日本の書店では、西洋哲学のコーナー・棚はあるものの、東洋哲学のコーナー・棚は無いという。『東洋哲学』ではなく『東洋思想』と言い慣わされているようだ。つまり、東洋思想は学問的レベルからいうと西洋哲学のような厳密度が足りないとの理由だろう。
私自身にとってはこのような世間的な使い分けはあまり意味をなさない。と言うのは、学生のころから東洋、西洋の両方の思想・哲学に関心を持って、いろいろと読んできた。それから 30年経って、客観的にはどうか分からないが、ともかくも自分自身が納得するまでレベルにまで至った。
まず東洋世界の思想といえば、中国とインドが双璧をなす。インドにはバラモン教の経典であるヴェーダと呼ばれる哲学書がある。その中でもウパニシャッドはショーペンハウアーの愛読書であったことで有名だ。ショーペンハウアーによると、ウパニシャッドの根本思想は、情念の滅却らしいが、私は何度か読んだにも拘らず、まだバラモン思想は理解できないでいる。
一方、中国哲学に関しては私は学生時代から幅広く、かつ何度も読んだので、一応の理解はしているつもりだ。中国はエジプトやギリシャと並んで、思想に関しては極端なトップ・ヘビーな文明である。(トップ・ヘビーな文明とは、古代にその文明の精華が固まって発現していることをさす。)つまり、中国思想は基本的に春秋戦国時代(紀元前3世紀まで)にあらゆる流派が出尽くしているのだ。その後の2000年、中国の哲学は朱子や王陽明など数人を除いて完全にストップしたと言って過言ではない。形而上学的な点では、宋代に二程子や朱子が太極から始まる宇宙生成について論じたが、結局、なんらの目ぼしい真理も見出せず、単に煩雑で不毛な議論の材料を提供したに止まった。これは、彼らの論法が実証性に乏しく、極めて恣意的な主観に過ぎなかったからである。
従って、普通言われている東洋思想とは、春秋戦国、とりわけ戦国の諸子百家のものを指す。当時の社会は戦争や自然災害が頻発していたが、それに翻弄されていた人たちは人間の生き方、とりわけ『平和に人生を全うしたい』と望んでいた。この非常にプリミティブな欲求に対する回答がそれぞれの流派であった。それ故、諸子百家の哲学は、『人として生き方』に対する回答であった。
それ故、諸子百家の哲学は、ギリシャ人が抱いていた自然現象や形而上学的な疑問(例えば:『存在』は人間には理解できるのだろうか?)とは異なり、端的に『人として生き方』に焦点があった。

さて、西洋の哲学についてその発展を見てみよう。
西洋哲学の遡源は紀元前5世紀のギリシャにある。当初は、タレスやヘラクレイトスのような自然現象の解明しようとした哲学者や、ピタゴラスのように数学が世界の基盤と考える数理哲学者がいた。しかし西洋哲学の祖であるソクラテスは『人の生き方』の探求した時にディアレクティケー(問答法)を真理探究の道具として編み出してから、キリスト教も含めて、西洋では『人の生き方』だけでなく、いわゆる形而上学(物の存在、神の性質)が発展した。
中世(13世紀)になって、論理学を神学に援用して、特にトマス・アクィナスが神の数々の性質を論理的に証明した(とトマスが主張した)ことから、哲学論議が煩雑で不毛な難解術語の応酬となった。その後、ルネッサンス以降の科学の発達とともに哲学も科学の衣をまとい、寸分の隙もない精緻な論理展開が志向されるようになった。その結果、ドイツ観念論哲学者たち、具体的にはカント、ヘーゲル、ハイデッガー、フッサールのように、一読しただけでは、一体何を書いているのか全く理解に苦しむような文章、考え方が『哲学の本道』と称されるようになった。(もっとも、私にとっては、カントの『純粋理性批判』は非常に啓示的であったことは以前のブログに書いたが、一般的には、読むことを薦められない。)
【参照ブログ】沂風詠録:(第87回目)『私の語学学習(その21)』
さて、話は変るが、ジョゼフ・ニーダムというイギリスはケンブリッジ大学の化学者がいた。しかし、ニーダムは化学者より、中国の科学発達史の研究者および啓蒙者としての方が遥かに有名であろう。
【参照ブログ】
沂風詠録:(第156回目)『国際人のグローバル・リテラシーのテーマについて(その8)』
【2011年度授業】『国際人のグローバル・リテラシー(11)』
彼は『中国の科学と文明』というプロジェクトを企画し主導し、中国の科学技術の発展を網羅的に調べ上げようとした。このプロジェクトの根底の目的は、ニーダムが抱いた個人的な疑問に対する回答を見つけることであった。即ち:
『中国の科学技術は早い段階で高いレベルに到達していたにも拘わらずどうして西洋に負けたのか?』(Why China had been overtaken by the West in science and technology, despite its earlier successes?)
