限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第164回目)『泥棒に入られた時の対応に見る宗教・思想の差』

2015-04-26 20:12:24 | 日記
世界には3大宗教としてキリスト教、イスラム教、仏教がある。日本には、これ以外に中国から儒教という思想が入ってきた。中国にはさらに道家や法家のような思想もあった。これらの宗教・思想に関する解説本は数知れないほどあり、一体どういう教えを説いたのかを理解するのはなかなか大変だ。それで、この稿では私が理解した範囲で、それぞれの宗教・思想の特徴をワシづかみで示そうと思う。

この時、それぞれの宗教・思想の理念を教科書的に羅列するのではなく、
 『泥棒に入られた時にどういう態度・対応をとるか』
という仮想的な状況を考えてみたい。なおこの時取る態度というのは、純粋に宗教や思想の観点からであって法律的観点ではないことを承知されたし。

世界の3大宗教

【キリスト教】
泥棒はよほど困っていたのだろう。貧民に自分の持ち物を分け与えるのは神のみ心にかなうことであるから、泥棒にでも喜んで分け与えよう。

【イスラム】
アッラーの神は、金持ちが喜捨することを喜ばれる。今回の泥棒に対しては、自分は自発的ではないが、結果的に喜捨したことになるので、喜ぶべきことだ。

【仏教】
このような被害にあったのは、前世の因縁だ。被害はしかたない。取られたものにこだわるのはよくないことだとブッダもおっしゃっている。すっぱりと忘れるのがよいことだ。


【出典】Buddhist Jokes

中国の思想

【儒教】
『積善之家、必有余慶』(善い行いをしている人の家には必ず良い事がおこる)というように泥棒に逢うというのは、私の人格のどこかに足りない点があったのが原因だ。今後は、私自分を磨くことによって、世間の全ての人を感化して、二度と盗みをする人がないような世の中を作っていこう。

【道家】
『蟻慕羊肉、羊肉羶也』(蟻が羊肉に群がるのは羊肉がなまぐさいからだ)というように、そもそも、私の家に泥棒が入るのは泥棒が欲しがるような金目のものがあるからだそのような金目のものは捨ててしまえば、泥棒が入るはずがない。

【法家】
泥棒に入られないたのは、私の家の警備体制に不備があったためだ。今後はこういうことがないように、どんな些細な侵入でも検出し、即時に泥棒を捕まえるシステムを作ろう。さらには、泥棒をすることが決して得にならないような法整備を整えよう。

どうだろう、それぞれの宗教・思想の特徴というのは、このようにある状況に応じてとる態度の比較でよく分かるのではないだろうか?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする