限りなき知の探訪

三十年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【授業】『国際人のグローバル・リテラシー(6)』

2010-06-15 07:11:54 | 日記
【国際人のグローバル・リテラシー 6.日本 六国史、大日本史、中国の歴史書との関連】

モデレーター:セネカ3世(SA)パネリスト
   名前 学部・回生
パネリスト   名前 学部・回生
P1: オザワ  (工・2)
P2: レンホー (法・1)
P3: ハトヤマ (工・1)

凡例
・:小見出し
P1〜P3:パネリストの発言
A:オーディエンスの発言
(SA)「」:モデレーターの発言
『』:著書名
():筆記者メモ

・著書紹介と、歴史についての諸質問

(SA)「中国には多くの歴史書がある。その例を挙げてみると?」
A:漢書
A:史記
P2:後漢書

(SA)「これ以外に『魏志(倭人伝)』『唐書』『明史』などが24史と呼ばれている。これらは原則、紀伝体で書かれている」

『資治通鑑』(司馬光 著)
(SA)「4巻に分かれていて、全巻で1万ページある。全部漢文で書かれているが、読もうと思えば2年で読めるはず。」

(SA)「日本の歴史書は、先ずはいずれも現代語訳を先に読むとよい。
『古事記』
『日本書紀』
『続日本記』
『日本後記』

文庫本(岩波文庫、講談社学術文庫)だが、全部揃えると8000円はかかるが、おそらく奈良時代から平安までの日本の歴史に対する知識は充分につく。日本書紀などの六国史は、漢字ばかりの漢文でかかれている。

(SA)「遣唐使が廃止されて以降、六国史の続編の編纂が途絶えた。そして和文で書かれた歴史書が出現した。それらは」
『大鏡』
『今鏡』
『水鏡』
『増鏡』

『日本開化小史』(田口 卯吉著)
(SA)「この本の中に描かれていることの一つを紹介する。『武士の戦いに戦略はなく、武士は自らの名誉のために戦った』後世、武士の戦で戦略の素晴らしさがほめられたりするが、実際のところ、日本の武士とは自分個人の名誉の為に戦っていて、統制はとれていなかったと考えるのが妥当だと思う。さらに、この本で指摘されているのは、日本の歴史書というのはまるで年表のようだ、という。事実が単に羅列されているに過ぎない。歴史というからには、史観が必要であるがそれが全く欠如しているのが日本の歴史書である、と田口氏は指摘している。。さて、この本には雨戸が出来たのは天正以後と書かれているが、天正とはいつのことだろう?」
P1:江戸時代
(SA)「江戸のちょっと前のことである。また、現在、木綿の服は安価なものであるが、奈良〜室町時代は高級品であり、庶民は麻の服を着ていた」

『バタヴィア城日誌』
(SA)「バタヴィア(現ジャカルタ)からオランダ人が日本に持ち込んだ貿易品で一番多かった品目は何か?」
P1:綿?
(SA)「鹿の皮が15万頭分輸入されていた。なお、田口卯吉氏の本の中に、日本ではこれを足袋にして使われていた、と書いてある。だが、鹿皮の足袋を履いていたのは上級身分の者に限られ、一般庶民は裸足かそまつな布の足袋を履いていた。」

『古史徴開題記』(平田 篤胤著)
(SA)「戦前に出版された岩波文庫のリバイバル版。このような本はすぐに売り切れてしまうのでできるだけ早めに買っておくことを勧める。国学者としての彼の考え方がよく表れている。しかし、こっけいなことに、天照大神を讃える文(438P)を和文ではなく漢文で書いている。唐心を批判しておきながら、漢文で書くことを矛盾と感じなかったのだろうか?」