私は十年近く前にニーダムを知ったのだが、ニーダムのこの疑問は同じく私の疑問でもあった。考えていくと、この疑問は、ニーダムが対象とした科学技術だけでなく、広く西洋と中国(および日本)の思想の根幹に拘る問題であることを発見するにいたった。つまり、科学や哲学に限らず、もっと幅広く文明のあらゆる局面に見られる考え方が西洋と東洋では異なる。
私のニーダムの疑問に対する答えは西洋では『原理・法則の追求』するが、中国(および日本)はそうでない、というものである。
この『原理・法則の追求』という意味を説明しよう。西洋では、現象を単に観察するだけではなくその現象を引き起こす原因を探ろうとする欲求が必ず根底にある。さらに、その原因を見つけたら、現象と原因の間の因果関係を考え、それから普遍性のある原理・法則を導きだそうとする。この良い例が、天文学であろう。中国でも古代から天体観測は行われ、日食や月食の正確な記録も残し、予測も盛んであった。しかし、中国では天体運動に関するまともな理論は遂に作られなかった。一方、ギリシャではよく知られるようにプトレマイオスは幾つもの複雑な周転円を用いて、天体の運行の原理(天動説)を打ち立てた。
これだけに限らず、西洋人の『原理・法則の追求』には次のような事例が挙げられる。
○プラトンのイデア論
○アリストテレスの宇宙論
○ユークリッドの幾何学
○ガレノスのプネウマ理論
○トマス・アクィナスの神学大全
○ケプラーの天体の運動法則
○マルクスの唯物史観
○ケインズの経済理論
○フロイトの夢理論
○アインシュタインの相対性理論
これらの理論には間違ったもの(誤謬)もある。しかし、誤謬は修正されたり、あるいは全く新しい理論によって置き換えられたりしながら、時とともに段々と的確なものになっていく。結局こういった西洋の飽くなき『原理・法則の追求』の強い意志が、中国(および日本)の思想風土に欠けていたことが、西洋以外の土地で近代科学技術が発達しなかったことの理由、つまりニーダムの疑問に対する回答、であると私は考える。ここから言えるのは、思想や哲学だけでなく、科学技術の発展についても各文明のもつ根本的な思考形態が大きく影響していると言う事だ。
私自身にとってはこのような世間的な使い分けはあまり意味をなさない。と言うのは、学生のころから東洋、西洋の両方の思想・哲学に関心を持って、いろいろと読んできた。それから 30年経って、客観的にはどうか分からないが、ともかくも自分自身が納得するまでレベルにまで至った。
まず東洋世界の思想といえば、中国とインドが双璧をなす。インドにはバラモン教の経典であるヴェーダと呼ばれる哲学書がある。その中でもウパニシャッドはショーペンハウアーの愛読書であったことで有名だ。ショーペンハウアーによると、ウパニシャッドの根本思想は、情念の滅却らしいが、私は何度か読んだにも拘らず、まだバラモン思想は理解できないでいる。
一方、中国哲学に関しては私は学生時代から幅広く、かつ何度も読んだので、一応の理解はしているつもりだ。中国はエジプトやギリシャと並んで、思想に関しては極端なトップ・ヘビーな文明である。(トップ・ヘビーな文明とは、古代にその文明の精華が固まって発現していることをさす。)つまり、中国思想は基本的に春秋戦国時代(紀元前3世紀まで)にあらゆる流派が出尽くしているのだ。その後の2000年、中国の哲学は朱子や王陽明など数人を除いて完全にストップしたと言って過言ではない。形而上学的な点では、宋代に二程子や朱子が太極から始まる宇宙生成について論じたが、結局、なんらの目ぼしい真理も見出せず、単に煩雑で不毛な議論の材料を提供したに止まった。これは、彼らの論法が実証性に乏しく、極めて恣意的な主観に過ぎなかったからである。
従って、普通言われている東洋思想とは、春秋戦国、とりわけ戦国の諸子百家のものを指す。当時の社会は戦争や自然災害が頻発していたが、それに翻弄されていた人たちは人間の生き方、とりわけ『平和に人生を全うしたい』と望んでいた。この非常にプリミティブな欲求に対する回答がそれぞれの流派であった。それ故、諸子百家の哲学は、『人として生き方』に対する回答であった。
それ故、諸子百家の哲学は、ギリシャ人が抱いていた自然現象や形而上学的な疑問(例えば:『存在』は人間には理解できるのだろうか?)とは異なり、端的に『人として生き方』に焦点があった。

さて、西洋の哲学についてその発展を見てみよう。
