森友学園問題、知恵なき善意

2017-03-25 07:18:43 | 日記
森友学園問題で、学園長夫人と安倍総理夫人との、メールでのやり取りが公開されました。

森友学園問題については、安倍総理を引きずり降ろしたい民主党と共産党が、大した問題でないことを騒ぎ立て、大問題であるかのように見せるという、いつもの手口ですので、呆れております。
国会議員が、他の重要事案を放り出し、全力を挙げてこの問題をやりとりしているのを見ると、民主党と共産党は、言葉の上では国民のためと言いながら、実際は自分たちの党益しか考えていないことが明らかで、国民の多くはウンザリしているんじゃないかと思います。

ただいくつか思うことはございまして、
まず、保守派にまともな人材が少ないということです。

保守派の人材不足
まともなというのは、人格的に尊敬でき、判断が良識的で、かつ成熟した大人ということです。
籠池学園長の言動からは、愛国心があるのは事実でしょうが、国のためになることなら、多少のルール違反や誇張をしても許されるはずだ、という精神が垣間見えます。
「幼稚園に天皇陛下のご臨幸があった」という虚偽をホームページに記載していて、籠池学園長は、その記載について知らなかったと国会で証言しましたが、そんなだいそれたウソを、学園長の承認もなしにホームページに記載するでしょうか? 非常に疑問です。
普通は、天皇陛下の虚偽のご臨幸を捏造し、学園の寄付金集めに使うなど、畏れ多くてできないです。
また籠池学園長は、安倍総理が、自分の名を冠した「安倍晋三小学校」という名称を断ったにも関わらず、その名称を使って寄付金集めをしていました。これは国会で学園長自身が認めています。
愛国心をもってしたことならば、犯罪も許されてよいはずだ、という「愛国無罪」の精神は、非常に幼稚で危険なものです。

また森友学園の教育方針は、現在の日本では拒否反応を示す人が大半です。ですので、少しの不祥事でも厳しいバッシングが起こり、潰される可能性が高いことは、簡単に予測できることです。
その意味でも、揚げ足を取られないよう、用心深い経営をしないとなりませんでした。しかし実際は、愛国無罪の精神で、ウソも誇張もありでやっていたわけです。
成熟した大人の判断ではありません。

それに、森友学園の教育方針そのものは、私は賛成しますが、そのやり方は間違っていると思います。
教育勅語は日本が長い歴史をかけてはぐくんできた道徳心を、明治天皇が文章にされたもので、私は素晴らしいものだと思います。
けっして、国のために死ね、天皇のために死ねなどという内容ではありません。明治天皇が、そのようなことを望まれていたはずがないのです。
教育勅語をそのようにしか読めない人は、可哀想な人だな、と思います。

国を愛すること、道徳が大切であることを子供に教えるのは最も重要ですが、森友学園のやり方は、脅迫に近い過度な押し付けです。あれではかえって、日本がキライになる子が出るでしょう。人間ってそういうものですよね。
またなぜ、「安倍総理万歳」などという政治的主張を、幼稚園児に言わせる必要があるのでしょう?
何もわからない子供を、政治の道具にしているようで、あれを肯定する人はまずいないでしょう。
森友学園の教育のやり方は、バランスを欠いています。良識ある大人のすることでないです。

またこのような教育のやり方は、今の日本では「愛国心を叫ぶ人は頭のおかしい右翼、やっぱり右翼は危険」という偏見をさらに助長してしまうことは、考えれば誰にだってわかるはずです。
今回の森友学園問題は、右翼へのマイナスイメージをさらに助長し、保守派には大きな打撃でした。
これで、学校で愛国心を子供に教えることは、ますます遠ざかってしまいました。
世の中が見えていない幼稚さが、ここでも透けてみえます。

教育勅語や愛国心を教える幼稚園や学校が、日本にできてほしいと私は思いますけれど、それを実行する人物が、籠池氏のような人格、良識に問題ある人しかいない、という事実。
日本の保守派に人材がいないということであり、残念なことです。
正直、「もっとマトモな保守派の人間はおらんのかい」と思ってしまいました。