『制度通』など(伊藤東涯 著)
(SA)「彼は伊藤仁斎(堀川にある)の息子であり、日本の制度の変遷について、中国の制度を説明しつつ書いてある」

『世界史における日本』(サンソム著)
(SA)「日本は明治から昭和始めにかけて、世界からはどう思われていたのだろう?」
P1:日本では『封建的』と見えるが、世界から見るとそうではない。
P2:日本では鎖国があったが、イギリスでは貿易こそが一番と見られていた。
(SA)「内容のディテールを聴いたのではない。日本では当たり前の制度が、世界から見ると不思議であることが多い。西洋の歴史の事実を考えるときに、日本史を比較の対象として考えることができる、とサンソムは言っている。従って我々日本人は、日本史を頭の中に入れた上でヨーロッパ史を見ると、彼我の差がよくわかって、日本を理解に役立つ。この理論を敷衍すると、日本史を考える時に韓国の歴史などを頭に入れておくとよい。こうやって、差を理解することで、自分たちの文化がよくわかるのである」

『大日本史』
P1:水戸光圀が編纂。完成したのは明治期。神武天皇から南北朝までの歴史を書いている。
(SA)「和文で書いた?漢文で書いた?」
(パネリスト沈黙)
「Wikipediaや百科事典で概要をさっと見るだけでは、知識は残らない。実際に実物を手に取って見ることだ。

なお、大日本史は、現在、実質よむことができないといっても過言でない。せっかく1500年間もの歴史が書いてあるのに、日本では現代日本語として出版されていない。私の本も昭和15年に印刷されたもので、1冊500ページで10冊組。

大日本史の原文(漢文)のテキストは全部ではないが、Webで見ることはできる。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

さて、この本は現在日本での評判は非常に悪い。なぜ?」
P1:尊王的な書き方がされている。
(SA)「何故尊王では悪い?」
P1:王様だけではダメという考えがあった。民主的なプロセスの邪魔になった。
P2:尊皇攘夷の精神が見え隠れしている。天皇を支える精神が見え隠れしてしまう。
(SA)「ならば今でもイスラムは常に尊皇攘夷ではないか。大日本史でも天皇記は1冊半ぐらいの分量しかなく、残りは列伝である。大日本史はかなり厳密な考証を経て政策されたので、内容的には優れている。

さて、中国の史書で『資治通鑑』は白話に翻訳されている。白話とは?」
P1:うそ話
A:口語
(SA)「資治通鑑は中国では口語に翻訳され、出版されているということは、それだけ中国の民衆の歴史に対する関心が高いということを示している。ぜひ、資治通鑑には日本語の現代語訳をつけて出版すべきである」

(SA)「現在の高校教育では、世界史、日本史が選択科目になってしまっている」
出席学生にアンケートをとると、大体半々の学生が世界史、日本史をとっていた。両方を取っていた学生も1/3ぐらいはいた。。
(SA)「私が高校生のころ(昭和30年ごろ)は、両方を勉強しないといけなかったが、結論的にいうとこれは非常によいことだ。両方の科目は必修にすべき。」



Q1:「日本人の長所短所」
(SA)「魏志倭人伝はいつかかれた?」
P1:280年頃の三国志のうちの魏についての書物。『東夷伝・倭人書』
(SA)「倭はどこのこと?日本?」
P1:おそらく北海道のことを除いている。
(SA)「倭のニュアンスとは?」
P1:和み、輪のニュアンスに近いのでは?
P2:輪、連合的?
P3:野蛮?
(SA)「『わ』 当時は音に対する当て字が非常に多かった。 例:説…なんてよむ?意味は?」
P1:言葉のこと。
(SA)「説にはよろこぶ、という意味もある。悦=説。また、汝≒女、汝≒爾、と読むこともある。
倭=小人、という蔑称のニュアンスも含む。(「矮」の意味)。倭人の章は『東夷伝』に乗っている。『倭』というのは日本だけを指すのではなく、実は朝鮮の南部も含まれていた。
また同じく魏志三十(烏丸鮮卑東夷伝第三十、夫餘・高句麗・韓)の記述によると、朝鮮の人は大変踊り好きであると書いてある。 