西洋哲学の遡源は紀元前5世紀のギリシャにある。当初は、タレスやヘラクレイトスのような自然現象の解明しようとした哲学者や、ピタゴラスのように数学が世界の基盤と考える数理哲学者がいた。しかし西洋哲学の祖であるソクラテスは『人の生き方』の探求した時にディアレクティケー(問答法)を真理探究の道具として編み出してから、キリスト教も含めて、西洋では『人の生き方』だけでなく、いわゆる形而上学(物の存在、神の性質)が発展した。
中世(13世紀)になって、論理学を神学に援用して、特にトマス・アクィナスが神の数々の性質を論理的に証明した(とトマスが主張した)ことから、哲学論議が煩雑で不毛な難解術語の応酬となった。その後、ルネッサンス以降の科学の発達とともに哲学も科学の衣をまとい、寸分の隙もない精緻な論理展開が志向されるようになった。その結果、ドイツ観念論哲学者たち、具体的にはカント、ヘーゲル、ハイデッガー、フッサールのように、一読しただけでは、一体何を書いているのか全く理解に苦しむような文章、考え方が『哲学の本道』と称されるようになった。(もっとも、私にとっては、カントの『純粋理性批判』は非常に啓示的であったことは以前のブログに書いたが、一般的には、読むことを薦められない。)
【参照ブログ】沂風詠録:(第87回目)『私の語学学習(その21)』
さて、話は変るが、ジョゼフ・ニーダムというイギリスはケンブリッジ大学の化学者がいた。しかし、ニーダムは化学者より、中国の科学発達史の研究者および啓蒙者としての方が遥かに有名であろう。
【参照ブログ】
沂風詠録:(第156回目)『国際人のグローバル・リテラシーのテーマについて(その8)』
【2011年度授業】『国際人のグローバル・リテラシー(11)』
彼は『中国の科学と文明』というプロジェクトを企画し主導し、中国の科学技術の発展を網羅的に調べ上げようとした。このプロジェクトの根底の目的は、ニーダムが抱いた個人的な疑問に対する回答を見つけることであった。即ち:
『中国の科学技術は早い段階で高いレベルに到達していたにも拘わらずどうして西洋に負けたのか?』(Why China had been overtaken by the West in science and technology, despite its earlier successes?)
私は十年近く前にニーダムを知ったのだが、ニーダムのこの疑問は同じく私の疑問でもあった。考えていくと、この疑問は、ニーダムが対象とした科学技術だけでなく、広く西洋と中国(および日本)の思想の根幹に拘る問題であることを発見するにいたった。つまり、科学や哲学に限らず、もっと幅広く文明のあらゆる局面に見られる考え方が西洋と東洋では異なる。
私のニーダムの疑問に対する答えは西洋では『原理・法則の追求』するが、中国(および日本)はそうでない、というものである。
この『原理・法則の追求』という意味を説明しよう。西洋では、現象を単に観察するだけではなくその現象を引き起こす原因を探ろうとする欲求が必ず根底にある。さらに、その原因を見つけたら、現象と原因の間の因果関係を考え、それから普遍性のある原理・法則を導きだそうとする。この良い例が、天文学であろう。中国でも古代から天体観測は行われ、日食や月食の正確な記録も残し、予測も盛んであった。しかし、中国では天体運動に関するまともな理論は遂に作られなかった。一方、ギリシャではよく知られるようにプトレマイオスは幾つもの複雑な周転円を用いて、天体の運行の原理(天動説)を打ち立てた。
これだけに限らず、西洋人の『原理・法則の追求』には次のような事例が挙げられる。
○プラトンのイデア論
○アリストテレスの宇宙論
○ユークリッドの幾何学
○ガレノスのプネウマ理論
○トマス・アクィナスの神学大全
○ケプラーの天体の運動法則
○マルクスの唯物史観
○ケインズの経済理論
○フロイトの夢理論
○アインシュタインの相対性理論
これらの理論には間違ったもの(誤謬)もある。しかし、誤謬は修正されたり、あるいは全く新しい理論によって置き換えられたりしながら、時とともに段々と的確なものになっていく。結局こういった西洋の飽くなき『原理・法則の追求』の強い意志が、中国(および日本)の思想風土に欠けていたことが、西洋以外の土地で近代科学技術が発達しなかったことの理由、つまりニーダムの疑問に対する回答、であると私は考える。ここから言えるのは、思想や哲学だけでなく、科学技術の発展についても各文明のもつ根本的な思考形態が大きく影響していると言う事だ。










