白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

サイパン空路コンチネンタルの時代①(1974年頃)

2010-12-01 09:06:27 | テニアン今昔
白爺が、戦後初めてテニアンに渡ったのは1974年です。
Emiiはこれより前から行っていたのですが、白爺は仕事の関係で簡単に海外への旅行は出来ませんでした。
初めて搭乗した飛行機は、1970年開港の成田空港をフライトした「コンチネンタル航空」の飛行機でした。
サイパンの空港には、まだゲートが造られていないので、飛行機から歩いてビルの中に入りました。



休みが取れない白爺も「年末年始を利用して故郷テニアン島で小学校の同窓会をしよう」という計画には不参加を言うことが出来なませんでした。
非常に無理をしましたが、終戦後初のテニアン島行きが実現しました。

              

サイパンからは小型の飛行機に乗り換えてテニアン島に渡りました。
当時のテニアン空港カウンターは、写真のように珊瑚の石とトタン板を使用して造られた建物の中にありました。
名実共に「ローカル空港」と呼ぶのに相応しい建物ですねー。



白爺達が搭乗した飛行機は「アイスランド航空」の飛行機でした。

           

建物の中に入ると、現在も飛んでいる「フリーダム航空」の掲示が見られましたが、初めてのテニアンは旅行社指定の飛行機に乗って渡りました。

 

空港の看板も「テニアン飛行場」と書かれています。
長閑でしたねー。

   

タガ族の遺跡付近の椰子の木もまだ植えて間がないようで、日陰はつくられていませんでした。
遺族が建てた慰霊碑の数も少なく、まだ日本から来る人も少なかったのだと思われました。

               

それでも市長を務めたボロアさんを中心にして、チャムロの人たちはテニアン小学校の卒業生を歓迎してくれました。
白爺がチャムロ料理を食べたのはこのときが最初でした。


         


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