★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

みんなで書こう領収書

2016-10-09 15:52:23 | ニュース


領収書を金を払った側が書いていい、国会で大臣が「法的に問題ない」とか言ってたとか、ふつーなら内閣やら何やらが吹っ飛ぶ事態だと思うのであるが、最近は、ポンチ組織図で上の方に書いてある組織の会議で決まった(ていうか、本当は決めてすらいなくて、もう「決まっていた」ことを教育するだけの機関を会議体と称しているだけなのであるが)ことは、1ミリも動かせない、言うこと聞かない奴の方が頭が悪いと言わんばかりの態度をとる、頭が腐った連中がボウフラのように湧いてきているので、もう我々は何も驚かなくなってきている。会議ですらなかなか完全に物事は決まらず推移してゆくのが民主主義なのに、会議の「合意形成(笑)」によってルールが決まると思い込む、ファシズムの特徴じゃねえか……。行き着く先は、決まるまでの過程の完全秘密化である。

しかし、彼らは頭が腐っているわけではないのである。「地位を得た人間は必然的に発狂する」という人間の基本法則が発動しているだけである。もうどうしようもないのであるが、今回の領収書の件も、よくよく考えてみると、偉くなると、自分でコントロールできないものが許せなくなるのであろう。それで、領収書なんかも自分で値段を書きたいのではないだろうか。彼らは、予算編成に関わっている。これは根本的に、物の値段を自分たちで決定することである。その真意は、「この範囲で何とかしろ」であるから。だから、領収書なんかも「この値段で手を打ちたい」とつい書いてしまうのであろう。

でも、地位がなくても発狂している人もいました。(前言撤回)

財源がない場合も子ども手当は出ないが、軍事費は出るらしいのであるが、確かに、戦前はそうだった。兵站は出ないがゼロ戦なんかも安くつくれ、であった。で、坂口安吾の言うように、戦後は戦後で、民主主義を自由ではなく会議の権力だと思った人々の横暴で、「いつたいに左翼的な人たちはみんな役人型であり、ファッショ型だと思へば間違ひがない」(「新カナヅカヒの問題」)という感じである。

数日前、朝日新聞で三人のお偉方が「いじめ問題」について語っていたが、三人ともいじめを積極的にやるべしと言っていた。曲解ではなく、私にはそうとしか読めないのである。たぶん、そんなことを彼らは一生分からないであろう。


最新の画像もっと見る