★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

赤面逆上的混乱苦痛とともに、誤謬の訂正的発狂状態が起る(坂口安吾)

榺神社を訪ねる3(香川の神社110-3)

2017-11-12 22:51:33 | 神社仏閣
境内社はたくさんあります。まず左側から「菅原神社」、天満宮ですね、


鳥居は明治15年あたりか


筆塚。となりには、元治年間の燈籠あり。


右手に小さい社あり。

 
二人が外に出ていた……

 
牛さん二人。牛さん、いつも賽銭受けをちゃんと目の前に置いている……



「工初神社」

 

讃岐物部氏ゆかりの神社らしいですね。祭神は、手置帆負命と彦狭知命。棟上げ式のときの神様です。木工の神様。



わたくしも歩けば「金刀比羅神社」に当たる


拝殿


目が白い


立派な本殿。



「春日神社」。天児屋根命が祭神。注連石、明治39年。


阿(呍なし)

 



「稲荷神社」

 
あっち向いてコン こっち向いてコン

以上が、拝殿より随神門側の境内社である。ちなみに、神社のHPによると、これらの神社は、だいたい寛保、享保、寛文、慶応、明治あたりの創建や創立らしい。神社の集約やテーマパーク化がいつどのように起こっているのか、興味深いところである。

――ここまでは実際の太陽光が当たっていた境内である。つづく

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榺神社を訪ねる2(香川の神社110-2)

2017-11-12 21:17:52 | 神社仏閣


まんじりともせず成良は早朝から人夫たちに堤を見張らせ乙女の来るのを待ちかまえた。程なくお告げの通りチキリを抱いた白衣垂髪の乙女が現れ、「今月は大の月な小な月な」とたずねると乙女を捕らえ準備した穴に投げ込み急いで土をかぶせてしまった。不思議にも「おつげ」の通りであった。


何が「不思議」なのか知りませんが、ただの通り魔殺人でございます。しかし、白衣垂髪の乙女が夢にも現にもそう簡単に現れるものでしょうか。わたくしの下品な昼ドラ感性によって解釈するならば、その乙女は成良の妻だったのです。彼の悩むのを見るに見かねて「あなた、わたくしが人柱になります。他にも5号ぐらいまでいるんだからいいでしょう?わたしの代わりはいくらでもいるもの。」と枕元で言うので、成良も「うんむ、かたじけない」と、そんな感じではないでしょうか。

「こうして人柱の上に高く築き上げられた堤は、その後の大雨にも崩れることなく豊に二百八十町歩の実りの水をたたえている。」


よかったね。

「チキリ乙女の悲哀は決して村人の耳から消えることなく、ちょうど人柱として埋められた堤の一ヶ所はいくらつき固めても岩はだをにじみ出る水は絶えることがない。さながら乙女の悲しい運命をすすり泣くように「いわざらん、こざらん」「いわなければよかった、こなければよかった」と聞えてくるという。」

実際に手を下したのは地元のlaborer達なのだからそりゃそういうものが聞こえますよ。いまでも聞こえてるそうですよ――。聞こえてないのは、成良とか清盛とかですよ。

「その場所は後世の人たちから”いわざらこざら”と呼ばれている。」


略しましたね……

仏生山町と香川町との境の高台にある平池にまつわる物語である。その霊をここにまつり榺神社の由来となったと言う。数多い伝説の中で平池の物語は悲しくも美しい。

悲しいだけ……

ちなみに、上の田口というお方であるが、壇ノ浦の戦いで源氏に寝返り安徳天皇を入水させた原因をつくった御仁。よほど、婦女子に恨みでもあるのであろうか。起て、萬国のフェミニスト!



