限りなき知の探訪

三十年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・66】『一狐裘三十年』

2012-02-12 17:24:49 | 日記
徒然草に、『後世を思はん者は、糂汰瓶一つも持つまじきことなり』という句がある。つまり、あの世で幸福な生活を営みたいと思う者は、この世では『糂汰瓶(じんたがめ)』ひとつ持たないほうがよい、と言う。糂汰瓶とは、ぬかみそを漬ける壺をいい、価値のない壺のことである。結局、この世に一切の執着を捨て去ってこそあの世で幸福になれると言うのだ。仏教でいう全ての執着心を取り去れということを具体的に言っている。



片や、ギリシャではセネカに代表されるストア派やアレキサンダー大王に、『日影になるからそこをどいてくれ』といったディオゲネスに代表される犬儒派(キュニコス派)がこの考えに近い。さらに、世間で快楽派と呼ばれているエピキュリアン(エピクロス派)はこれ以上に世俗的な欲望を一切振り切っている。日本のみならず世界中で完全に誤解されているが、快楽主義を標榜したといわれるエピクロス(Epicurus)は極めて質素な生活を善しとした。

紀元3世紀に生きたギリシャのディオゲネス・ラエルティオス(Diogenes Laertius)の『ギリシア哲学者列伝』(10.11)に拠るとエピクロスは次のように述べたと言われている。

『(私には)水とわずかばかりのパンがあれば十分だ。チーズの小さい壺を送ってくれ。そうすれば、いつでもすきな時に宴会を催せる。』

このようにギリシャ人の中には質素に暮らすことが、とりもなおさず快楽であると見い出した賢人がいる。

ギリシャから中国に目を向けてみよう。

現在の中国は、金の亡者のような人ばかりのような印象を受けるが、過去には質素を旨とした人がいたことが分かる。斉の宰相であった晏嬰(字を晏平仲という)は一枚の狐の毛皮をぼろぼろになるまで30年も使っていたと言う。(一狐裘三十年、いちこきゅう、30ねん)

2004年にノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイ女史は『もったいない』という日本語を世界に広めたが、本家本元の日本が『もったいない』と言う言葉と同時にその概念をも忘れてしまっているのは、恥ずかしいを通りこしているのではないか、と私には思える。
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エピクロス ディオゲネス ワンガリ・マータイ アレキサンダー大王 ギリシャ人
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