7月27日、
直江津祇園祭も2日目となりました。
今日は、町内へ屋台の巡行
沢山の町内の皆様から、暖かい言葉や祝儀をいただき
多くのご支援をいただきながら、今年も
屋台を出せることに感謝し、町内を巡行いたしました。
午後からは五智方面、信越線の跨線橋はきつかった。
かじ棒のお二人には気の毒なほどでした。
夜は、恒例の沖見町へご挨拶。
これは、町内で屋台が無い時代に手作りの屋台を作り東町へ
出かけたところ、八坂様の氏子でもない町内は祭りに参加NGと
言われたのがきっかけで、当時の青年会の方が沖見町と調整頂き
沖見町の好意で、沖見町にあった屋台を一台いただき
晴れて氏子にもなり、直江津祇園祭の仲間になれて
子供たちが喜びながら巡行させていただいてることの
ありがたさをお伝えに、毎年感謝の挨拶に伺っているものです。
屋台は10年前に皆様のご協力で何十年の歳月をかけて
少しづつ蓄えてきたお金で、新しくなりましたが
気持ちは今も変わらず、現在の青年会に引き継いでいます。
時代は変わっても、東雲町のこの気持ちは忘れて欲しくないですね。
沖見町に挨拶して町内に帰る屋台(天王町地内)
直江津祇園祭も2日目となりました。
今日は、町内へ屋台の巡行
沢山の町内の皆様から、暖かい言葉や祝儀をいただき
多くのご支援をいただきながら、今年も
屋台を出せることに感謝し、町内を巡行いたしました。
午後からは五智方面、信越線の跨線橋はきつかった。
かじ棒のお二人には気の毒なほどでした。
夜は、恒例の沖見町へご挨拶。
これは、町内で屋台が無い時代に手作りの屋台を作り東町へ
出かけたところ、八坂様の氏子でもない町内は祭りに参加NGと
言われたのがきっかけで、当時の青年会の方が沖見町と調整頂き
沖見町の好意で、沖見町にあった屋台を一台いただき
晴れて氏子にもなり、直江津祇園祭の仲間になれて
子供たちが喜びながら巡行させていただいてることの
ありがたさをお伝えに、毎年感謝の挨拶に伺っているものです。
屋台は10年前に皆様のご協力で何十年の歳月をかけて
少しづつ蓄えてきたお金で、新しくなりましたが
気持ちは今も変わらず、現在の青年会に引き継いでいます。
時代は変わっても、東雲町のこの気持ちは忘れて欲しくないですね。
沖見町に挨拶して町内に帰る屋台(天王町地内)