【東夷伝の一節】

其俗,國大人皆四五婦,下戸或二三婦。婦人不淫,不妬忌。不盜竊,少諍訟・其犯法,輕者没其妻子,重者滅其門戸。

【日本の婦人の節度の良さなどを書いてある文章を紹介して】

(SA)さて、『魏志倭人伝』を書いた、日本に来た人は何を感じたのだろう?」
P1:思っていたほど野蛮ではなかった。
P2:思っていた以上に礼儀がよく、びっくり。
(SA)「読んだ人はどう考えるか?」
P2:驚く。
P3:移住してもいいのでは、と思うかも知れない。

(SA)「歴史をやる上で比較は重要。
 タキトゥスとは誰?」
P1:歴史家
(SA)「『ゲルマニア』を著した。ゲルマン人は慎み深い、と書いてある。例えば、不倫はしないと書いてあるが、もしこれがローマ人にとって普通のことだったら、書かないはずである。つまり、ローマ人と違って素晴らしい、と思ったことだから書いたのだろう。『魏志倭人伝』においても同じであって、中国で感じなかったことを書いたわけで、自分たちの気づかなかった徳に気づいたのである。

例:ニューギニアに行ったロシア人の話。( ニューギニア紀行・19世紀ロシア人類学者の記録(平凡社) N・ミクルホ=マクライ(畑中幸子、田村ひろ子・訳))マクライは、ピストルを持たずに原住民の村に入る。ニューギニアには誰も文明人は住んでいないが、マクライは原住民から慕われていく。これを読むと、人間のあり方がわかるかも知れない」

Q2(SA)「日本に定着しなかった中国の制度は何か?」
P2:科挙。
(SA)「何故定着しなかった?そもそも科挙はよい制度なの?」
P2:良い制度だとは思う。
(SA)「どういう点で良い制度といえるのか?」
P2:貴族だけでなく、公平に能力試験を取ることができると考えられた。
(SA)「それほど良いシステムなら現在の日本も科挙をやるべきでは?」
P2:国家公務員採用試験はそれに当てはまるのではないか。(当てはまらない…という意見を述べておこうか。

(SA)「(再度質問)科挙は良い制度だったの?」
P3:書物を手に入れられるか否かで合格できるかどうかが分かれた。
(SA)「どうやったら本を買えるの?」
P3:お金がいる。
(SA)「誰が売ってくれるの?」
(沈黙)
(SA)「話を戻して、科挙はどんな試験?」
P1:『論語』などの指定図書を丸暗記して、その一説を書け、など。

(SA)「本は当時売っておらず、掛け軸のような巻物であった。それが論語では10巻(20篇)あった。金があっても買えるわけがないので、持ってる人のところに行って写してようやく手に入る。また、時間の無い人はお金を払って写してもらう。こうしたことを考えると、おそらく、科挙を受けることのできた社会的階級は現在価値にして年収1500万円以上で、かつ、都会に住んでいる者に限る。

・日本で科挙が流行らなかったワケ

(SA)「『続日本記』の記述によると、大宰府でも足りない図書があった、とある。
ところで大宰府ってどんなところ?」
P3:外国との玄関口となる場所。
(SA)「従って、文字を知っている人が多いのである。それでも、三史(史記、漢書、後漢書)が完備していなかった、ということは、科挙が受けられない。官庁の中でも本が足りないということは、日本では科挙をやろうと思ってもやれないのである。じゃあ、入ってこなくてよかったのか?科挙は一切やってなかったのか?」
P2:科挙もどきはあったと思う。
(SA)「確かに科挙もどきはやっていた。日本人の癖…制度の根幹にある精神は置いておいて、形式だけ受け継ぐ。宋の時代に木版印刷が発達したことで、科挙の勉強もし易くなって、科挙を受ける人口がぐんと増えた。自然に科挙のテストがより難しくなった。官僚をそろえるための制度が科挙であった。 ・日本版科挙の大きな欠点

