宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

村松の風呂

2005年08月25日 | 追憶
貧乏な農家の次男坊である父は、当時「初勢」という造り酒屋の
番頭であったらしい。

村松にあったその借家では、母が太鼓まんじゅうを売っていたらしい。
この記憶ははっきりしない。
新居浜界隈では大判焼きというそれの焼き台一式を構えて、あずきを
炊いて、生地を練って手焼きするのである。

そう言えば、一般家屋の玄関ではなく、商売向けの作りであった
ような記憶はある。

当時の私が4歳だとすると、父32歳、母25歳であったか。

広い玄関から廊下に上がると、左手に風呂があった。
当時の風呂は洗い場の排水溝が結構大きく、格子状をした鋳物の蓋が
被せてあって、そこへ使った湯が流れ込むようになっていた。

何故そんなことを覚えているかというと、父がその鋳物の蓋を踏み抜
いて、足を排水溝に突っ込んでしまったのである。
多分、鋳物が古く、朽ちかけていたのだろう。

そのとき私は湯船でその光景を眺めていたのか、父に抱かれていたの
かは記憶が曖昧で定かではないが、足をすりむいた父が母に
「オロナイン軟膏」を持ってこさせるところを覚えている。

当時から我が家の常備薬はこのオロナイン軟膏。
後年年老いた父が風呂上がりにあかぎれした手にオロナイン軟膏を
すり込んでいる姿を覚えている。

するってえと・・・父は40年余り愛用していたわけだ。
ここで気になって少し調べてみた。

どうやら1953年に発売されたらしい。
私が生まれる3年前だ。

凄い商品もあったものだ。

浪花千栄子さんのホーロー看板が幼い頃の記憶に残っている。
「琴姫七変化」の松山容子さんの宣伝もあった。

どちらも今は昔。
古き良き時代・・・

続く



コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 物心ついたのは | トップ | 村松の思い出 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む