文楽 豊竹呂太夫 襲名公演

2017-05-29 22:35:48 | 日記
六代目豊竹呂太夫 襲名公演を観てきました。



国立劇場の現代的なのぼり(?)
かっこよす。
五月晴れのとても気持ちいい日でした。

私は能、狂言のほかに、文楽もわりと好きでして。
文楽の本拠地・大阪では、しょっちゅう文楽公演をやってるのに比べ、東京では二ヶ月に一度しか公演がないのが、かなしいです。

しかも東京の国立劇場は狭いので、チケットはすぐに完売。
そりゃー狭い愛好者しかいないと思うんですけど、
その人数は、あの国立劇場の座席数よりは多いんですよ!
と、わたしはいつも政府?文化庁? とにかく権限持ってるどこかのエライ人に向かって叫びたいです。

熱烈な愛好者の方々を押しのけて、グッドな席を押さえる勇気がなく、わたしはいつも、会場の遠く片隅からそっと観ております。
舞台よく見えませんけれど・・・いいんですわたしなんて・・・。
熱狂的なファン(たいへん高齢なかたがた)は、どこに座るか座席の定位置を決めてる方も多いらしく。
うっかりそんな席を取ってしまったら・・・想像するだにおそろしい。
((((;゚Д゚)))))))

ともあれ、文楽は近年、相次いで人間国宝が引退してしまいました。現在、太夫には人間国宝が一人もいません。
なんてことでしょう。
そんな中で、豊竹英太夫が「呂太夫」を襲名されるのは明るいニュースですね。



観客席入り口のしつらえ。



その中に、なんと新藤義孝さんのお名前を発見! びっくり。
文楽がお好きなんでしょうか?
新藤義孝さんは、硫黄島で玉砕された栗林忠道中将のお孫さんですよね。
新藤議員はとても控えめな方で、ご自分からはそのことをおっしゃいませんし、おじいさまのことを声高に語られることもありません。

映画「硫黄島からの手紙」で、栗林中将は日本でも有名になりましたし、おじいさまのことを話せば、国会議員として名を売ることも、影響力を増すことも、きっとできるのでしょうに。
アメリカと合同で行われる硫黄島慰霊祭で、新藤議員は日本側代表もされてますが、そのことも宣伝するわけでなく、ひっそり地道に活動されています。
わたしは、「むかしの日本人は新藤議員のような人たちだったのだろう」と、ひそかに、確信を持って思っています。
栗林中将も、散華された英霊も、そのほか数知れぬ、名もない日本の古人たちも・・・。

話が文楽から逸れちゃいましたが、会場の贈り花の中に、こんなものも。



安倍総理のほうは、文楽好きとは思えませんが笑
お付き合いか、それとも昭恵夫人がらみか? わかりませんが笑

今回の呂太夫襲名で、わたしがたのしみだったのは、襲名披露の口上です。
演者のみなさんが裃袴の正装をし、きちっと美しく並んだ姿で口上を述べるのですが、それはカッコいいです。
日本男子の正装はこれ(裃)やで! とか思います。
コレコレっていうかんじで、みんなこれを見に来ています。





(実際の呂太夫の襲名口上。産経新聞ニュースから画像お借りしました)

襲名口上もそうなのですが、文楽を「大阪らしいなあ」と感じるのは、能や狂言と違って、「カッコよさ」や「舞台映え」を、「鋭い美意識を持って」、追求してる点です。
こないやったほうがかっこええし、お客さんにもウケるやろ? という考え方が、あきらかにあります。

能では、カッコよさや舞台映えは、ものすごく抑制されています。そんな俗っぽいものに流されてはイカン‼︎ あくまで高尚幽玄に‼︎ という世界です。
その具体例が、能には、観客が笑うポイントは皆無、絶無だってことです。
そのため、舞台途中で、みんなつぎつぎ眠ってしまうわけですが(笑

歌舞伎は逆に、カッコよさや観客受けを狙いすぎなんですですよね。

文楽は、能と歌舞伎の中間に位置していて、必ずコミカルなシーンがあって、みんな笑ってますし。
見せ場は、うはーカッコヨス! と痺れる。
演出者が「客を飽きさせまい、客に楽しんでもらおう」という意識を持っていて、集客を考える、あきんどの町らしい笑
でも同時に「Too muchは野暮やで、あくまで粋にな! 」という、美意識の鋭さがあって、それがやりすぎを抑制して、格の高さ・品格を保っている。

文楽は、面白く、かつ格調高さも失わない、ちょうどいいポイントに立っているのだと思います。
わたしは、そこがとても好きです。

ところで、襲名披露の演目は、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)から、三段目と四段目でした。

呂太夫を襲名した元・英太夫は、切場(太夫の最上位だけができる)はできませんので、四段目「寺子屋の段」の前段を、呂太夫はやられてました。
後段の切場は、豊竹咲太夫が。
現役の太夫で、切場ができるのは、いまは豊竹咲太夫ひとりだけですから。

なんですかねえ。
わたし、全幕通して、すこーしガッカリしてしまいまして。
文楽って、結局は、観客がストーリーに感情移入して、せつない、かなしい、やるせない、という気持ちを持てるかどうか、だと思うのですが。
今回、あまりそれを感じることができず。
そうすると、菅原伝授〜が、身勝手な都合で罪のない実子を殺す、身勝手な大人たちにしか見えなくなってくる・・・。

それはそれで、あらたな発見かもしれない!ですが。(めっさポジティ部員な見方)
でも、引退された往年の人間国宝の太夫たちなら、そんなことなかったな、と思うのですよね。
菅原伝授〜は、実の我が子を、主君の息子の身がわりに差し出し、死なせてしまうストーリーですから、悲しみと忠義心との葛藤とか、もっと感じたかったなーと。

また、三味線の最高峰である鶴澤清治さんが、あいもかわらず、豊竹呂勢大夫の三味線を務めていて、切場ができないという、やるせない現状。
それってどうなの。

呂勢大夫さんは、毎回、子どもの声をやるシーンで、客席から忍び笑いが漏れるという・・・。
忍び笑いも、呂勢大夫の必死の甲高い声も、聞いてるのがつらい。
わざとらしすぎるんですよね。お声は大きく、張りがあって良いのでしょうが、抑揚に欠け、情感に欠け。
華やかで剣のある鶴澤清治さんとの三味線と、合っているのかもよくわからず。

太夫の上層部がごそっといなくなり、残された中堅が頑張っておられるわけですが。
文楽の存続のために、めげてはいけない。

たしか住太夫でしたか。
文楽は存続できるのか危ぶまれたとき、「こんなええもん滅びるわけない」とおっしゃった たそうです。
たしかに、そらそうだわーと思いました。
この先に期待したいと思います・・・。
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