昭和の日に

2017-04-29 17:13:09 | 日記
皇紀2677年4月29日、今日は昭和天皇のお誕生日ですね。
昭和天皇が薨去されたあとは、天皇誕生日だったものを「みどりの日」としましたが、いつの間にか「昭和の日」と呼ばれるように。
いまは、5月4日が「みどりの日」になったそうで、なんかややこしいですね。

昭和天皇、さきのみかどがみまかられて、もう29年も経つのですね。
何度か書いておりますように、私は昭和天皇をとてもとても好きでして。
最近は昭和天皇を知らない方が増えて、なつかしむ思いを共有できなくて、さびしいです。

今上陛下しか知らない方には、昭和天皇が持っておられた雰囲気は、想像しにくいんじゃないかな?と思います。
昭和天皇は、非常に威厳のあるたたずまいの方だったと記憶しています。
庶民にとっては雲の上の方、お見上げするのもおそれおおい、と感じる方でした。

今上陛下は、お立場の制限のため、ご自身のお考えをおっしゃることは滅多にありませんが、即位されてからのお振る舞いから察するに、とてもリベラルな方です。
今上陛下が作ってこられたのは、身近で気軽に話せる天皇像ですが、昭和天皇には、やはり気軽に話せる、という雰囲気はありませんでした。

それは無理もないことで、昭和天皇は大戦で日本が負け、憲法上は日本の君主でなくなったとき、44歳でした。
それまでずっと、現人神(あらひとがみ)、絶対不可侵の神聖な存在として扱われていたわけです。
戦後、急に国民に親しみやすく振る舞え、と言われても、どう話をしたらいいか、どう振る舞えばいいのか、戸惑われた部分が大きかったと聞いています。

そのような理由から、昭和天皇の威厳のあるたたずまいは、当然だったと思いますが、いま思い返すと、それにはもうひとつ理由があったんだと思います。
それは昭和天皇が、ひとりの人間が負うには、あまりに大きな重責を背負ってこられたことです。
それが重々しい威厳として、たたずまいに滲み出ていらしたんだと思います。

昭和天皇のご年齢は、実はとても数えやすくて、西暦1901年生まれなのです。
ですので、即位された1926年には25歳、敗戦の1945年には44歳、崩御されたのは1989年、87歳でした。
20世紀の始まりの年に生まれ、大戦を経て高度成長を経て、日本経済の絶頂期・バブルがはじける直前に亡くなりました。
まさに、ザ・20世紀の日本、稀有な日本の時代を丸ごと象徴する方ですね。

わずか25歳で大戦に向かっていく日本で即位され、40代で敗戦を迎えるまで、昭和天皇が負った重責は、わたしなどには想像もつきません。

昭和天皇は一貫して、日中戦争にも大東亜戦争にも強く反対でした。
記録に残された昭和天皇のご発言から、これは明確な事実です。
昭和天皇は、軍部と対立しながら、戦争を止めようと、ご自身に許される限りの手を尽くされています。
でも、立憲君主制の明治憲法では天皇には実権がなく、戦争を止める力は、昭和天皇にはなかった。
昭和天皇がずっと悔やみ、ご自身を責めておられたのは、あの戦争を「止められなかったこと」でした。
きっと、ご自身の非力、不徳のせいだ、と考えておられたんだと思います。
天皇というのは、そういうものですから、、、。

敗戦濃厚の頃は、2600年続いたすめろき、皇統が自分の代で途絶えることを、覚悟したに違いありません。
そして戦争を始めておきながら、降伏するかどうかを日本政府は決められませんでした。
代わりに降伏を決断したのは、昭和天皇でした。
日本の長い歴史でも、これほど重い決断は幾度もありません。
昭和天皇のほかに、あのとき日本を残すことができた方がいたと思えません。

崩御されたときは、さびしかったですねえ。
日本人にとって、天皇陛下が亡くなられるより悲しいことは、ないですね。
わたしはこどもでしたが、ずーっと変わることなくあると思っていた大空が崩れ落ちてしまったような、そんなふうに感じたことをよく覚えています。
驚くほど大きな喪失感でした。

いま昭和天皇はどちらにいらしゃるのか。
こんな日は、こころからなつかしく、慕わしく、先帝を思い出します。

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映画リトル・フォレスト、日本の自然の特殊さについて

2017-04-23 23:01:25 | 映画、本
以前はそんなに映画を見なかったのですが、歳をとるにつれ、だんだん見るようになりました。
以前より、ひまになってきたのもあるのかもしれません。