日本人の優しさは知恵なき善意
私が嘆息してしまったのが、安倍総理の妻、昭恵夫人のメールの内容でした。
昭恵夫人が、籠池学園長の妻である副学園長とやりとりしたメールです。

昭恵夫人は一貫して丁寧で、相手への思いやり、善意にあふれた文章です。
日本人によくある典型だと思います。
けれど、その文章から漂うのは、人を疑うことを知らない無邪気さ、良心に従い誠意を尽くしていれば、悪いことは起こらないはずという思い込みです。

しかし、実際に起こっていることは、
籠池氏のような問題ある人物に、昭恵夫人の善意がつけこまれ
そのことをマスコミに利用され、法的に問題ないことで、安倍政権に打撃が与えられ
教育勅語の良さがますます誤解され、明治天皇も教育勅語もますます貶められている
という現実です。
昭恵夫人はメールの中で、
「なんでこんなことになってしまったのか
神様はなにを望んでいるのでしょう」
と戸惑いを書いています。

つくづく「知恵なき善意」は罪であることを教えられます。

私は以前から昭恵夫人のFacebook をフォローしてまして、昭恵夫人は天衣無縫で、わけへだてなく愛情を与える方と思っていました。
昭恵夫人の天衣無縫ぶりは逸話に事欠かず、例えば、青山繁晴議員が、総理の自宅に仕事で訪問したとき、居間で総理と話していたら昭恵夫人が入ってきて、お茶でも出してくれるのかな?と思ったら、夫人は自分が聞きたい音楽をかけ、聴き終わったら居間から出て行った、と言ってました。笑。
最後までお茶も水も出てこず、しかも音楽が大音量で、青山さんと総理は互いの声が聞こえず笑。しかも総理は、昭恵夫人に注意もなにもおっしゃらなかったと。

安倍総理は、夫人にとても寛容で、ありのままの夫人を大切にされているようでして、たしか昭恵夫人が高江に乗り込み、基地反対派のテントを見学したときだと思いますが、「夫は、私のすることに一切干渉しない」とFacebook で書かれていました。総理の懐の深さには感心します。

そのことは、国会での安倍総理の答弁を見ていてもうかがえまして、
例えば、
アッキード事件などと、昭恵夫人を侮辱する野党の発言に、安倍総理は本当に怒っていましたし、
野党が「森友騒動の最中にも、昭恵夫人が籠池夫人とメールでやりとりしている。驚きだ」と国会で質問した際には、
「私の考えとは違いますが、私の妻は、一度交流を持った人を自分から切り捨てるようなことはしないのです」と答えていました。
昭恵夫人への愛情を感じさせる答弁だなあ、と見ていました。
強い夫婦愛というか、本当に仲の良いご夫婦ですね。

けれど、昭恵夫人の無邪気さは、残念ながら、世の中には悪意が存在し、誠意をもって対応しようがそんなことは気にもかけない人間がたくさんいるということを、まるで想定していない無邪気さです。
悪魔なんて想定外というやつですね。

善意から行ったことが、意図したこととは正反対の結果になってしまう、というのは、社会でしばしば見る現象ですね。
そのことを、「理不尽だ」とか「世の中は汚れてる」というふうに嘆き、怒る人が多いですが、私はそうは思えないのです。

本当の善意とは、知恵を備えたものではないでしょうか。
いにしえの聖人たち、釈尊を見ても、老子を見ても、そこにあるのは真の善意と共に、深い知恵を備えています。
釈尊や老子のなさったことで、こんなはずじゃなかった、という結果になったことはありません。
それは、釈尊や老子は、世界の真理とともに、人間の悪意や愚かさ、どうしようもないサガについても、よくご存知だったからだと思います。
人間の悪意が引き起こすことを見通し、用心深く避けていたから、こんなはずじゃ、、、を起こさないでいられたのだと。

釈尊は「知らない、ということは罪である」とおっしゃったと伝わっています。
たとえ善人であっても、この現実社会で生きねばならない以上、悪意を知らないことは、きっと罪なのです。
そして、悪意を知らないゆえに用心深い備えをしないことは、とても罪深いことなのです。それは、森友問題を見ても分かる通り、自分だけでなく、罪なき周囲も巻き込んで不幸にするからです。
厳しいことですが。