ちなみに、神社のホームページ http://www.chikiri-jinjya.org/about.html#iwazaraによると、

「また、神社内の境内東北の隅には、宗源壇という祈祷所が設けられて、国中に事があるときは、藩主も祈祷を行ない、お礼やお守りを配布されたこともあったといわれる。」


であるからして、もはや成良のおかげで怨霊退治の拠点になってしまった感のあるこの神社であるが、とにかく境内社が多い。山自体が境内だから(『香川県神社誌』によると六千六拾八坪)どんとこい的な感じで集めてしまったのかもしれないが、――まあ、この神社は戦前は村社なので、田村神社名そのほかと一緒で、ここに来りゃなんでもかなえるみたいな場所になっているのであろう。

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榺神社を訪ねる1(香川の神社110-1)

2017-11-12 19:09:17 | 神社仏閣
仏生山とは名は仏くさけれど、ちきり神社にやってきました。



ちきりとは、



と書く。榺は機織り道具である。祭神は、稚日女命(わかひるめのみこと)である。この人は、『日本書紀』で悲劇の人である。天下のうどの大木=暴れん坊スサノオは、ある日、わかひるめちゃんが衣を織っていたのを可愛いと思い、馬の顔を剥いだものを部屋に投げ入れた。わかひるめちゃんはびっくり仰天、陰部に機織り道具が突き刺さって死んでしまったのである。このスサノオとは、この前に、すでに神殿に脱糞(ゲロという説もあり)、田んぼを荒らすなど、いろいろやらかしておったのであるが、アマテラスは優しいのか馬鹿なのか、これを許していた。まあまだ征服していなかったのであろう。しかし、このわかひるめちゃんの事件には激怒。つい、勢い余って岩屋戸にお隠れになってしまった。しかし、ストリッパー作戦によって……(以下略)

わたくしの下品な感性によって、この挿話を解釈するに、スサノオとアマテラスははじめ違う国の首領であったが、戦争しているうちに、話し合いで決着しようということになり、つい神殿のなかで男女の仲となってしまったのではなかろうか。アマテラスはそれを隠蔽するために、スサノオの脱糞だの田んぼ荒らしなどのエピソードを振りまきながら、ついに秘密の出産のために岩屋戸にお隠れになったのである。おぎゃあおぎゃあとどうみても聞こえてくるのを部下のやおろず達はびっくり仰天。おいそこのお前、とりあえず、脱いでどんちゃん騒ぎだよ、あれまずいだろ誰の子だよ何スサノオ?まずいだろうがよ、そりゃ、それどんちゃんどんちゃん。そんな神々の黄昏をみていた語り部が、陰部に機織りが突き刺さって死んだ女神(つまりスサノオとアレしてしまったあれ)のエピソードをつくる。これだけは忘れてはならぬ、と言われたその語り部の子孫が日本書紀の編纂者。このときとばかりに、つじつまの合わないエピソードを入れ込み……。『古事記』は名前は明かさずにただ陰部に機織り道具が刺さった織女というエピソードにとどめておいたが、人間、隠していた神(真)実を言いたくなるものである。

  
西の鳥居から登ってゆくと、狛犬さんが居た

  
いろいろ並んでいるが、さりげなく狛犬さんも混じっている。

神社に入る前にそこは展望台である。

  

仏生山の雌山にある。はじめは、近くの池の中州にあったのであるが、池の工事で水没するんで、雄山に移した。しかし、そこを松平家が法然寺(墓所)とするとか言いだし、追い出されたのである。わかひるめさんは、池や松より弱かったのであった。ともかく、山の頂上にあるのでいろいろな登り口がある。

   


でっかい随神門


拝殿

 
燈籠がたくさんあります。一つ一つをチェックする余裕がありませぬ……


高松市内を睥睨するための文明の利器まであります。覗いてみましょう……




本殿

そういえば、この神社には恐ろしすぎる由縁があります(ともったいぶってますが有名なアレです)

案内板に曰く、

「悲しく美しい人柱」

「およそ八百年の昔、治水二年村人達は深い憂いに沈んでいた。というのは平池の堤は幾度築いても雨が降るたびに崩れ田畑は水に流されて普請奉行の阿波の民部田口成良も難工事にホトホトもてあましていた。 」