大学院を出てから、働いて、忙しかったんですよねえ。
ずーっと、心の余裕を持てない日々でした。
都心が職場なので、その気になれば、ランチなどには、有名でおいしいレストランがたくさんあるのです。
でもそういうところを探して、お昼に出かけて、食べる。そんなことをするのも億劫で、余裕もなくて、てきとうにすませてしまう。
そんなふうに長い年月が経ってしまいました。

そんなに働くのはおかしい、わたしらしくないと、大学の頃の友人には言われました。
なんでそんなに働いたのか。
理由は、自分でもわからないところがあって。
それでも、わたしはそれくらい働きたかった。そうせずにいられなかった。

「リトル・フォレスト」は、好きな映画です。
原作は五十嵐大介さんのマンガで、わたしは、この映画で初めて五十嵐さんを知りました。
リトル・フォレストは、
自分で食べものを育て食べること
母から娘に伝えられていくレシピ
田舎の食の豊かさ、都会の貧相さ
山村で生きる人々の知恵
廃れていく日本の農村
と複数のテーマを持った、重層的な物語で、五十嵐さんは力のある書き手なのですね。

いちばんメインのテーマは、自分の手で食べものを育て、収穫し、食べること。
主人公の「いちこ」は、宮城県の山奥にある集落に、一人で住んでいる20歳くらいの女の子。
お店も何もないので、いちこは、ほぼ自給自足で暮らしていて、田んぼで米を、いろんな野菜を畑で育て、収穫し、料理する毎日。
五年前に母が失踪してから、いちこはひとりきりで自活してるんですが、農作業はかなら重労働だから、現実にそんなこと可能かしら?というのはさておき。

映画は、いちこが食料を種から育て、口に入れるまでに、どれほど膨大な労力がかかるかを、季節の移り変わりとともに、丁寧に描いています。
いちこは、母譲りの料理上手という設定で、旬の食材でいろんな料理を作るのですが、それがとてもきれいで、とてもおいしそう。

見ているうち、スーパーのない山奥の集落の食が、いかに「ゆたか」であるかがわかります。
自分で作ったものを食べる豊かさ。
季節の食材で暮らす豊かさ。
春には山菜、秋には栗や柿を山が与えてくれ。
冬には、雪を利用して納豆や凍み大根を作る。

田舎を美化しすぎだと、この映画を指摘する人はいるでしょうし、それは的確だと思います。
この映画では、田舎の問題は全く描かれず、村の人たちはみんな、いちこに優しい。
実際は、狭くて濃密な人間関係、余所者への冷たさ、農協支配など、負の側面もあるわけですが。
農村が孕んでいた豊かさ、良きものもまた膨大であり、大地に根を張る生き方の充実は、人間らしい真実味がある。
それらが滅んでいくさまは、美しくしか描けなかったのだろうと思います。

この映画を見る人は、そんな食にまつわるものがたりを語るべきなのだと思いますが。
私はあらためて思ったことがありまして。
日本の自然はどんな国にも似ていない、ということ。

映画は、宮城県の衣川という場所で撮影したそうで、日本の山村の美しさがあますところなく描かれてます。
目にしみるように美しい景色なのですが、その美しさのみなもとは、木々や山のあいまに充満している、日本だけが持つ独特の特殊な「空気」なのでないか、と思っています。

私は海外に住んだことないですし、旅行したことのある国は、20カ国に足りないくらいです。
バックパック旅行が流行りだったので、行った国数は多いかもしれませんが、外国についての知識は乏しいので、断言はできないですけど。
でも日本の自然に似た国は、ひとつもありませんでした。

外国にいて違和感を感じるのは、空気が「スカスカ」してるのです。
空気に「手ごたえ」みたいなものがないのです。
それは湿度のせいではなくて、ヨーロッパは乾燥してますが、日本よりも高湿度のアジアでもアフリカでもそうでした。

日本の空気は、水の中を泳ぐような、密度があります。あたたかく湿った、やわらかいものが満ちていて、それが日本全体をすっぽり包んでいる。
それは自然にも及んでいて、花も木々も、日本ではやわやわと柔らかくてやさしい。