昭恵夫人は奇しくも、公開されたメールで
「神様はどこに導こうとしているのか」と書いていました。
私は、知恵なきことの罪を教え、知恵ある善意への脱皮を促しているのだと、そのように思います。

わたしは、無邪気な天真爛漫な子どもでいるより、悪意を知り、世の善悪を飲み込み、その上で善意の側に立っていたい。
私はとてもとても未熟な、器の小さい人間ですので、むずかしいことですが、いつもそう願っています。
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幼女戦記

2017-03-18 12:52:45 | 映画、本
「幼女戦記」というライトノベルがありまして。
ふとしたところで、軍事関係者の方が、あの本の作者は軍事戦略をよく理解しているとおっしゃったのを聞きまして。
少なくとも、かわぐちかいじよりずっとマシ、とも付け加えていたのですが笑。

ラノベが原作ですが、漫画になって連載され、アニメ化もされて、そこそこ人気があるみたいですね。

ラノベなんて読むの、何年ぶりかもわかりませんが、原作のほうを読んでみました。
推測するに、原作者は20代のかなり若い男の子。
そして、数学オリンピックに行くような子が同級生にいるような環境の、かなり高いランクの進学校を卒業し、トップランクの大学に行った頭の良い子ですね。
おそらく個人的趣味で、経済学、戦争史、軍事戦略について詳しく、その延長で、遊びでこの本を書いた感じです。

「幼女戦記」というタイトルからすると、ロリコン受けを狙った変態的なストーリーを想像しますが、そういう話ではないです、たぶん笑。

物語は、第一次世界大戦と第二次世界大戦を混ぜこんだような状況のヨーロッパが舞台で、主人公は齢9歳の幼女なんですが、ドイツとおぼしき国の軍人として、最前線で戦うというはなしです。
主人公の年齢設定がクレージーですが、そこを除くと、二度の大戦で行われた、素晴らしかったり、どうしようもなかったりした戦略史を繋げた軍事ものです。
ヨーロッパと日本の古今の戦争史や、名将と呼ばれる戦略家、戦争のドクトリンに詳しいし、「正しく」理解してるというのは、その通りだと思います。

まだ未完なのですが(既刊は七巻まで)、ここまでの話では、地上戦が主で、制空権の重要性や、砲兵は地上戦の神!とか、塹壕戦や厳しい越冬戦に苦しんだりでした。
この先は、イギリスとおぼしき国と交戦するので、制海権の話に移っていくようです。潜水艦、魚雷が開発途上にあり、不完全なシロモノという設定なので、どうなるのかなーという感じです。

残念なのは、文章が味わいがなく、つまらないことです。単に事実を羅列した文章が並んでるだけのように感じて、退屈ですらあり、ストーリーの面白さを完全に殺してしまっています。
私は戦略や戦史についての興味から、なんとか読みましたが、しんどかったです。
さらにしんどいのは、自意識にまみれた厨二病的文章であることで、まあラノベだし、作者の年齢的に仕方ないのでしょうが。
いい大人が読めば、ただただ痛々しいものですね。
この人は、知識の豊富さとストーリーテラーの才能を活かし、原案を出す側にとどまり、他の人に文章化してもらったほうが売れるんじゃないか、と思ってしまいました。

あと、ストーリーとしては完全に付け足しの部分なのですが、超常的存在として「神」が出てくるんですね。
ここでの神は、単にストーリー上、都合の良い舞台を提供する猿廻しの役割にすぎないのですが、作者が神というものをどう認識しているかと、神なるものに強い疑いを持ってることがよくわかって、少しほほえましかったです。

作者は賢い現代っ子ですから、当然に近代的自我を持ち、合理主義で、科学が説明できるものに信頼を置く、ごく一般的な「近代人」です。
近代人は、この世の理不尽について、神への疑いをぬぐうことができません。
神が実在するなら、なぜこの世はこんなに理不尽で、悪がはびこっているのか?
なぜ、こんなおぞましい戦争なんてものが起きてしまうのか?
神が全能ならばおかしいではないか?という問いを発するわけです。
そして神なるものは迷信として実在しない!と結論付けています。

