り敷く 萩の錦は
                
                       他にも多数あり


                整備された境内・万治2年の庚申塔が


39世「元珍」が、萩を愛好し、諸国にその種類を求め、126種、萩寺として親しまれている


                     池には、錦鯉が                     


                 竜眼寺は、亀戸七福神・布袋尊(堂)


             奥の本堂は、夢殿を模した「八聖(正)道」の八角のお堂に


                          観世音像


「八正道」とは、理想の境地に達するため実践するー正しい行い(生活態度のこと)

「らしや いちどう」-月や秋 あきや夜にして 十五日ー  (四季折々の花花の竜眼寺)


               竜眼寺を出ると「横十間川の栗原橋」


               栗原橋から見た「東京スカイツリー」


寛永3年・1626年ー九州大宰府天満宮より神霊を勧請した「亀戸天神」へ。

平安時代活躍した「菅原道真公」-信仰対象の天満・天神様を云う。
その道真が「学問の神様」と言われるようになったのは、政治的な功績はもちろんだが、むしろ文学者、歌人としての才能によるところが大きい。
もともと学者の家系に生まれたこともあり、幼少の頃から教育熱心な家庭で育ったのだろう。
例えば5歳の時に紅梅を見て詠んだとされる有名な
            「美しや紅の色なる梅の花阿呼が顔にもつけたくぞある」
太宰府へ流される際に詠んだ
            「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
など、和歌や詩など優れた作品を多く残しているほか、学問でもいまでいう全国トップの大学を主席で卒業するほどの才能で、書家としても優れており
空海(弘法大師)らと並ぶ才能と言われていた。
これら道真の生前の功績が、長い時を経て「学問の神様」となったとされている。
若者たちは、「道真公のように学問で立派な功績を残せますように」との思いから来ているのだろう、頑張って。

「亀戸天神社・江東区亀戸」
古くから「亀戸の天神さま」「亀戸天満宮」として親しまれ多くの参拝者が訪れる「亀戸天神社」。
九州太宰府天満宮にならって造られたという社殿、回廊、心字池、太鼓橋が配置された見事な杜は、東国天満宮の宗社として有名。

          「梅まつり」には梅を愛した道真公に因み約300本の梅が咲く。


              祭神 菅原道真公 (道真5歳時像)


                心字池に架かる「太鼓橋」


                   池の中央に亀の像


                写真ー初詣で賑わう境内


                     藤と梅の名所に


                 心字池に広がる藤の枝


      庚申
              三猿ー見さる・聞かさる・言わさる


狂歌師 蜀山人・浮世絵師 歌川豊国・自由民権論者 中江兆民などの碑が

「歌川豊国」 1769-1825 浮世絵師歌川豊春の門下、美人画・役者絵(東洲斎写楽とは対照的し理想化して表現。
和泉屋に持ち込み名を高めた。和泉屋の恩を生涯忘れなかったと云う。歌川豊広と対抗した。

「中江兆民」 1847-1901 思想家・評論家、フランス民権思想普及と専制政府攻撃に縦横の筆をふるった。遺稿(一年有半)がある。



                          拝殿

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