さて、日本の科挙もどきでトップにのし上がった人物は?」
P2:菅原道真
(SA)「菅原道真は文人の家系であるので、科挙もどきは受験していなかった(と思われる。)彼以外には吉備真備が有名だ。文で高官になったのはこの二人ぐらいである。ということは、いくら文ができても出世するのは例外中の例外ということになる。残りは殿上人にすらなれなかった。殿上人とは?」
P2:殿上に上がることが許された人。5位以上。
(SA)「日本の科挙では、殿上人は取らなかった。もともと中国では科挙は政府高官および高級官僚を作り出すための試験だった。日本では実務家を採ることだけすりかえられた。つまり、科挙の精神が全然欠落してしまっている!じゃあ、何故日本で科挙が必要だったのだろう?」
P3:国をまとめる人はそれなりの知識が必要。
P1:日本を発達した社会にしようとしたため。
(SA)「じゃあ、何故科挙でとった人を上位に据えなかったの?」
P1:家柄重視のシステムがあったので、ダメだった。
(SA)「それをなんという?」
A:蔭位の制(おんいのせい)
(SA)「貴族である場合は、親と同じランクから子供は役職に就くことができる。つまり、社会階層ごとに出世コースが全く変わる。日本では政治家の上層部は能力が低くてもよく、実務者だけがしっかりと読み書きできれば良かったことになる。何故こうしたのか?」
P2:貴族は地位を守りたかった。
P1:地位は守りたかったが、何しろ、政治をするのがめんどくさかったので腹心の部下に任せた。
(SA)「実は下位層はメッセンジャーボーイ。上意を文章にしたためて、地方でそれをよみ政策を理解し、実施報告を上げさせることが必要だった。だから中間層は文字を読めないといけなかった。

・朝鮮と日本の関係

(SA)朝鮮半島で日本に大きな影響を与えた国は?」
P1:高句麗などがあげられるか。
(SA)「高句麗と渤海があげられるだろう。朝鮮半島から日本へは比較的来やすいのである。そういえば、源氏物語にも朝鮮半島に関係する人が出てくる。その人は京都の町中で占い師をしていた。つまりは、その当時は高麗から人がやってきて日本に定住していた」

Q10「渡来人の職業、住所は?」
P3:九州に上に上陸。京都へ集まった。
P2:九州に上陸した後、豪族の時代に各地に移った
P1:豪族に従う者もいたが、豪族となったものもいた。九州、近畿だけでなく関東の方へも向かった。

(SA)「なぜ関東へ好んで行ったのか?」
P1:僧侶などが仏教を広めるため。
(SA)「じゃあ渡来人は宣教師なのか?(パネリスト変えて)なぜ関東へ行ったのか?」
P2:関東に住んでた人は渡来人を使って、蝦夷の地域(関東以北か?)を一気に開拓していったのではないか。

(SA)「当時の関東は蝦夷の地域で、北海道は日本ではなかった。したがって、東へどんどん移民を送っていく必要が出てきた。朝廷のこの命に従い、渡来人は東へ向かった。農業以外で、主な渡来人の職業は手工業者である。また、苗字を持っていた。

現在『日本語で読めない歴史』というのは?
P1:聖徳太子の編纂した久慈など、無くなってしまったもの。
P2:ラテン語で書かれた歴史書。
(SA)「上にも述べたように『大日本史』と『資治通鑑』は現代日本語の訳がないので、実質的に読めない。またリヴィウスの『ローマの歴史』はようやく最近になって日本語訳が岩波文庫と京都大学出版会から出版されだしたが、数年前までは英語で読むしかなかった。これら3つの書物は、人の生き方を知るのに重要な歴史書である。」

・国学者と漢心について

Q6.「国学者の批判した漢心とは?」

(SA)「漢心って何?」
P3:客観的ではなくて大げさに言うこと。
(SA)「日本でもやるのではないか。『虚飾』をつけるなど」
P3:理屈をつけて正しいと言い張ることではないか。
(SA)「(相手を変えて)漢心とは?」
P2:物事を誇大することではないか。
(SA)「日本では漢心を捨てて、別の何かを採れ、と言ったということは、何か漢心に不都合があったからだ。漢心は否定されたはずではないか?」
P1:漢心とは、客観的ではなくて大げさに言うことである。
(SA)「漢心は中国精神を一般的にいう用語ではなく、ある特定の精神構造を指摘したと考えられる。何を意味したのか?」
P1:歴史の分野。歴史を残すにあたり、指導者の意志などを書くときに使われた。
A:中国かぶれ。
(SA)「じゃあ、漢心が好きな人は中国のどこが好きなの?」
A:漢文などの中国の文化が好きだった。
(SA)「中国のどこが素晴らしいと思っていたと思う?」 A:日本にないような文字を見出したり、科学的にも突破していたのではないか。