「ホトホト」……かわいくしてますが、村人は生きるか死ぬかなんですわぃ。

「今日も京都の都からは平清盛の厳命が届いたばかり。その晩疲れはてて眠りもやらぬ成良の枕辺に白衣垂髪の女神があらわれ、不思議なお告げを残して姿を消した。」

清盛は命令ばっかりしやがって、なにが「治水して★まいります」、「一億総★溜め池計画であります」、「わたくしがはげているというのはイメージ操作なんでありまして」、「わたくしが、わたくしがですね、旱魃に関わっているということになれば、すぐにでも辞めるということは、ここではっきりと申し上げておきたい」、「こんな旱魃たちには負ける訳にはいかないっ」だよ。こっちはもう何人も死んでるつうのに、なにこの讃岐とかいう處、全く雨降らねえわ、と思えば降りゃ洪水だわ、あー人柱も残ってねえわ」と眠っていたところ、やはり出ました願望の女神。

「あすの牛の刻白衣垂髪の乙女が械のチキリを持って通るであろう、その乙女を人柱として堤に埋めれば工事はきっと成就する」というのであった。


もはや成良もスサノオのように暴れたい気分だったのでしょう。フロイト先生に見てもらえば、ものすごくイヤらしい診断をしたにちがいありません。最近の殺人事件などメじゃないほどの。

  

――つづく

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榺神社?御旅所前の地蔵さんを訪ねる(香川の地蔵15)

2017-11-12 17:23:32 | 神社仏閣
 
御幸町の御旅所にちゃんと祠がある。


となりに地神さん

御旅所の前方は公園になっていて、道路沿いには……

 

右は、「河田先生之碑」。河野喜太郎、大正期の香川の教育者で永井愛太郎というのがいたが、その人の先生みたいだね……要調査。


子育て地蔵さんかな……



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見返地蔵堂を訪ねる(香川の地蔵14)

2017-11-12 16:39:23 | 神社仏閣
廻れば見返地蔵堂いと高き、仏生山とは名は佛くさけれど、さりとは――

 

法然寺の案内板に曰く、

「地蔵菩薩は、地獄道や餓鬼道など、往生できない人々が生死を繰り返して苦しみを繰り返しあじわう六道をめぐって人々を救済する菩薩です。他の菩薩とは異なり、お坊さんのような姿で、他の菩薩とは容姿が異なるのが特徴です。」


そんな素晴らしい人あったことはないが……。往生できないどころか、試験、仕事、家庭その他で、屡々立ち往生しているのがわれわれである。さっさと何とかして頂きたい、というか、仏に頼って政府転覆――しようとした人々はいつもエラい目に遭ってきたのである。

「地蔵堂は、法然寺境内への入口である総門から道をはさんだ反対側の小高い場所に独立して建っています。そのため、門前から地蔵堂を見る時には、振り返ってみるようになります。」


法然寺と関係なく直接にここにたどりついたわたくしはどうなる?

「総門をくぐった先からはあの世が表現されており、門から地蔵堂を見る姿が、見知らぬ世界に向かう不安やこの世への未練から振り返る様子に通じることから「見返地蔵」と呼ばれるようになったのでしょう。」

あぶないあぶない。総門をくぐるとあの世に行ってしまうところでした。わたくしは、まだベアトリーチェ探しの方がいいので、ここ過ぎて悲しみの市だか何だか知りませんが、とりあえず地獄巡りはまたあとで……

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シュニトケの無名時代

2017-11-12 00:17:57 | 音楽


シュニトケの「長崎」という曲を聴き直したところ、なかなかいい曲だと思った。で、『シュニトケの無名時代』で、彼自身のこの曲についての見解を確認してみた。それにしても、米田栄作などの詩がロシア語に翻訳されていたことがおもしろいですね。5楽章の歌詞がなんか浮いてるなと思っていたのであるが、曲が先で歌詞があとだったそうだ。あと、シュニトケが余り声楽作品に興味が無いといっているところもなんとなくわかる気がした。モーツアルトとマーラーを一番尊敬しているっぽいのも面白いですね。コンプレックスがなく「自然」だから、だそうだ。

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