宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

宇宙のファンタジー

2006年03月21日 | 追憶





私は好きな曲なら何時間でもその曲だけを聴いていられる性格である。

昨日店番をしていて、いつもなら店内に流しっぱなしのFM放送を聞き流しているのだが、ふと、CDをかけたくなった。
それもアップテンポなそれが良かろうと、手にしたのがEW&F。

何曲目かにかかった宇宙のファンタジー(原題Fantasy)でスイッチが入った。
私は妙にこの曲が好きだ。
特に、正規のそれよりも、レーザーディスク(古!)のソフトでライブの収録物があって、その中のFantasyが最高にいい。

後半に絡んでくるフィリップ・ベイリーのハイトーンな「アアアア~ア~♪」の部分のアドリブが効いていて、震えがくるほどいい。
あれこそがライブの醍醐味なのだと思う。
もう何百、何千回聴いたか知れやしない。
これからもずっと聴きたいけど、DVDの時代になっちまって、今あるレーザーディスクのプレイヤーが壊れたらどうしようかと思うくらいなのだ。
(DVDのソフトを買えばいいなんて言わないで・・・)


さて、それはそれとして、私にはこの曲がかかるともうひとつのスイッチが入る。
それは、当時のディスコ通いを思い出すのである。
通うつったって、貧乏学生の気晴らし程度だから大したことはない。
それに、確か2千円も払えば、フリータイム、フリーフード&ドリンクだったから、閉店になるまで機嫌良く遊べる場所でもあった。

私にとっては、現在の私がスナックへ行く羽目になると、おねいさんそっちのけで歌いまくるのと同じで、ストレス解消の一所作であった。
ひどいときは、鏡になった壁に向かって独りで延々と踊り続ける。
端から見れば随分異様で滑稽な様だったろうと思うが、今も当時も、私はそういうところは一向に頓着しない向きに出来ているので、汗だくになって踊り続けるのである。

そして、フロアが暗転してチークタイムの曲が流れると、テーブルに戻って、飲み食いタイムに切り替える。
また、ダンス曲になると踊る、といった繰り返しなのである。
だから、私は軟派な硬派だった(笑)


新宿にカンタベリーハウスというのがいくつかあったし、吉祥寺にはチェスターバリー?というのもあった。
主に新宿コマ劇場の奥、噴水を取り囲むビルにある店で遊んでいた。
適当に入るものだから、その辺りの店名もうろ覚えだが、無限?ムゲン?とかいう店はなんだか古めかしいイメージと、それ故にルーツのような感じがしたのを覚えている。

行き始めの大学2年の頃はステップ全盛の時代だった。
なんだか訳の分からないステップをみんなが並んで踊っているのが滑稽だった。
ソウル・ドラキュラが流行っていたっけ。
或る日、大学の帰りに仲間と寄った新宿の屋上ビアガーデンでその曲が流れた途端に、東京っ子のK松がそれに合わせてステップを踏み出したのには笑った。
とても気持ちのいい風が吹く初夏の夕暮れだった。

それから大学卒業後の社会人1年生までの約3年間、たったの3年で随分流行りは変遷したように思うが、私はそれらに惑わされることなく?好き勝手にやっていた。

この曲はそうした私のディスコ遊びもそろそろ終わりかなと思いかけてた大学4年生の頃に突然現れて大ヒットした。
(歌謡曲は、サーカスのミスターサマータイム、研ナオコのかもめはかもめ、そして、迷い道で世に出たえっと誰とかさんのカモメが飛んだ日?がヒットしてたっけ。)

この曲が流れると、フロアの熱気が一気にヒートアップするのが判った。
みんな凄く好きだったのだ。

ただ、ダンス的には、意外にスローモーな動きになっちまうのが不思議だった(笑)

私のディスコ卒業式は六本木スクエアビルのキャステルという店だった。
同郷の同級生が六本木のマンションに移って、何やらジャズダンスなんぞも習いだしたらしく、そこには有名人も来ていたらしい。
そんな関係だったかどうかは追憶の彼方だが、要はその彼女の案内で、一個連隊として参上したのである。
そこは、明らかに新宿のそれらとは一線を画した上品な造りの店になっていた。

多分これからディスコはこういう方向に向かうんだろうなあという感慨を胸に店を後にした。

そして、それから間もなく私は東京を去った・・・





思い出した、渡辺真知子だ。
字は自信がない。
彼女の後の曲に「ブルー」というのがあった。
あまりヒットしなかったが、私にはとても思い出深い曲である。
それが何故なのかはここには書かない。



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6 コメント

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懐メロ~かあ。。 (あなぐまちゃん)
2006-03-21 17:08:46
とても、懐かしい~し どの曲も好きだった

それぞれの曲に、思いがある。



私が、学生の頃、母親が、並木道子や東海林太郎etcらをテレビで楽しんでいた。

「又、懐メロ観てる・・あ~あ」 なんて思っていたな・・

でもね、母は流行歌には興味無かったけど、その頃の母と同年代になった私は倖田来未も良いと思う

いつでも、どこでも、音楽が楽しめる時代に生まれて

幸せですわ  あれ~ 話しがそれちゃった!!
いえ (チュー太郎)
2006-03-21 20:29:46
これなんぞは、私にとって、まだナツメロの類には入っていません。

私にとってのナツメロは小学校時代までですから、1960年代までですね。

三田明、橋幸夫、・・・・野口五郎。

ペギー葉山、美空ひばり・・・ちあきなおみ。

こんなラインです。



あらあら!! ごめんなさい (あなぐまちゃん)
2006-03-21 23:43:23
我娘が、当時の歌謡ショウを楽しんでいる私を見ていたらの話でした。 (懐メロ)



五郎ちゃん♪は70年代でーす!!

中学生の時大好きでした 歳ばれちゃったかな?
そうですね (チュー太郎)
2006-03-22 07:40:20
青いリンゴは中学3年のときにヒットしました。

てことは、私の定義によると、含めてはならんかな。



同年代だというのは充分察しがついてましたよ(笑)

踊りは得意じゃなかったけど (Julie)
2006-03-22 11:58:30
踊るのは得意じゃなかったんですが、高校3年の文化祭の時にスリーディグリーズが流行っていて、チャチャという踊りのステップをクラスみんなで覚えて教室で踊りました。

それがきっかけでカンタベリーハウスにも行きました。

無限と西口のゲットは踊り場のはしりでしたよね。

踊りとあの喧騒が苦手で頻繁には行きませんでしたがエネルギーが迸っていましたよね。

あぁぁ、スクエアビルの店の名前が出てこない。
あの頃 (チュー太郎)
2006-03-23 15:50:58
スリーディグリーズですか。

その前はスタイリスティックスが流行ってましたよね。

新宿は、西口住友ビルの「acb」、歌舞伎町のスコッチパブ「バグパイプ」なんぞに時々行きました。

あ、ディスコではなくパブです。

あの頃はパブが結構たくさんありました。

その前はコンパという業態が流行りましたよね。

池袋「ドラム」新宿・・忘れた(笑)

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