限りなき知の探訪

40年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第315回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その158)』

2017-07-06 19:18:26 | 日記
前回

【257.驚愕 】P.2423、AD255年

『驚愕』とは「非常に驚くこと」という意味。「驚」の意味は自明として、「愕」を調べると、辞海(1978年版)では「倉卒驚遽貌」(突然のことに驚くようす)と説明し、辞源(2015年版)ではあっさり「驚訝」(驚き訝かる)と説明する。これらからすると『驚愕』は「不意打ちを食らって、ぎょっとする」というニュアンスが感じられる。しかし、そもそも「愕」にすでに「驚く」という意味があるから「驚」という字は余計で、「愕」の一字だけでよいと私には思える。

『驚愕』に類似の語句に「驚駭」がある。「駭」は辞海(1978年版)では「驚也」あるいは「擾乱」と説明し、辞源(2015年版)では「驚擾」と説明する。つまり「駭」は「驚いて慌てふためく」という行為も伴うというニュアンスを持つようだ。

二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)でこれらの4つの語句(驚愕、驚駭、愕駭、駭愕)を検索すると、下の表のようになる。これから分かるように、日本で一般的に使われている語句(この場合「驚愕」)は必ずしも中国でよく使われているとは限らない(この場合、「驚駭」と「駭愕」が中国では多用されている)。



さて、資治通鑑で「驚愕」が使われている場面を見てみよう。(この文中には後半に「驚駭」も登場する。)

三国の末期、実質的に魏を牛耳っていた司馬師が第3代皇帝の曹芳を廃位すると、魏の忠臣であった毌兵倹は身の危険を感じ、文欽と連合して司馬師打倒の兵を挙げた。

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毌兵倹が挙兵した当初、飛脚をとばして兗州にも内通を呼びかけた。しかし兗州の知事(刺史)の鄧艾は飛脚を斬り捨て、将兵、約1万人を率いて急いで進軍し、毌兵倹たちより先に楽嘉城に着き、船橋を懸けて司馬師を待った。毌兵倹は文欽に兵を与えて司馬師を攻撃させた。司馬師は汝陽から目立たぬように兵を率いてきて楽嘉で鄧艾に引き渡した。それで、文欽は、それとばかりに攻めていたのに突如として敵の大軍に出現に驚愕してどうすればよいのか、頭が真っ白になった。文欽の息子である文鴦はまだ18歳であるにも拘わらず、胆力、腕力とも図抜けていた。父、文欽に「まだ敵の陣立ては揃っていない、今が攻めるチャンスです。」とせきたて、軍隊を2つにわけて、夜襲をかけて敵を挟み撃ちにした。文鴦は勇者のグループの先頭にたって、太鼓をたたきつつ進軍したので、敵兵は恐れおののいてしまった。司馬師はあまりの恐ろしさに、手術後の目が飛び出たのでこの上ない痛みを味わったが、兵士が知ると戦意を喪失すると思い、布団をかんで必死に痛みをこらえた。しかし、あまりの痛さに布団がずたずたになってしまった。

倹之初起、遣健歩齎書至兗州、兗州刺史鄧艾斬之、将兵万余人、兼道前進、先趨楽嘉城、作浮橋以待師。倹使文欽将兵襲之。師自汝陽潜兵就艾於楽嘉、欽猝見大軍、驚愕未知所為。欽子鴦、年十八、勇力絶人、謂欽曰:「及其未定、撃之可破也。」於是分為二隊、夜夾攻軍、鴦帥壮士先至鼓譟、軍中震擾。師驚駭、所病目突出、恐衆知之、囓被皆破。
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司馬師は目を患っていて、手術した後にも拘わらず、率先して出陣したが、敵の急襲にあまりにも驚いたため、目が傷口から飛び出てしまった。麻酔がない当時、耐え切れない痛みであっただろう。その痛みの度合を示すのが「囓被皆破」(被をかみ、皆、やぶる)という4字に見事に表わされている。

続く。。。
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