また近代的自我は、「自立した個」であることが決定的に大事だと考えます。
自分に関することは、国家でなく、親でなく、無論神でなく、誰に強制されることなく自分で決定するのが正しい在り方なのです。
現代にはびこっている、「個人の権利」を限りなく尊重する風潮は、ここから出てきます。
もちろん「基本的人権」の発見と尊重は、誰が疑うべくもなく重要ですけれども。
それを限りなく敷衍して、あらゆることに個人の権利を申し立てているのが、現代でしょう。
話を戻すと、その意味でも、近代人に神の存在は認められないのです。
なぜ神にわたしの運命を決められなければならないの?
なぜわたしが決められないの?という問いです。

この物語の主題は、二度の大戦でアレコレあった戦史を語りたい!という欲求なので、神をめぐる問いはちょっとしたスパイス程度のものです。
でも、この物語の中で、この二つの問いを何度も作者は問いかけていて、特に、自分で自分の運命を決めたい!誰の干渉も認めない!という欲求は、主人公(齢9歳ですが笑)を通じて強く発せられます。

作者自身が内的に感じている問いなのでしょう。
いやーもっともな問いだと思いますよ。現代を生きているなら、賢い子は誰でもそう思うでしょう。
若いうちはそれも良いのでしょう。
しかし歳を重ねたとき、近代的合理性のもと、神はいないと結論することの不毛さ、虚しさ、行きづまり感を、なんとなくでもわかる人と、そうでない人がいるようです。

それからほほえましいのが、神なるものの認識が、日本人まるだしであることです。
まず、神というのが外観からして明らかにエホバ神なのですが、これが一神教じゃないんです笑
エホバ、ヤハウェとも呼ばれますが、ユダヤ教、キリスト教の唯一神ですよね。
それが、幼女戦記ではあきらかに多神教でして、エホバは、神道でいうアメノミナカヌシにあたる、最高位の神なんですね。
それより下位ランクの神として、シヴァ神みたいなものが何人もいて、さらに大天使や智天使、熾天使なんかもうじゃうじゃ出てきます。
完全に日本神道の世界観です。
(天使は、神道では精霊や龍神、鬼神、眷属神で、神のご用のために使い走りをする存在ですね。小間使いさんとか、従順なペットみたいな感じで、神界ヒエラルキーではだいぶ下で、神ではないとされるようです。)

これ、ほとんど作者の無意識のものだと思うんですね。
ストーリー上、神はただの舞台提供者にすぎないので、原作者が神について、それほど深く設定を考えたフシはありません。
なんとなく、自分の中にある「神のようなもの、神のいる世界観」を書いてみたら、日本神道そのものだったということです。

こんなに若く、賢く、近代的自我にかなりヤられている現代っ子であっても、日本人の世界観は本当に、大昔から変わらないんですねえ。
すごいことです。
日本人は、仏教を大きく取り入れはしましたが、本心で信じてるのは日本神道の神々だけなのです。

はじめにアメノミナカヌシがあり、イザナギ、イザナミがあり、国産みをし、三貴神が産まれ、日本という国土は八百万の、無数の神々が満ちている。
日本人は今もこういう世界に住んでいて、ほかの世界観なんて、特に一神教なんて、日本人は本当に、これっぽっちも信じてないのです。

原作者は、宗教的な知識はほとんどないようですし、神をめぐる認識は非常に浅く薄っぺらいものですが、日本人の世界観を型作る日本神道の不変さ、強固さに、ちょっと笑ってしまいました。

最後に、主人公は神の存在を認めるのか、それとも神なんていない!のまま突っ走るのか。
原作者はこの問いに、確信ある答えを持ってないと思うので、どっちの結論になっても、浅くて中途半端感が否めない、残念な感じになる気がします。
まあ、本筋でないオマケスパイスですし、この物語的にはどうでもよいことですけれども。





