限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第226回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その14)』

2014-03-09 22:28:24 | 日記
前回

 『流行の経営本ではなく、科学史・技術史を(4)』

【科学史と技術史から日本文化の本質を探る】

通常、日本人の特性を考える時に神道、仏教、儒教といった思弁的なもの、つまり思想・哲学・宗教の観点から考えがちである。私はそれよりも、日本人が得意とする手を動かした工芸や技術からの方がよく分かると考えている。つまり日本文化の本質は物(ぶつ)に色濃く反映されているのである。とりわけ、中国や朝鮮と日本を思想面から比較しても差異は見つけにくいが、物(ぶつ)に対する取り組み方を比較することで差異が非常にくっきりと分かる。
 (注:ここで『朝鮮』というのは、現在の韓国や北朝鮮だけでなく、歴史的な王朝である高麗や李氏朝鮮の総称として用いる。)

この意味で、日本文化の本質を探るためには日本と中国・朝鮮の両方の科学史と技術史を知る必要がある。しかし、科学や技術の各部門を専門的に細かく研究する必要はない。科学や技術がそれぞれの社会でどのように受け入れられ発展したかというストーリーをもって、大きなくくりでとらえることができれば良い。その上で、比較に重点を置いて考えることで、日本文化の本質を知ることが可能となる。

【江戸時代の西洋人から見た日本の技術】

比較という観点から言うと、江戸時代に日本を訪問した西洋人の旅行記が日本文化の本質を理解するうえで非常に有益な情報を提供してくれる。彼らの眼に映った日本の工芸や技術を通して日本人自身が気付かなかった日本文化の本質が鮮やかに照射されている。その例を2つ紹介したい。

長崎の出島に滞在していたオランダ人は定期的に江戸まで旅行し、将軍に見えることが義務づけられていた。(1609年から1850年まで合計166回)その道中で日本社会の実態を見聞した内容を江戸参府日記として書き残した。有名なものとしてはケンペル、ツュンベリー(ツーンベルク)、シーボルトのものがある。

ツュンベリーが1775年に長崎から江戸まで旅行した際に日本の田畑の風景をみて雑草が一本も生えていないことに驚いている。
○In most of the fields, which were now sowed, I could not discover the least trace of weeds, not even throughout whole provinces.A traveler would be apt to imagine that no weeds grew in Japan but the industrious farmers pull them diligently up, so that the most sharp-sighted botanist can hardly discover any uncommon plant in their well-cultivated fields.
(国の端から端まで、田畑には雑草が一本も見つからない。なるほど、この国では農地に雑草が生えない、と外国人は考えるかもしれないが、それは農夫が丹念に引き抜くからに他ならない。どんなに鋭敏な観察眼をもった植物学者でもわずか一本の雑草すら見つけることができない。)



ツュンベリーのこの観察から、日本人は農業を経済的活動としてとらえていないことがわかる。丹念な草むしりは経済効率を度外視した園芸的活動だ。この『園芸的メンタリティー』は農業だけにとどまらず、日本のあらゆる分野に見られる。芸道における『道』という単語でその概念が表わされている。

日本の開国に大きな役割を果たしたペリー提督は1854年に再度来航したが、わずか2ヶ月足らずの滞在であったにも拘らず、日本の状況について詳細な報告書を作成した。その中で既に日本の製造業の本質を次のように指摘している。
○In the practical and mechanical arts, the Japanese show great dexterity; and when the rudeness of their tools and their imperfect knowledge of machinery are considered, the perfection of their manual skill appears marvelous. Their handicraftsmen are as expert as any in the world, and, with a freer development of the inventive powers of the people, the Japanese would not remain long behind the most successful manufacturing nation.
(使っている道具の粗末さ、や機械工作についての知識のなさから考えると、出来上がったものの完璧さには驚く。。。日本は遠からず世界の工業のトップの国々の仲間入りするであろう。)

○As in the carpentry, so in the masonry, there was no freedom nor boldness of conception, but the most complete execution.
(大工にしても石屋にしても、出来栄えは完全だが、奇抜さや大胆さが全く見られない。)

短期間の滞在で、しかも限られた見聞の範囲で、日本の工業の発展を正確に予測しているし、また日本の工芸師の長所と短所を的確に指摘していることには、驚嘆する。 150年前の長所と短所が今なお両方とも存在していることから考えて、文化の力というのは数百年単位ではびくともしない牢固なものだと分る。

【道具に見るアナログとデジタル】

日本で使われている日用品や道具を西洋のものと比較すると、ある一定の傾向がみられる。日本はアナログ的であり、西洋はデジタル的である。具体的な物で言うと下図のようになる。



この対比から、日本のアナログ的(柔軟)な物の考えと西洋のデジタル的(確定的)な物の考え方が一貫していることに気が付く。つまり、ある思いつきでアナログであったりデジタルであったりするのではなく、一貫してアナログないしデジタルであるのだ。一見表層的に見えるこれら道具類の差は、両文化の根源的な発想の差に由来しているのである。

【道具に技巧をビルトインする西洋の発想】

アナログ的な道具とデジタル的な道具では、機能がビルトインされているか否かの違いがある。デジタル的な道具には機能そのものがビルトインされている。それでデジタル的な道具は、未習熟者でも最初からある程度使いこなせるが、時間がたっても習熟度はあまり向上しない。一方、アナログ的な道具は、最初は使いこなせないが、時間の経緯とともに習熟度が向上し、個人の練習次第ではデジタル的な道具より遥かに高度なことができるようになる。その端的な例としては、箸とフォーク、水撒きにつかう、ひしゃく(杓)とジョウロ、琴とハープなどを考えるとよい。この考察から西洋文化の根底には、『道具に技巧をビルトインする発想』があり、日本文化の根底には、『技巧を各人が修行を通して習得する発想』の根本的差異があることが分かる。

【『虜人日記』に見る日本人の職人気質】

第二次世界大戦の時、数多くの日本軍兵士が米英軍の収容所の収容されたが、その時の様子を描いた本に小松真一の『虜人日記』と会田雄次の『アーロン収容所』がある。この2冊の本には、期せずして日本人の優れた職人わざが同じように書かれている。それは捕虜となった日本人が捕虜収容所の中で、ろくな道具や材料が無いにも拘らず、みごとなシガレットケースや戦闘機の模型を作ったのだ。それも一人二人ではなく、収容所全体で展示会が行われるほど盛んだったということだ。また『虜人日記』によると、小松氏が携わったフィリピンでの酒精工場では車用の酒精にも拘らず、不当に高い品質にこだわっていたと書かれている。この2つの事例から日本文化に根付く芸道を好む気質と完璧さを目指す職人気質をみることができる。

続く。。。
コメント (1)
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