その空気の奥に、わたしは、確かに、呼応するなにものか、呼びかければ返ってくるもの何者かを感じます。
その空気によって、人間が木や花と繋がっていることも感じます。
日本の自然は、空気によって人間と接続していて、愛情や尊敬を与えれば、ゆったり受け止めてくれるのがわかります。

神社に行って、生かされていることに感謝すれば、即座に何かが返ってくる手ごたえがあるように。

外国では、それはサッパリない。
そうすると、なにか寂しい。何より虚しいです。ここにずっといても、何も返ってこない、何も積み重ならない、そういう気がする。

わたしは、日本の空気だけが持つ密度がなんなのか、わかりませんけれども。
日本には八百万の神と精霊がたくさんいる、と言われることと、そして天皇陛下がいらっしゃることと、関係があるのだろう、と思います。

こんなに神の気配に満ちた国は、たぶん、地球のどこを探しても、日本のほかにないのです。

日本人であっても、それを息苦しい、と感じる人もいるのでしょう。
そういう人は、日本から出て行くことになるようです。

わたしは、若い頃は、息苦しく感じることもありましたし、外国に憧れることもありました。
でも外国に行ってみて、あたりまえだと思っていた、この密度ある空気が、本当に稀有なものであることを知りました。
この空気に触れていないと、自分はしおれてしまうことを知りました。

仕事で仕方なく海外に行ったら、早く日本に帰りたい帰りたいって、ずっと思っています。
この空気から離れたくないのです。
日本に来る外国の人も、この空気を理解してくれる人が、この国に残ってほしいと思います。


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古市くん、社会学を学びなおしなさい

2017-04-21 02:53:24 | 映画、本
タイトルはふざけているのでなく、そういう題名の本がありまして。

古市憲寿氏の本です。
彼は最近、「若者を代表する社会学者」としてテレビに露出しているので、ご存知の方もそこそこはいるのでしょうか。

この本で初めて知りましたが、古市氏は、大学院修士しか卒業していず、博士号を取ってないんですね。「学者」という肩書きは不正確というか、微妙。
「評論家」のほうが事実に近いですが、あえて「社会学者」とマスコミが呼ぶのは、そのほうが視聴者ウケするからですね。

日本では、社会学者といえば宮台真司がいちばん有名で、1990年代のコギャル文化を解説する社会学者として名を馳せました。
以来、日本のマスコミは、社会現象を解説する人として、社会学者をメディアに呼ぶようになり、古市氏もその流れに乗っていて、だから社会学者の 肩書きなんですね。

私が古市氏の出演番組を見たのは、「日本のジレンマ」くらいですが、社会学者のわりに、質問も解説も軽いし浅いし、発言内容に新しさも感じられず、日本の社会学者はレベル落ちたんかな?と思ってました。

宮台真司はじめ、日本のこれまでの社会学者は、けっこうレベル高いと思うんですよね。
小室直樹、見田宗介は、私にとっても非常にありがたい導き手でした。
わたしはアホーですので、わずかしか吸収できてないと思いますが。
特に見田宗介の「現代社会の理論」は、私の仕事でもっとも役に立った本のひとつです。
マーケティングの本質を、あれほど簡潔明快に説明した本を、わたしは知りません。見田宗介は経済学者でもマーケティング学者でもないのに、、、。

話は戻りますが、わたしが古市氏について知ってることは、哲学者の東浩紀が、マスコミにちやほやされてる古市氏を、冗談半分でやっかんでること笑
(東浩紀も、いっときメディアの寵児でしたが、最近は大手メディアには、全く出演しませんのでね。)
あと、冗談半分な言い方をしてるけど、どーしようもなーと言ったら言い過ぎかもしれませんが、ともかく、あずまんは古市氏を評価してないことくらいです。

でもこの本は、意外と(失礼)おもしろかったです。
社会学の入門書として、ものすっごくわかりやすく、しかも内容も鋭いものがあると思います。

まあその鋭さは、古市くんがインタビューに行っている社会学者の諸先生方の鋭さなんですが。

この本は、日本の社会学者の有名どころに、古市くんが「社会学ってなんですか?」と質問しにいく、という内容なのです。
どなたも社会学者として著名な方なので、回答はどれもキレ味鋭く、説得力あるものです。
社会学とは、社会科学において、法律学・経済学・政治学といった学問が説明できない部分、いわば残りモノを対象にしたもの、というのは、確かに納得です。
社会学の真実ですね。

