口からホラ吹いて空を飛ぶ。

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うる星やつら(アニメ版)

2011-06-17 | アニメ

なんでいきなり「うる星やつら」かと言われても困るのですが、アレだ。
少々前の事ではあるのですが、サンデー50周年、高橋留美子連載30周年という事で制作された「ザ・障害物水泳大会」OVAを観たのですよ。
で、正直「う~む」と唸ってしまいまして。申し訳ないが悪い方向で。
「あ~俺の感覚自体当時とはズレてきたのかなあ」と、思ったのですがとりあえずと過去のアニメを見直しまして。

……思い切りハマリまくり原作も揃えるという有様に。

うる星やつら(原作)

うる星やつら(アニメ)

詳細はWikipediaを参照に、という事で。
そんでなにが違うのかいな、と色々ぐねぐねこね回して考えてこうして書き始めてみたのですが、何せ連載開始から30年ですよ。俺も実際は当時の直撃世代とは多少ズレていて、再放送組と言った方が近い。
改めて観て憶えてないもんですなー。原作も楽しい楽しい。
後は個人的な話ではあるのですが高校時代は寮生活でテレビ無しがデフォルトになりまして。自然とテレビ観ない体質というかアニメ成分の薄いオタになるという塩梅でございます。
なもんでございますから、連載を追いかけていた高橋留美子作品も、「らんま1/2」の序盤でいきなり中断というなんとも中途半端な、後になってから履修し直すといった感じで。
それはともかく。それだけの時間と比例して膨大な言説があるであろう事は間違いなく、俺がこれからくねくねしながら何書いてもとっくの昔に誰かは語ってるだろーなーとは思うのですが、それはそれとしてお付き合い下されば幸いでございます。

以下いつもの文体で。


うる星やつら。
俗に「漫画とアニメは別物」という言葉はあるが、そう割り切るのがこれだけ難しい作品は珍しいのではないだろうか。
基本1話完結のSF、ドタバタ、ナンセンス、スラップスティック、時にシリアス、時にラブストーリーなコメディ。
原作エピソードを踏襲しつつ、更なる広がりと解釈、エピソードのリミックスによって新たな世界を構築していると言える。

結論から言ってしまえば、アニメ版の本質とは原作準拠の部分ではなく、新たに付与された映像にこそあると考える。
改めてアニメを見直してみると、原作の部分は全体の内半分、大体は後半に来る事が多い。
勿論、複数のエピソードを組み合わせた回もあれば、原作が数話にまたがっている場合アニメも圧縮して1話乃至2話に纏めるという構成になっている。
そのアニメオリジナルの部分も面白い。
原作は1話16ページという構成上、テンポ良くキレのある展開で面白いのだが、反面、読者としても自明な部分、エピソードの主題と離れた部分の描写は割合あっさり描かれている部分もあったりする。
それを補完しているのがアニメなのであろう。
あくまでギャグ漫画というベースに立脚しているのが原作ならば、シリアス、とりわけラブストーリーに力点を置いているのがアニメである、と言うのは過言であろうか。
その原作側とアニメ側の絶妙なバランス感覚によって成立していたのが「アニメ、うる星やつら」だったのではないだろうか。

103放送回126話「サクラ・哀愁の幼年期」      (原作、哀愁の幼年期・サクラ)に観る丁寧に描かれたサクラの悲哀。
130放送回153話「燃えよかくし芸!この道一直線」  (原作、芸道一筋 いばら道)で語られる友引校校長の郷愁。
157放送回180話「ダーリンのやさしさが好きだっちゃ…」(原作、最後のデート)冒頭のモノトーンと少女、望のモノローグで始まる全編の切なさはどうだ。

オリジナルエピソードも興味深い。

105放送回128話「スクランブル!ラムを奪回せよ!!」、106回129話「死闘!あたるVS面堂軍団!!」

の連続2話であたる側からのラブストーリー(無理がある表現だろうか?)であるのに対し、続けて

107放送回130話「異次元空間ダーリンはどこだっちゃ!?」

でラム側からのストーリーを展開するという粋な構成となっている。
これも他のエピソードにおけるコメディー、ギャグが冴え渡っているからこそ、その威力を増すのだが。

アニメうる星やつらで印象に残す演出に「止め絵、背景の描写と郷愁を誘う音楽」というのがある。
通常であれば冗長であからさまな尺稼ぎと言われてもしょうがないのだが、うる星やつらの場合それが非常に映えるのだ。
勿論全部素晴らしいと言う訳でもなく、「いや、これはちょっと…」という部分もある。
それでも全体で見るとしっとりとしたラブと、キャラが存分に暴れまわるコメといったメリハリの利いた映像になっているのだ。
これは1話完結の最大の利点で、連続したストーリー物だと難しいのではないかと思う。

そこで冒頭の「障害物水泳大会」を振り返ってみると、やはり作り手が違う以上、作品に流れる空気感が違うのは当然で、当時シリーズ全編に漂っていた詩情、叙情が失われていたのも致し方ないのかもしれない。それ以前にエピソードを詰め込み、キャラの顔見せで終わった、という部分もあったと思う。

ただ、当時のアニメ版にしても原作を改変しすぎではないか、というエピソードもある。

91放送回114話「ドキュメント・ミス友引は誰だ!?」     (原作、ミス友引コンテスト;予備選~結果発表まで全5話)は原作と主題が完全に入れ替わり、友引町とあたるの政治的暗躍に終始し、
151放送回174話「退屈シンドローム!友引町はいずこへ!?」(原作、更け行く秋のイモの悲しさ)などは、焼きイモから端を発したあたるとラムのちょっと良い話の筈が訳の判らない投げっぱなしの妄想SFとなっていたりする。

これもうる星やつらという作品が質の高いラブコメであると同時に「何でも有り」の保障がある実験アニメの側面もあったからだと思うのだが。
現在に繋がる不条理、実験、暴走系ギャグのスタンダード、クラシックを確立したと言えるのもこの作品だったのではないだろうか。



それではちょっと長くなってきたのでこの辺で終わろうかと思う。本当は「押井守」「ビューティフルドリーマー」といった方向でも書こうかと思ったがまとまらなくなりそうなのでこの辺で。
ではでは。

コメント
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