宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

記念品

2006年09月04日 | 追憶
一昨日のアクセス履歴を見ると、「宝島のチュー太郎」での検索が13件、「宝島のチュウ太郎」での検索が2件ある。
一体なにがあったんだろう?

ひとつ思い当たることといえば、今配り続けているチラシに、ここのことをチラっと載せてあるのだが、それを見た人達?
でも、毎日ほぼ同数配っているのに、一昨日だけに集中するってえのもなにやら説明がつかない感じがする。



さて、それはさておき、
先日、引き出しの整理をしたらこんなものが出てきた。



今日はこれにまつわる話にしようと思う。

もうかれこれ30年前のこと。
私は、お茶の水駅で降りて、駿河台にある大学に通っていた。
2年までは和泉校舎で教養課程を、そして、3年からはそちらで専門課程を学ぶのである。

大学のある坂道を降りていくと、神田の古書街があって、それを左手に、サッポロビールのビアホールである「ライオン」を右手に見ながら進むと、ほどなく北の丸公園がある。
そう、日本武道館のある公園で、その向かいには、今何かと話題にのぼる靖国神社。
因みに、大学の入学式は武道館が会場だった。
後にも先にも、武道館に足を踏み入れたのはそれだけというのも、東京に5年いた者にとっては恥ずかしいことではある。

その辺りを九段といい、袂に九段会館がある。
古いビルだが、なんとはなく由緒の様な風情を醸し出していて、私達はときどき北の丸公園を散策後、そこの屋上ビアガーデンで大ジョッキをあおったものである。

また、お茶の水駅脇の聖橋を渡って、順天堂大学を仰ぎ見ながら左に進路をとると、やがて堀端の道路になり、今は無き「後楽園球場」にも時々出掛けた。
当時は外野席が300円だった。
まだジャイアンツの堀内が現役で、広島の北別府は新人の頃だったように思う。
ある日のこと、友人達数人でジャイアンツ戦を観に行ったときに、バッターボックスに立った堀内がホームランを打ちそうだと私が言うと、友人たちに総スカンを食ったのだが、その直後に本当に打っちまった。
レフト側に座っていた私達に、綺麗な放物線を描いた球はライトスタンドに飛び込んだ。
我々グループが大いに盛り上がったのは言うまでもない。
その後我々はついでに新宿まで歩いて帰った。

大学の裏手には漱石ゆかりの錦華公園があって、それを越えたところにビジネス街と、飲食街がある。
有名なところでは天丼の「いもや」。
私は大盛りが当時270円だったカレー専門店「ジャイアンツ」によく通った。

そして、学生相手の雀荘も、結構な数あった。
我々級友で、ごく仲のいいのが10数名。
みんな麻雀が好きで、自然に行きつけの雀荘が決まった。

教室には居なくても、そこに行けば誰かしら居るというのがT代田荘という雀荘だった。
もしかすると、ここでの思い出が一番多いかもしれない。

ここでこいつらと麻雀をするのも最後という日、確か二卓囲んで別れを惜しんだ。
もう時効だから白状するが、私はその帰りがけにコッソリ写真の牌を1個だけ記念に拝借したのである。

カッコつけると、「青春の記念碑」の様な思いでポケットに忍ばせた。
その記念品が、ひょんなことから出てきたのである。
それはついこの間まで使っていたようなツヤを放っている。
人は老いるが、物は長く存在する。
懐かしさと同時に無常の観念が込み上げてくる。


いや、それよりも、T代田荘さんごめんなさい・・・




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2 コメント

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Unknown (あっくん)
2006-09-04 15:00:17
私の20代は、まさに麻雀時代でした。青春時代もっと他にする事あるやろと、友達連中と、集まっては結局麻雀です。彼女ができても、週末は、麻雀。おかげでみんな結婚するのが、遅くなりました。最近は、年に一度

正月にする程度になりました。

いつか、チャンスがあればやりましょう。
そうですねえ (チュー太郎)
2006-09-05 06:25:49
いつか機会があれば。

でも、あれは時食い虫だからねえ。

ついつい徹夜になっちまう(笑)

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