しかも古市くんの先生方についての紹介文と、本文を読めば、社会学の主要な理論や、社会学のスター学者は誰で、それぞれどんな主張をしたのかを、一通り網羅できる構成になっています。
ここはうまくできてるなーと思いました。

あと、古市氏のメディアでの立ち位置というか、振る舞いの理由もよくわかりました。
大先生方へのインタビューのあいまに「研究って、ちゃんとしたほうがいいんですかね」とか「博論書いた方がいいんですかね」などと、古市くんは言っちゃうんですね。

ふつう大先生方にそんなこと言えないし、聞けねーよ!っていう。

古市くんは、「頑張らない」イマドキの若者の代表として振舞っていて、頑張って何かを達成したり、積み上げたりしてる大人達に、そんなに頑張っていいことあるのかなあ? いまいちボクやる気になれないんだよねーとまぜっ返す、という芸風なのですね。

古市くんのイマドキさは、そのまぜっ返しが、これまでの若者にありがちな、大人を見下し冷笑する、といった態度でなくて、「弱っちい軟弱な若者」としてまぜっ返してることなのでしょう。

古市くんが「やっぱり研究、ちゃんとやんないとダメですかねえ、、、」と、上野千鶴子に(!)言うと、
上野千鶴子は「あたりまえだ、今すぐアメリカに留学して死ぬほど勉強しろ!」と答えるわけです。
いかにも上野千鶴子らしい、ガツガツ上昇志向!熱血努力あるのみ!という旧来型のオトナに対し、「はあ、そうですか、、、」と、脱力系・やる気なしな答えを返す古市くん。

上野千鶴子を相手に、よくそんなこと言えるな、という点も含め、なんともイマドキ。

いかにもゆとりっぽい、困った草食男子で、しかも「大人はボクを叱るけど、現実として、ボクけっこうしあわせだし、あんまり困ってないよ? このままでもけっこう世の中渡っていけちゃうんじゃない?」と、暗に言っている。
弱っちいふりしといて、まるで親の脛をかじるニートなようなふてぶてしさ(笑

古市氏への評価として、なんとはなしにムカつく、という意見がある理由がよくわかりました。
私も、こんなやつがいたら張り飛ばしたくなると思います(笑

しかし、古市くんは「カッコつきの自分」、つまり「世間から自分がどのように認識され、世間は自分に何を欲望しているか」を明確に把握し、意識的に演じてるようですね。
バカではないのね、というところでしょう。
もっとも、社会学者たるもの、その程度のことができなければ存在価値はなく、無能というものでしょう。

しかし古市氏は、年齢が30代前半のいまだから、軟弱なイマドキの若者代表として、こういうポジションで生きていけますが、このままだと、社会学者としてまともな業績も残さず、鋭さも深みもない意見しか言えないまま、年をとるわけですよね。

まさにマスコミに消費されるだけの存在で、大丈夫なんでしょうかね。
50歳の彼に仕事はあるのか?というと、これで生き残れるほど、世の中は甘くないと思いますねえ。

なにしろ戦争起こるかもなご時世。
古市くんのような、やる気なし草食男子は、日本が豊かで平和だから、生存できてるだけですからねえ。

日本がもし阿鼻叫喚の地獄になったとき、彼はどう思うんでしょうね。
わたしは、やっぱりこの世は根性出さないと生きられないんだ、と思ってほしいですけどね。

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破壊ー創造、維持ー発展

2017-04-17 00:16:42 | 日記
これは前々から考えていたことなのですが、トンデモなので、真に受けるような話ではありません。

日本人がダメな人種と言われることのひとつに、
日本人がイノベーションが起こせない、全く新しい発明を生まない、
というものがありますよね。

イノベーションや新しい発明は、ヨーロッパやアメリカでは、たくさん起こる。
日本人は、それらのイノベーションをパクってきて、改良・発展させることで儲けているだけだ、というものです。

日本人は民族的には、ユダヤ人の次に、多くのノーベル賞を獲得している民族です。
日本人が「新たな創造」をする能力を持っていること、しかもその能力が高いことは事実です。

でも、近代の様々な商品は、その多くが、ヨーロッパやアメリカでの発明です。ここに中国を加えても良いでしょうが。
日本は、それらの発明をモトに、改良・発展させて、より良い商品に変えることが得意技だったのは事実です。

