宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

川之江行き その2

2006年02月18日 07時35分11秒 | 宝島のこと





両親共に三島の出身なので、私は小さな頃からしばしば多喜浜駅を利用してその実家へ行った。
そんなことから、多喜浜駅とは割と馴染みのある方だと思う。




ホーム中程にあるこの待合室をバックに撮った写真がある。
それは、高校2年の夏休みだから、もう32年も前のこと。

自宅近くの友人に、二人で九州一周ヒッチハイクをしようと私が誘った。
というのも、そこから更に遡ること7~8年。
アイスクリームの卸を副業とする父親の手伝いで、長期の休みにはよく駆り出された。
その頃のある夏休みのときのこと。
国道を走っていると、当時はよくヒッチハイカーに出くわした。
こちらは近距離しか走らないし、軽トラックに二人乗っているから、乗せてあげることは出来ない。

それをやり過ごしながら、父がふとこう漏らした。
「お前もおおきなったらああいう風にするか?」
それを聞いたときから、私はそうしたいと思っていたのだ。

それは、私の中にある放浪癖と、もっと前に観たユースホステルが舞台のドラマ(確かNHKだった)なんぞがないまぜになって作り上げられた潜在意識の成せる技だろうと思う。
すなわち、旅の原点のようなことをしたいという願望である。

そんな訳で、そうした私の思いに同調した友人と実行に移すことになる。
お互いにヒッチハイクは初心者である。
いきなり自宅から、とういうのは無謀すぎる。

じゃあ、九州上陸までは国鉄(当時はそう呼んだ)とフェリーを使おうということになって、その出発がこの多喜浜駅で、昼下がりの時間帯だった。

その写真の背景がこの待合い室だった記憶がある。
アルバムを探してみよう。
もし見つかったらこの後、ここに貼り付けてみるのも面白いかも知れない。



あった、あった。
年月を経て、その様子は変貌しているが、多分同じものがああなったんだと思う。



32年前はこうだった。
あの当時でも古かったから、一体何年経っているのやら。
当時の私は中学校から引き続き坊主頭だった。
高校に入れば長髪可だったのだが、何故か一人抵抗していた。
特に理由はない。





ついでにアルバムの隣にあった写真。
宮崎のサボテン公園である。
目聡い方なら異変に気づくであろう。
多喜浜駅で持っていた麦藁帽子からカストロ帽(くれぐれも文字を入れ替えないように)に変わっている。

何故そうなったかは覚えてないのだが、旅の途中でカストロ帽を買ったことは覚えている。
多分どこかで麦藁帽子を紛失したのだろう。



閑話休題



駅舎とプラットホームを繋ぐ橋。
先の高校時代にはすでにあったように思うが、小学校の頃にはまだ存在しなかった。
線路を歩いて渡った記憶が鮮明に残っている。






11:56 多喜浜駅発。
久しぶりに乗る鈍行列車。
ドアが開かない。
手動式だった。

以前乗ったときはワンマン列車だったから整理券を取る必要があった。
だが、どこにもそれらしき物が無い。
車掌さんに尋ねると、ワンマンじゃないから切符を切ってくれるという。
たまに乗ると勝手が分からない。

何両編成かを数え忘れたが、おそらく3~4両の車中はガラガラ。




こういう切符である。




12:09 土居駅。
実はその前に関川駅があったのだが、そこを通過する時点では、途中駅を撮影しようという案は浮かんでいなかった。
私が生まれて初めて一人で汽車に乗ったのは、多喜浜駅からこの土居駅までだった。

多分小学校3年か4年生の頃、学校から帰って、近所の友達とかくれんぼをして、駆けずり回って遊んでいたら、母に呼ばれた。
なにかのお使いかと思ったのだが、お使いはお使いでも、近所の店に買い物に行くのではなくて、汽車に乗って土居に行けと言う。

新居浜に引っ越してくる前は土居に数年間住んでいた関係で、父には土居の友人が少なからず居る。
そんな関係から、父は前夜その土居で飲んで、車を置いて帰って来たのである。
そして翌日、その車を回収に出掛けたはいいが、キーを持って出るのを忘れたらしいのである。
まあ、なんと間抜けなことよ。
そのまま引っ返すのは勿体ないから、息子をお使いに出す、という寸法である。

汗だくになっていた私は顔だけ洗って、自転車を飛ばした。
そこからの詳細はもう記憶の彼方だが、母に教わった通り切符を買って汽車に乗り込んだ。
なんと、当時はまだ蒸気機関車も走っていたのである。
窓から顔を出すと爽快だったことだけは覚えている。





12:12 赤星駅。
昔は、鈍行でもこの駅は停まる便と、停まらない便があった。
今ほど特急が当たり前という観念のない時代。
鈍行、急行、特急とあったが、急行が主流であったように思う。
そして、鈍行がそのカバーをしていたので、鈍行の中でも準急のような位置づけの便があったのではなかったかと想像する。





12:16 寒川駅。
看板を写そうと待機するも、既に行きすぎていたようで、駅通過直後の景色である。





12:20 三島駅。
両親の出身地であり、私の出生地でもある。





12:26 川之江着。だが、写真を撮り忘れた。
12:34 川之江駅前アーケード街。もうこの飾りは仕舞った方がいいのでは・・・




12:35 ご多分に漏れず、閑散とした商店街。




この先が会場のある川之江市民会館。




12:47 仲間のR華ちゃんから1日遅れのバレンタインクッキー。
義理でもなんでも嬉しい(笑)




16:10 M谷さんちの店頭。
全国1千店余りあるぷちショップの中でも屈指の繁盛店。
学ぶところは多い。




今回のお世話人Tボンのお店見学までが、素面モード。
この後、怒濤の懇親会へと・・・



続きます・・・
やりすぎ?




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