限りなき知の探訪

40年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【麻生川語録・44】『上から溢れる知識、底から漏れる知識』

2017-05-14 19:51:28 | 日記
かつて、韓国の宮廷ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』が大流行したが、元ネタは朝鮮王朝実録に残されたわずか数行の記事であったという。そのわずかの情報からでも数十時間に及ぶドラマが作成された。「無い袖は振れぬ」という言葉は韓国の辞書には無いのかもしれない。しかし、日本も隣国を笑ってはいられない。というのは、現在放映されているNHKの大河ドラマの『おんな城主 直虎』もそうだが、毎年毎年、戦国大名や幕末の物語が続く。いい加減、種が尽きていそうなものだが、それでも何かとネタを見つけてきては一年もののドラマに仕立てあげる。しかし、如何せん、いつも同じような時代背景と歴史上の登場人物では、ストーリーは見ないでも想像がつく。制作する方もする方だが、視る方も視る方で、よくも飽きもせず付き合っているものだと感心する。

そう言えば、子供の頃、近くのそろばん塾においてあった少年サンデーや少年マガジンを何度も何度も繰り返して読んだことを思い出す。ストーリーは完全に知っているのだが、それでも麻薬中毒患者のように、また同じ本に手が伸び、ストーリーに没頭していた。その内に、ばかばかしくなって同じ漫画を何度も読むのを止めたが、世の中にはまだまだ馴染みのストーリーにどっぷりと浸る快感から抜けきっていない人が多いと見える。

しかし、このような性癖はなにも現代にだけ見られるものではない。考えてみると、過去の人々にとって書物は入手が困難な上、大層高価だったので、私にとっての少年サンデーや少年マガジンのように、何度も何度も同じ本を擦り切れるまで読むしかなかったのであろう。 それ故、時間を費やした割には知識の広がりが少なかったと思われる。(もっとも、知識の幅が狭い/広いと人間の良し/悪しとは全く関係ないのは言うまでもない。)

現在から過去を見れば、過去の人々が書物から得ることのできる知識は狭い、と言っているが、現代でも分からないことは多々ある。例えば、ビッグバンの瞬間や宇宙のダークマターの存在、などについて権威ある科学者たちが侃侃諤諤と議論しているが、百年前の金星人や火星人の存在について科学者たちが真剣に議論していたのと同様、後世からみれば噴飯ものの議論が堂々とまかり通っているのではなかろうか。

もっとも、現代でもまだ分からないことが多いと言っても、現代の我々がアクセス可能な情報の範囲は極めて広い。しかし、このような状況でも主体的に取りに行かない限り、大河ドラマの視聴者のように狭い範囲に閉じ込められてしまう。視聴者だけでなく、情報を提供する側(つまり、本の執筆者やマスメディアの編集者)も狭い範囲の情報だけを何度も使い回しすることで自己満足に陥っていることがある。

この点について考えてみよう。

私は現在(2017年5月)まで、4冊の本を出版し、またこのブログでは 1000本以上の記事を書いている。頭の中を整理して文章化してみると、普段は気づかないような情報の欠如や、根拠のない思い込みをしていることに、しばしば気づかされる。それと同時にまとまった考えを文章にして書く(アウトプットする)には、情報・知識を取り込んでから、かなり長い熟成期間が必要だということも分かった。

比喩的にいうと、サラダボールのような器に上から情報・知識がポトリポトリと滴り落ちてくる。それらが器に十分蓄えられると、その内に熟成して発酵する。その内に、器の上の縁からある考えが一挙に外に溢れ出る。溢れ出た後は器の水位がかなり減少する。そこで、また情報・知識がポトリポトリと溜まり、残っている情報・知識と混ざり合い、発酵するのを待つのだ。

しかし、このようなやり方は時間がかかるので、時間短縮のため、器の底に穴をあけるという便法がある。そうすると、穴から情報・知識がぼとぼとと漏れ出てくる。しかし、その内に器はすぐにすっからかんとなってしまう。そういう状態になると、何かをアウトプットしようと思えば、上から注ぎこまれたものを未消化のまま出さざるを得なくなる。


【出典】The Health Culture

先ごろ(2017/4/17日)亡くなった、渡部昇一氏の本に『発想法 リソースフル人間のすすめ』というのがある。昔に読んだので記憶が定かでないが、確か、外国語も含め、いろいろな方面に関心をもてば、自分から発信できる情報・知識が尽きることなく発酵し、器の『上から溢れる』というようなことを指摘していたように思う。残念なことに、現今の世の中、数多くの(自称、他称問わず)知識人の本には、『底から漏れる』類のものが実に多い。器が空になっても次々と出版するため、如何せん、内容は似たり寄ったりで、大河ドラマのようにちょっと読めばすぐに底が割れてしまう。

かのヒポクラテスは「ゆめゆめ貴重な時間を無駄にするな」という意味で『芸術は長し、人生は短し』(Ars longa, vita brevis)との名言を残した。短い人生の間に精一杯、知識の幅を広げようとすれば、本の取捨選択眼を磨かなければならない。著名人の本といっても『上から溢れる』良書もあれば、『底から漏れる』駄本もある。著名人というだけで安心して読書をしていると、同じ趣旨のことを繰り返し聞かされるだけで、一向に知識は広がらず、人生はあっという間に過ぎてしまう。
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