日本の高度成長の原因である、白物家電製品と自動車は、その典型例ですよね。
日本は、それらを発明したアメリカより、はるかに良い製品に改良して、全世界に売りまくりました。
アメリカ産の白物家電製品や自動車は、もはや骨董品のようなもので、市場から消え去ろうとしています。

その理由、原因はなんだろな?と、私はぼんやりと不思議に思っていました。
一般論では、日本人は横並びが好きで、「出る杭を打つ」ような陰湿で閉鎖的な民族だから、という説明がされてますね。
日本の「同調圧力」の強さは、確かに原因のひとつだと、私も思います。
もっともそういう論調を書く人々は、日本人は時代遅れな、忌々しい、どうしようもない民族だと、日本を嫌っている人が多いようですが。

でもノーベル賞を多数受賞してもいるわけですし。
私はそういう、横並び大好き民族、というだけでは説明できない、違う理由があるような気がしてました。

私が思うことは二つありまして、
ひとつめは、創造は破壊と同じ種類のもので、日本人は「破壊」があまり好きじゃないんだろうということです。
日本人は、「いまあるもので満足する」性質が強く、また、「いまあるものを愛して育てる」ことが好きなんだと思うんですよね。

育てる、はぐくむ、ことが好きという性質は、「創造ー破壊」とは正反対の「維持ー発展」の性質であり、日本人は、その性質を強く持っているのではないか、と思うのです。

なので、自分から何かを発明しようとは思わないけど、アメリカの新しい発明を見れば、「わーすごい」と無邪気に受け入れ、「こうすればもっとよくなりそう!」と改良していく。
そこに悪気は全然ないんだろうな、と思います。

二つめは、ではなぜ日本人が「破壊ー創造」より「維持ー発展」を好むか。
これは完全にトンデモです。
むかーしむかし、地球創造のときに根源神の息吹きが、日本の「白山」に降り注ぎ、三つの石柱となった、という話があります。
三つの石柱は、それぞれ、創造、維持、破壊を司っていたといいます。
インドの神話と完全に同じですね。
創造、維持、破壊の三つはセットであり、宇宙の根本原理なのでしょう。

三つでワンセットというのは意味深いなと思います。
数字は、確かに神の意思を伝えるものだと思われ、特にゼロ、一、二、三から11までの数字は重要で、複数の意味を持つようです。

そのうちのひとつの解釈として、「一」は無からの創造を、「二」は、ひとつのものが二つに、つまり陰と陽に分かれること、「三」はここから無限大に増殖・発展することを表すようです。
おそらくビックバンから今の宇宙ができた過程を示していて、日本の三貴神もそうですし、三つ揃うと発展する、という神話は、たくさんあると思います。

さて白山にあった三つの石柱ですが、大和王朝より前に、日本に存在していた高度な文明が、大切に祀っていたようです。
でも、その高度な文明が滅びるとき、海外から来た異民族が「破壊」の石柱を、異国に持ち去ったと言います。

私は、日本人が「破壊」が苦手なのは、そのせいなんじゃないかなーと思うのです。
「破壊」がなくなると、バランスが崩れてしまい、「創造」も生まれにくくなりますからね。

これはトンデモなおはなしです。
でも私は、これに気づいたとき、なんか納得してしまいました。

破壊の石柱は、いまホットな話題の!ミサイル撃つぞ撃つぞの、あの地域にある、と言われております。
そのために、あの半島はデスゾーンとして、常に不和と戦争が耐えない地域になってしまったと。
石柱は三つがセットで一緒にあるべきもので、バラバラになると、創造ー維持ー破壊の正常なサイクルを繰り返すことが、できなくなるんですね。

いつか三つめの「破壊」の石柱が日本に戻り、世界がバランスを取り戻す。そんな日が来るものでしょうか。
根源神のおぼしめしであり、私には、とうてい知り得ぬことですが。








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シン・ゴジラ百遍

2017-04-14 07:19:38 | 映画、本
シン・ゴジラのDVDが発売されまして。
予約していたので発売日当日に届き(アマゾンすごい)、それから毎日ひたすらリピート再生して見ています。

以前も書きましたように、わたしは、気に入った映画やドラマは、延々と繰り返し見る習性の生き物です。
シンゴジラは早回しのセリフとシーンが特徴ですから、劇場では一瞬すぎてよくわからなかったシーンを一時停止させ、画面を舐めるように見るなどして楽しんでいます(きもちわるい)。

