syuの日記・気まま旅

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江の島 龍口寺の彫刻

2017-06-25 | syu散歩

鎌倉時代後期から史書に名前が出てくる「刑場」鎌倉初期からこの辺りで首実検が行われていたと云う。
義経の首も腰越の浜で首実検されたと云うが、場所で検分されたのかもしれない。
腰越状を書いた満福寺が近い。
龍口の名前の由来はこの地に残る五頭龍伝説から来ている。
むかし、悪事を働いていた五頭龍が江ノ島の弁天様に惚れ、改心してこの地の守護神になったとされるところから、この地名となったと云う。
移転して廃社となった龍口明神社跡に残る龍の彫刻が。
文永の役後に来日した元からの使者・杜世忠らは、日本の国情を探るスパイの性格が強いとみなされ、北条時宗の命によりここで斬首され、怒ったフビライは再度日本を襲いますが(弘安の役)、前回に懲りてしっかりと固められていた日本軍の防衛体制と暴風雨によって撤退する羽目に。
杜世忠の辞世の句ー「出門妻子贈寒衣 問我西行幾日帰 来時儻佩黄金印莫見蘇秦不下機」
ー訳、家を出る時、妻子は寒さを凌ぐ衣服を自分に贈ってくれ、西行(日本)からいつ帰って来るのか、出世など考えずに無事に帰って欲しいと言っていたのに来るんじゃなかった感が溢れております(涙)。

中先代の乱の後に捕えられ、鎌倉に連行された「北条時行」も、ここ龍口刑場で処刑された。
時行は、北条得宗家の血を継ぐ「腹切りやぐらで有名な北条高時の息子。鎌倉幕府が滅んだ後は信濃の諏訪氏の下に、1335年、10歳の時行は諏訪氏始め反建武派の武士に擁立されて挙兵します。目指すは鎌倉幕府の再興。
鎌倉に攻め上る中で建武の新政に反発する武士が続々集まり、足利軍を次々と撃破し、遂には鎌倉を。しかし、程なく京から尊氏率いる軍勢が駆けつけて時行軍は遠江国橋本、小夜の中山(静岡県東部)、箱根、相模川と立て続けに突破され、鎌倉の入り口片瀬川も抜かれてしまった所で
時行は鎌倉から落ち延びます。
時行が鎌倉を支配したのは僅か20日余りでした。これが世に言う「中先代の乱」。
鎌倉に入った尊氏は後醍醐天皇からの帰京命令を無視し、対決姿勢を鮮明にします。その後、紆余曲折の末に室町幕府を起こす事に。
その、きっかけになる事件であった。

南北朝の時代になると、時行は南朝側について足利勢と戦います。しかし、武蔵国で戦いに敗れて捕えられ、「龍口刑場」の露と消え、ここに北条得宗家の血は途絶えたと云う。
                 霊跡本山「龍ノ口寺」御法難の霊跡

                   門前の車道に江ノ電が

                        楼門


                        山門


「日蓮」は、鎌倉の町中を引き回しの上、「龍ノ口の刑場」に連行。
夜も更け、日付も変わった丑の刻(午前2時頃)、幕府の役人がまさに日蓮聖人の首を切らんと刀を振り上げると、江ノ島の方角から月のように輝く鞠のようなものが飛来したのです。これに驚いた幕府の役人は処刑が出来なくなり、執権「北条時宗」の下知を得ようと使いを出します。
ところがその頃幕府上空でも異変が発生。
大きな星が降り、地面が振動し、雷が光り、「日蓮を失えば子孫は滅び国土が滅ぶ」と声がする。驚愕した時宗側からも処刑中止の使者が出され、両者は七里が浜に流れる川の所で行き合った…。そしてそこが「行合川」と呼ばれるようになった。
大騒ぎの後に処刑は中止され、日蓮は佐渡への配流となる。
日蓮を救ったのは、「比企の乱」で滅ぼされた「比企能員」の遺児である「能本」だとも言われている。
能本は、妙本寺を建てた人物として知られており、20歳も年下の日蓮とも親しく、信奉者でもあったと云う。
能本が手を回して北条時宗を説得し、日蓮の処刑を中止させたとの説もある。

               龍口刑場跡・寂光山龍口寺と言う日蓮宗の寺が。(御霊窟)


                     本堂の彫刻


                    楼門の彫刻


                     門の彫刻


                       本堂


                       境内


「日蓮」 1222-82 日蓮宗の開祖・安房の生まれ、千葉「清澄寺」で出家、鎌倉へ出て「立正安国論」を書き、「北条時頼」に出したが無視
伊豆へ流される、他宗の僧から憎まれ佐渡へ、三度目で甲斐の国見延へ、蒙古来襲する。武蔵国池上で没した。
佐渡へ流される前、ここ竜ノ口で斬られ要とした時雷鳴とどろき稲妻が走り武士の刀を折り、命を助けられたと云う。
日蓮宗の京都妙顕寺が勅願寺とされた。
                    日蓮上人像


                 この奥に仏舎利塔が


                     五重塔


                     鐘堂




                      鐘楼


                     龍口明神社