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皇居の方角に感謝を

2017-03-17 03:42:35 | 日記
皇后陛下が帯状疱疹になられたと報道されていました。
天皇陛下とご一緒に、ベトナムとタイを訪問されて、お疲れが出たのではないでしょうか。
日本は寒期でも、あちらは暑いですから、気温差もこたえるでしょうし。
御歳が80歳を過ぎた方が海外を訪問されるのは、常識的に考えて、体力的に相当に負担なはずです。

私の叔父は、天皇陛下とおないどしというのを自慢にしておりますが、去年から足腰が相当に弱くなってしまい、少しの散歩もやっとになってしまいました。
80歳を過ぎた高齢者のからだは、とても脆いものだと感じます。
わたしはこの叔父がとっても大好きでして、温泉行こうよ、などあれこれかまうのですが、叔父は、弟のほうがかわいいようです。
一方通行の愛です笑
古い世代の人間ですから、跡取り息子というものを、無条件に大事に思うようです。そんなところも、おもしろいなあ、と微笑ましく見ております。

天皇陛下と皇后陛下は、どんなにお年を召されても、その御位にある限り、真剣にお役目を果たそうとしていらっしゃる。
まさに全身全霊を捧げていらっしゃるご様子を拝見すると、身を打たれる思いがします。
それもすべて、日本国と、この国に住まう人の安寧を願われてのことですから、あまりに畏れ多く、もったいなく、、、。
このようなお二人が、この日本の君主であられることは、あまりな幸運に、おそれおののく思いです。

わたしは、憲法がどうあれ、天皇陛下は実質的に、日本の君主であられると思っています。
敗戦で歪められてしまいましたが、イギリスと同じ立憲君主制が、今も日本の実態だと思います。
日本は、遠いむかしから「君民共治」の国なのです。
天皇陛下は、政治的実権は一切持ちませんが、神道の最高神官として、最高の権威であり続ける。そして、権力は国民が持ち、民主主義で政治を行なうのです。
それが君民共治です。

自民党の憲法改正案が、天皇陛下を君主とする立憲君主制であったので、あるとあらゆる方面からさんざんにこき下ろされ、アリエナイ!!の大合唱でした。
でもわたしは、そうだったらどんなにいいだろう、と思いました。そんな日本に住んでみたいと。
でも自民党の立憲君主制の憲法改正案が通ることは、万が一にもないでしょう。国民は、一度得た、国民主権という権利を手放すはずがありません。人間はさもしいものですね、、、。

日本国憲法が立憲君主制にならなくても、実態は立憲君主制なんですから、私が警戒するのは、天皇陛下の政治利用です。
明治維新から先の敗戦のあいだ、天皇陛下は、政治利用され続けました。
それは日本の歴史において、しばしばあることでした。
天皇陛下の政治利用は、天皇陛下を敬っていない人間がすることです。
天皇陛下を敬うフリをしながら、内心では、天皇陛下を便利な道具としか思っていないから、そんなことができるのです。

残念ながら、自己利益のために、天皇陛下を政治利用する人は、日本に絶えず存在するのだと思います。
そういう保守のフリをしたニセモノと、本当の保守を注意して見分けてねばならない、と思います。

話をもとにもどしまして、天皇陛下もそうなのですが、皇后陛下もしばしば体調を崩されます。
過去には失語症になられたり、帯状疱疹もよくかかられるように記憶しています。
お二人とも生身ですので、あたりまえですが、別の意味を思います。
天皇陛下はこの日本の国魂の依り代でいらっしゃる。天皇陛下が体調を崩されるときは、日本の国難を、その身に代わって受けておられるのだと思うのです。
そして、皇后陛下は、そんな天皇陛下をお支えしたいと真摯に願っていらっしゃるので、ときに、天皇陛下の受けるモノを、身代わりに受けていらっしゃるのだろうと。

そう思うと、今の皇后陛下の御不調も、何か、余人の知らぬところで、日本をめぐる霊的な攻防があるのかも、と思ってしまいました。
国際情勢が緊迫を増していますから、そんな風に思うのでしょう。