たとえば、
ヤシオリ作戦のとき、巨災対のチームがハラハラドキドキしながらモニターを見ている部屋と、竹野内豊が演じる赤坂・内閣官房長官代理が、クールにモニターを眺めてる部屋は、やはり違う部屋なのね! とか。
赤坂がクールなリアリストとして、ゴジラを一度もゴジラと呼ばず、最後まで巨大不明生物としか呼んでないことを確認したり。(赤坂くんったら、かたくな!笑)

あと、カヨコ・パタースンが、熱核兵器使用に反対し、ゴジラ凍結作戦を支持する決意をするシーン。
何度目かでやっと気づいたのですが、あれ、アメリカに帰国するためのチャーター機ですね。帰国命令出てるんですから、本来は、カヨコもあれに乗って帰らないとならない。
それを離陸直前に降りちゃうわけで、カヨコの決断と、その重さを表してるわけですね。今更ながらやっと気付きました。

まあそんなで、もはやシンゴジくんを、何十回見たのか百回は超えているのか、よくわかりませんが。
それで思ったのは、ゴジラはやっぱり、大東亜戦争で亡くなった英霊なんだなあ、ということでした。

初代ゴジラが大ヒットしたのは1954年で、観客動員数は961万人だそうで、当時の日本の人口は7000万人くらいですから、タイヘンなことです。
ちなみにシンゴジラの最終観客動員数は、600万人くらいだったようです。

初代ゴジラの大ヒットで、ゴジラの正体について、解釈論がアレコレ飛び交ったそうですが、ゴジラ=南冥で亡くなった英霊説は、その一つですよね。
根拠としては、ゴジラが東京上陸したあと、まっすぐに皇居を目指して歩いていて、なのに皇居の目前で、ゴジラは横にそれちゃう。結果として皇居は無事なのです。

私、最初はその説に笑ってしまったんですが、だって日本の映画で皇居を壊せないのは、もろもろの面から当然で、作り話ゆえのご都合主義ですからね。

でもシンゴジラを何十回と見るうち、シンゴジラが英霊にしか見えなくなってきてしまい。

シンゴジくんが鎌倉に再上陸したとき、
「巨大不明生物、三時間以内に都内に侵入の可能性大!」
「なんでまたこっちに来るんだ!」
というやりとりがあるんです。

シンゴジくんは、初代ゴジラと同じく、上陸してまっすぐに皇居を目指しているように見えます。そして皇居のすぐそばまで行きますが、やはり破壊はしません。

なんでゴジラは東京に来るかって、やっぱりゴジラは英霊だからだよなあって。

戦没者を英霊として靖国神社に祀るという発想は、日本古来の思想である、「不慮の死を遂げた人は、怨霊になって祟る可能性があるから、鎮めなければならない」という思想の延長にあるのだと思います。

靖国神社は、国家運営のために、国民を死なせる「装置」として考え出された、というのは事実だと思います。
国家運営は、打算的で冷酷な側面を持たねばならないですし、そうあるべきです。
国民を戦争で死なせるとき、その感情面の処置は必ず必要です。人が国のための死を覚悟するとき、心を、感情を納得させるための理由が必要なのです。
日本だけでなく、どこの国にも必ず靖国神社と類似のものが存在します。アメリカではアーリントン国立墓地です。
それが日本では、死後は神として靖国神社に祀られ、天皇陛下と国民が未来永劫、自分を悼んでくれる、という物語だったのです。
その物語は、息子、夫、父を亡くす遺族の感情の処置として機能も、もちろん果たしています。

でもなぜ、死者を神として神社に祀るという発想になったのか?といえば、当事者の感情を処置する「装置」の機能を超えて、戦没者を、言ってしまえば怨霊的なものとして見る感覚を感じずにいられません。
「祟らないよう鎮めなければ」という意識が働いているのだと思います。
日本には、不慮の死を遂げた人が、怨霊となって災いを起こしたために、神として祀って鎮めた例は幾多もあります。
菅原道真や崇徳天皇は有名です。
また、出雲大社も成り立ちはおそらく、大和朝廷が、敵対する部族を滅ぼしたとき、その怨霊を鎮めるために作られたものです。

