★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

藤森神社を訪ねる(香川の神社89)

2017-10-19 19:30:00 | 神社仏閣
西野カナと教育勅語、そして「舞姫」の関係を講義しに行く前に寄りました。街中の神社です。


注連石は昭和六十年。



大井戸水神社、亀井戸神社に続く、レノン=マッカートニーならぬ、高俊=頼重水道とも言うべき井戸の遺構である。藤蔓があったから藤森神社だそうだ。いつからの名称だろう……

『香川県神社誌』をみると、井戸のまわりに藤蔓があったというより、藤蔓があるので藤森神社、その境内には井戸があって……という書き方であった。また、戦前のこの神社には神門、拝殿、中殿、本殿、社務所が揃っていたらしいし、琴平神社が境内に入っていたらしい。空襲でやけたんだろうね……。村上金右衛門家記には、生駒さんが宇多津から高松に移ったときにその住居裏に鎮守があって「不思議に人々信仰致候に付西手に突出し……追々繁昌相成申候」らしい。不思議だ……。その後は、寛延年間に改築、明治二〇年に再建らしい。玉藻集には「藤森荒神」はもともと「庄内ノ野外田畑ノ中」にあったらしいが、今のところに移ってきたという。どうやら荒神様だったらしいですね、だから神様が竈の神様なわけだ。

http://www.kamatamare.jp/news/2012/05/post-835.html

「藤まつり」ってやってるらしい。

わたくしの実家にも昔は井戸があったらしいが、我々の親の世代はまだまだ井戸に集まって――、つまり井戸端会議というものをやっていたわけである。人間そう簡単に習慣は変わらない。孤立した部屋には耐えられぬ。普段我慢しているから、集団になると欲望が爆発し、2ちゃんねるでは死ね死ね連発、安倍晋三万歳!安倍はクタバレ!みたいな感じになってしまうのである。井戸が消滅したのは実に民主主義やコミュニティにとって痛い。とはいえ、日本は井戸端会議やっても鬼畜米英、マッカーサーあんたが大将、の体たらくであったから、結局、問題なのは、勉強や法律だ。というより、多様性だ。井戸端会議に参加する人とそうでない人が昔はたぶん分かれていた。いまは、みんな一緒に井戸端ライン会議という感じだからやっかいだ。そりゃ虐めになるわ。


中に入ってみる。


竈三柱神の二人を祀っているらしい。マッカーサー以来、三種の神器などという言葉にだまされて竈神の代わりに、冷蔵庫とかテレビとか炊飯器とかが登場。考えてみれば、三種の神器というのは、そもそもそういう便利なもんかもしれないのであるが、とにかく……いまは


こんな感じの世の中です。






最新の画像もっと見る