・大和心について

(SA)「否定されたのが漢心なら、肯定したのは?」
P1:大和心である。善悪を込めた主観的なものではなく、ありのままに客観的に捉える心を指した。
(SA)「ありのままと客観的って少し矛盾するのではないか」

P1:ありのままという言葉を撤回する。客観的に著したと思う。 A:国学者である限りは宣長は日本のことを良く思っていたはずであるのに、文書の書き方が漢文調とは以外な気がする。

(SA)「文書の書き方というよりも、心情のことを宣長は言っていたのではないか。中国の思考には(少なくとも)二つの特徴がある。
 1.シンメトリー(対称性)。 ペアを常に考えている
 2.演繹的である。

(SA)「ところで演繹的とは?」
A:ルールから、現実の状況を考えていく。
(SA)「まずルールありき。ルールをもとにして、善悪を判断する。ではその逆は?」
A:帰納的。
(SA)「inductive(帰納的)、deductive(演繹的)
ductは空気「ダクト」。例えば換気扇についている管のことであり、「導くもの」である。
de(外)+duct=ルールから外へ持っていく
in(内)+duct=ルールの内側へ持っていく

アリストテレスは、実証のしようもないのに、頭でこねくりまわして、地球は宇宙の中心であるとまず決めつけた。そしてそこからいろいろなことを説明しようとした。こういう思考方法を演繹的という。しかしその後、ケプラーなどが実験データを基にして、それらのデータを合理的に説明することができる法則を探っていった。こういう仕方を帰納的という。結局帰納的な考えから得られた地動説の方が正しかった。

中国の思考形態では、この演繹的な考えが根強い。例えば、物事には陰と陽があり、また物事の変遷には、五行説で説明しようとした。物事は全てこの五行のルールに基づくと決めつけ、すべきことをこれらの法則から導いた。

宣長が漢心を排撃したのは、このような演繹的な思考から導きだされた生き方がはたして人の生き方が正しいかどうか?という点であった。

中国は一面で非常に生活様式がrigorous(厳格な)である。例えば、『弟は兄嫁に物を直接、手渡ししてはいけない。』あるいは『寡婦は二夫にまみえず。』など。(礼記にはこれらの煩瑣なルールが数多く見出せる。)これらの非人道的なに宣長は大反発した。日本人として、これらの影響を受ける前の古来の日本の生活様式に遡る必要があることを宣言した。

・日本人は中国人のように rigoros か?

日本人は理よりも情を重んじる民族性を持っている、と宣長は主張した。「もののあはれ」という言葉を掲げて彼は論じていった。」

(SA)「私自身の考えは、日本人の生き方の根本には、南方の島々に暮らしていた人々の考えがある、と思っている。」
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Deductive thinking (Fx)
2010-07-27 11:36:55
国学者、本居宣長の漢心の批判には、漢人の思考回路ろして、演繹的方法を用いることが含まれていたらしい。つまり、あるルールを先に決め、それを諸所の行動様式を規制するように用いていき、社会のルールを作り上げるという意味と解される。(誤った解釈ならば指摘いただきたい)
なるほど、それでは、柔軟性はないし、ひとつのルールという起立性の高さはありうるが、細かいところの調整が利かず、軋みを生みやすいのではないかと考えられる。

ただ、気になるのは、本居宣長がそう述べるならば、日本は帰納的思考法を中心に思考回路が成り立っているというのか。

実体験として、どうなんだろう。

物事を多くあつめてから、法則や妥協点を決めそれを用いて社会の規律としたのだろうか。

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