国を守るために亡くなった戦没者が、菅原道真のように恨むとか祟るというのは、ひどい侮辱だという意見は、もちろんです。
「祀る」というのは、尊敬して大切にあがめるという意味も、もちろん大きくあります。
ただ、寿命を全うしたのではない、人為的な死は、やはり心残りや不本意を生むものですから。
戦没者は、黒く、おどろおどろしい側面も持たざるをえません。

初代ゴジラは、素直に見れば、原爆の被害者の怨霊です。
また、放射能で自然を汚す人間に対して、自然が復讐する話でもあり、ゴジラは怒れる神の荒御魂(あらみたま)でもあります。
でも、初代ゴジラが作られた日本は、敗戦からわずか9年後で、東京大空襲の被害の記憶も生々しく、ゴジラ=英霊説は、多くの人に「ああそうか、そうかもしれない」と思わせるものがあったのだと思います。
南冥で死んだ兵士たちの怨霊の集合体が、ゴジラとなって東京に復讐に来たのだと。

映画製作者たちは、そこまで意識していなかったかもしれませんが、ヒット作って、知らず、その時代に深く流れる思いを写し取るものです。

南冥で亡くなった英霊が、日本と天皇陛下への恨みと恋しさで、東京にやってくる。
ゴジラは喋らないし、思考があるようにも見えない。人間たちと意思疎通もせず、周りが何も見えてない様子で、ただ盲目的に皇居を目指して歩く。
ゴジラが放つものが、悲しみ、怒り、虚無感であるのも、道理ですね。

日本から遠く離れた南冥で死に、恨みもあるだろう。悲しみをぶつけたくもなるだろう。
その相手は、結局は天皇陛下なんですね。子が親に甘えるように。
でも、もちろん天皇陛下を傷つけることはできずに、おそばに寄った所で止まってしまう。

ゴジラの本当の物語は、天皇陛下が彼らと語らい、彼らの怒り悲しみを受け止め、鎮め、天に帰すというものであるべきかもしれません。
でも実際のゴジラの物語では、天皇は語られない空白として存在しています。
本来の物語を語れないイビツさは、戦後の日本のゆがみそのものですね。

五感も理性もなくした怨霊となっても残る、天皇陛下を慕う気持ちは、私はよくわかると思います。
日本人は本当に、天皇陛下が好きでたまらないのです。
これは理屈などで説明できることではなく。
そうでないと思っていても、日本人は、有事になれば、深い意識の底で、こんなにも天皇陛下を慕っているのか、支えにしているのか、と気づく人がきっといるんでないか、と思います。

話は変わりますが、シンゴジラを見れば見るほど、気になったこと。
シンゴジくんが米軍のバンカーバスターで攻撃され(本当に痛そうでかわいそう)、マジギレして東京を丸焼けにしたとき。
皇居も、破壊はされなくても、放射能汚染されてますよね?
天皇陛下や皇族方は、いつのタイミングでどうやって避難したのだろう??と、フィクションだけど気になるぅー。

東日本大震災のとき、翌々日くらいですかね?
福島原発の爆発がニュースになり、東京も放射能汚染されてる!と騒がれ始めた頃。
ツイッターなどで、天皇陛下が東京から避難した、というデマが流れたんですよ。
覚えている方もいらっしゃるでしょう。
そのデマに対する反応は、天皇陛下が避難したということは、政府は問題ないって言ってるけど、本当は自分も逃げなければいけない事態なのでは⁉︎、というものでした。
天皇陛下が避難すれば、みんな避難するんだーと思ったものでした。

東日本大震災のときは、政府が安全だと公表してるときに、天皇陛下が都民を置いて避難されるわけなかったんですが。
大東亜戦争のときですら、昭和天皇は、皇后陛下と共に、最後まで皇居にとどまっていらしたのですから。当時は小学生でいらした今上陛下は、さすがに日光に疎開されましたが。

でもシンゴジくんのときは、まじで避難しないとならない事態ですから、きっと、シンゴジくんが多摩川を超えた時点で、皇族方はヘリコプターとかで避難されてるんですかねえ?
皇族方も、人数が減ったとはいえ20数人いらっしゃるから、全員を避難させるのは、そこそこ時間がかかりそうですよね。

ガチの非常事態には、天皇陛下はじめ、皇族方も避難しました!みなさん疎開しましょう!と政府が言えばいいんじゃないでしょうか。
きっとみんな従うと思います。
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