皇居の方角に感謝を申し上げ、陰ながら皇后陛下のご快癒をお祈りする次第です。



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見果てぬこと

2017-03-11 08:31:31 | 日記
わたしにはいくつか、夢ともいえないささやかな願いがあります。

ひとつは、先に逝った父に会うことです。

あの世は、この世の行いを厳格に反映した世界だそうです。
この世はごった煮なので、高い霊格の方も、地獄にふさわしい人も、会おうと思えば等しく会うことができます。
でもあの世の区別は厳格で、高い次元に属する方は、低い次元に自在に降りることができるようですが、その反対は絶対にできないと。

私はろくな人間じゃないし、これまでの行いを振り返りましても、あの世では、とても良い世界に行けはしないでしょう。
でも父は生前から、私だけにはとても甘いので笑、きっと会いに来てくれるだろうと思います。
父は、私を〝ごくふつうによい子〝だと信じてたようです。
ほんと親の欲目ですね。
本当の私はこんな、ひとさまに顔向けできないくらい、ろくでもない人間なのですが。。。
父もまた、生前はさまざまな騒動を巻き起こしたものですが笑、私は父が大好きでした。

父に会えるそのときは、私が知らないだけで、ずっと私を守り続けてくれたご先祖さまがたに、お礼を言うこともできるだろうと思います。

あとは、叶うかわからないことですが、あの世で、昭和帝や伊勢神宮を、とてもとても遠くからでよいので拝したいものです。
伊勢神宮にはたびたび参拝していますが、それは次元の隔たりがないこの世だから、わたしなどが神域に入ることができるわけです。
いずれも神界に属する方であり、神界に属す神域ですから、恐れ多いことですし、あの世では、神界とそれ以下の次元は隔絶していて、厳格な隔てがあるでしょうから、私にはとても参拝は難しいでしょう。
でもそれはさびしいことです。。。
光だけでも遠く遥拝できたらいいな、と思います。

わたしはたびたび昭和帝のことを書きますが、思わずにいられないからです。
昭和帝はいまどこにおられるのか。戦没者のたましいを救うために、現世に残っておられるならば、お痛みがあるのではないか、お苦しみではないか、気がかりです。
まもなく今上帝が譲位され、お孫さんの皇太子殿下が即位されますから、それを見届けて、昭和帝も神界にかむあがりなさるのかもしれません。

昭和帝はいつ思い出してもなつかしく、慕わしく、本当に尊く感じます。
苦難の戦争を経験され、戦後は、心ない非難を、反論も許されずに黙って引き受けていらした。御心を思うと言葉になりません。おいたわしく、涙が出ます。

あれほどのみたまが、この現世に60年以上も生身で留まり、この日本で天皇の責務を果たしてくださっていた。その稀有さ、有り難さは、あの世に行くまで、本当には理解しえないのかもしれません。

私は今上帝も大好きですが、昭和帝も好きでたまらないです。
いま一度でよいから、み姿をお見上げしたいものです。

それから、悠仁さまの御即位の式を、この目で見ることです。できれば、沿道で国旗を振りたいです。
その時は、天皇陛下の権威と、日本の誇りが復活するときのようですが。。。
そんなことが現実になりうるのかと、今はまるで遠い、見果てぬ夢のように感じます。
けれど、現実にしなければ、という責任も感じます。
わたしはミジンコの一撃にもなりえぬ存在ですが。。。
これを現実に引き寄せるのは、一人ひとりの日本人にかかっているのでしょう。














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自発性と内発性と救いをめぐって

2017-03-09 03:18:11 | 日記
神は実在するのか。

これに、そうだと思う、と答える私は、天皇の尊さについても、強い強度を持っている。

そうでなければ、この世のすべては虚構になる。人間が自己を保ち、社会を保つための、スケールの小さい、惨めで、荒涼とした作り話になる。

リベラルと保守をめぐって、宮台真司先生や東浩紀氏、津田大介氏などの動画をまとめて見た。

私は津田大介氏はぜんぜん好きになれないけれど、リベラルとしてはまともな方だと思う。
宮台先生、東浩紀氏の考えは、とても参考になる。東浩紀氏は完全にリベラル、でも天皇制には支持も反対もしない。
宮台先生は、リベラルも保守もどちらも良い点は認め、悪い点は口を極めて罵るので中立的。
ただ、宮台先生は天皇陛下が大好きだし、国家を大切だと言っているので、保守的な思想と重なる部分は多いのかもしれない。
でも宮台先生はそれをはっきり明言してなくて、色々な理由から、自分が「右翼」だと見られたくないんじゃないかと思う。

