宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

村松の思い出

2005年08月26日 | 追憶
家から浜の方向に500mばかりいったところに
何かのお堂があって、子供向けのお祭りがあった。

母がどこからか聞きつけてきて、子供が行けば
キャラメルがもらえるらしいことを私に教える。

キャラメル欲しさに出掛ける。
どうやら当時は近所に友達がいなかったのだろう。
一緒に遊んだり、出掛けたりした記憶がない。

だから、独りだし、知らない子ばかりだし、行くのが
少し遅かったらしく、結局キャラメルはもらえずに
泣きながら帰宅した記憶がある。

こんなこともあったらしい。
らしいというのは、自分の記憶にはないからである。

家から母の実家まで大人の足で歩いて30分弱くらいの
距離だろうか。
ある日、母とその実家を訪れていた私が、ちょっと目を
離した隙に行方不明になったらしい。

どうも、独りで家に帰ろうとしたらしい。
3歳児が田圃のなかのあぜ道をトコトコ歩いているのを
大人が見つけて、「どこの子?」と訊いても、カタコトで
何を言っているか要領を得ず、何かのきっかけで実家の
孫だということが判って連れてきてくれたらしいのだ。

後年、私が小学生くらいのときにいつも祖父がその話しを
持ち出しては笑っていた。

祖父は阿波池田の農家の出らしい。
実家が水引業を営んでいた祖母と結婚してこの地に住み着
いたと聞いている。

母の話によると、戦時中の物の無いときは、自転車で実家
の池田まで食料を調達に行っていたらしい。

私の知る限り、いつも坊主頭で、たまに孫が遊びに来ていても、
はしゃいで家の中を走ったりすると叱りつける厳しい男だった。
水引や金封が積み上げられている仕事場と住まいが共存していた
のだから無理もないことではある。

苦労人らしく、いつもそうした言動が記憶に残っている。
例えばこうだ。

私が小学4~5年の頃だったか、三島、土居、新居浜と西進する
娘の家に遊びに祖父母が来ていた。
父が、新居浜の太鼓祭りを見せてあげたかったらしいのだ。

朝、牛乳配達を終えて、家に入ると祖父が起きてきていて、
「おお、泰男は朝からもう一稼ぎしてきたんか。」
といってニッコリ笑うのである。

その祖父は私が大学に合格した頃に旅立った・・・
                     続く


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