それにしても宮台先生で不思議なのは、天皇陛下を大好きな天皇主義者だと、自分のことを言ってるけど、同時に、キリスト教徒でもあって、それって両立可能なんですか?ということ。
宮台先生のようなカシコイ人が、その矛盾をどう論理づけているんだろう。。。不思議でならない。
誰か、宮台先生がこれについて言及している動画や本をご存知なら教えて欲しい。。。

津田大介氏は、天皇陛下のご存在は、平等の観点からおかしい、なくなるべきだと考える、典型的なリベラルだと思う。
私はその一点だけで、リベラルに嫌悪感が湧いてしまう。天皇制の存続を危うくするものは、どんなものであれ、こわいと思ってしまう。

東浩紀は、津田氏とは違う賢いリベラルで、天皇制が日本という国家にどれほど重要なる役割をしているか、理解している。天皇制は、日本という国の根幹であり、天皇制を廃止するときは、日本という国がなくなる時だということを、よくわかっている。
頭良いよね。
でも東浩紀氏にとって、天皇制とは日本という国家を維持する、単なる「機能」であり、尊敬したり尊重するものでない。
だから、東浩紀氏は、いつか「国家」というものの意義が薄れ、日本人が天皇制を廃止したくなったら、廃止すればいいと言っている。
つまり、天皇制を「実利」だけで捉えているわけで、これはカシコイ人達によくある態度。
津田氏のような頭の悪い平等論に比べれば、天皇制の実利的な面を理解しているだけでも、そうとうにマシなほうなんだけど、それでも、私は物を言う気をなくすような脱力を感じる。

リベラルな人達は、天皇陛下のご存在の、本当の意味や価値を感じ取れない人ばかりいる。

リベラルとは、正しさへコミットしようとする態度のことだと、宮台真司は言う。

私は、リベラルがコミットしようとするものを、正しいと思えない。
私はその世界では、どうしても納得できないものが残り、ひどく荒涼、殺伐としたものがあって満たされず、芯から安らぐことができなかった。
これは本音だ。

私は、神がいて、精霊がいて、天皇陛下がいらっしゃる世界に住みたい。
あの世が実在する世界に住みたい。
その世界では、神の摂理が全てに完徹し、因果応報、自業自得が完璧に機能する。
人の才能や、社会で成した成果などはどうでもいいことで、人は良心の発露だけが、たった一つ大切な問題。
だからどんな人であっても、どんな状況であっても、今この瞬間に救われることが可能になる。
たとえベットで寝たきりの人でも、惨めな路上暮らしで何ひとつ持つものがなくても。
私は、それを知ることではじめて救われ、この世界に納得がいった。

宮台先生は、自発性と内発性の区別を重視している。
自発性とは、特定の環境下における損得勘定で物事を判断して行動すること、内発性とは、判断が損得勘定を超えて、どんな環境であっても判断が変わらないことをいう。

私が天皇陛下を尊く、大切に思うこと、神道を真実だと思うことは、神が実在するという思いに支えられた、内発性のものだと思う。
私は、ほかの世界ではどうあっても救われなかった。納得もできなかった。ダメになっていくばかりだった。
あんな世界はもういやだし、私はあの世界ではたぶん、生きのびていけなかった。

私は今でもダメダメだけど、ろくな人間じゃないままだけれど、、、。
その経験、つらかった記憶は、神道と天皇陛下のいらっしゃる世界への思いを支える。

現在の科学常識と、人間の理性からのみ物事を測るリベラルは、荒涼とした、さむざむしい不毛地帯のように思う。

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