沼津御用邸

2017-05-07 11:23:24 | 日記
先日、沼津御用邸に行きました。
たぶん、ほとんどの人がなにそれ知らない、、、ですよね?

沼津御用邸は、静岡県の沼津市にあった皇室の旧御用邸です。
大正天皇や昭和天皇をはじめとして、昭和中期ごろまで、頻繁に皇族方に使われていたそうです。
いまは沼津市に下賜され、「沼津御用邸記念公園」として、建物と敷地が公開されています。

公式サイト
http://www.numazu-goyotei.com/

しかし、知名度ぜんぜんないですよね?
ていうか、使われなくなった過去の御用邸って、皇室マニアでもなければ興味ないものかもしれません。

わたしは、ちょっとしたことで、以前から沼津御用邸の存在を知っておりまして。
たまたま訪問する機会があり、行ってみました。
で、展示されてる説明などから、
そもそも民間に払い下げられた御用邸って何個あるの?
なんでこんなに旧御用邸って知名度がないの?
と疑問に思っていたことなどが、いろいろ解消しました。

まず、旧御用邸は全国に11個もありました。
現役の御用邸は三つ(葉山、那須、須崎)しかないことを思うと、けっこう多いですよねえ。
旧御用邸のあった場所は、箱根宮ノ下、伊香保、小田原、熱海、塩原、など温泉地やリゾート地です。
作られたのはすべて明治時代で、ステキな場所に「別荘」を建てて避暑・避寒をするっていう、とつくに(外国)の習慣を、皇室が取り入れたわけですねー。

11個の旧御用邸のうち、一般公開されているのは、日光の田母沢御用邸、静岡の沼津御用邸の二ヶ所だけ。
なぜかといえば、関東大震災で倒壊したり、空襲や火事で焼けてしまい、建物が跡形もないものが多いのです。
建物が残っているものは、箱根宮ノ下のように、ホテルに使われるなどしていて(富士屋ホテルの菊華荘)、一般公開してないわけでした。

建物が現存し、一般公開されている日光と沼津、この二ヶ所を比べると、日光の田母沢御用邸は、沼津よりかは、そこそこ知られているような気がします。
というのも日光は、過去の建造物が丸ごと残っているのです。
何年かまえ、田母沢御用邸に行ったことがあります。なかなか壮麗な御殿で、たしかに見ごたえがありました。
日光観光のついでに訪れる人達が、それなりにいるようで、賑わってました。

いっぽう沼津は、今回行ってはじめて知ったのですが、メインの建物である本邸が、大東亜戦争の空襲で焼けてしまい、どうにか付属の建物が残っているだけだったのでした。
たしかに日光と比べると、建物も小さいし、華やかさもなく見劣りがするというか。
沼津って観光地でもないですし、わざわざ見にくるほどのものでないというか。
これは知名度ないわけだわ、、、という。

しかし空襲で焼けてしまったという本邸は、お部屋が97もある大規模なものだったそうです。
残された写真を見ましたが、下の写真のように洋館もあり、キラキラ豪華な建物でした。



もし残っていたら、それなりに観光地になったでしょうに。もったいなかったですねえー。

というわけで、日光を除いた旧御用邸の知名度のなさの理由は、だいたいわかりました。
要するに、見るべきものがほとんど残ってないってことだったんですね。

でも沼津御用邸の展示物を読んでみますと、皇族方が、思ったより頻繁に滞在されていることをはじめて知りました。
沼津御用邸が作られたのは明治26年、廃止されて沼津市に下賜されたのは、昭和44年です。
その間に、皇族方が滞在された日数は、
合計5000日だそうで、
「旧御用邸の中でいちばん多い! 」
と強調されてました(笑

展示を読んでいると、皇室ダイスキーには、あまり知られいない昭和天皇や今上陛下の過去を知ることができ、なかなか面白いところだと思います。
なにしろ、明治天皇妃の昭憲皇太后が、沼津御用邸で崩御されたことを、わたし、はじめて知りましたよ。
ぜんぜん知らんかった。

とくにゆかりが深いのは昭和天皇で、五歳ごろまで、この沼津御用邸で育てられているんです。
これは皇室のお子さまは、生まれてすぐに両親から離れ、臣下に育てられる風習だったためだそうです。
今上陛下も、小さい頃からずっと、ご両親と一緒に住めなかったんですよね。お寂しかったようですが、昭和天皇も同じで、やはりお寂しかったみたいですね。

でも、晩年の昭憲皇太后は、冬季は沼津に滞在されて、お小さい昭和天皇と一緒にごはんを食べたり、遊んだりされた、と書いてありました。
また大正天皇は子煩悩で、昭和天皇はじめ、お子さまを可愛がられたと聞きますが、


右から大正天皇、昭和天皇、弟宮の秩父宮。
この写真は沼津御用邸で撮られたそうです。大正天皇がご静養されたとき、ここで親子水入らずで過ごされてたんですね、きっと。

沼津御用邸に展示されたものの中で、いちばん微笑ましかったもの。



昭和天皇が三歳の時のラクガ、じゃなくて、お絵かき。
かわいい笑。どの軍艦を描かれたんでしょう。
昭和天皇には、沼津は子供時代の懐かしい土地であったようで、その後も頻繁にお越しになったそうです。

また、わたしが興味を惹かれたのが、今上陛下が最初に疎開されたのが、ここ沼津御用邸だったことです。
昭和19年5月のことで、今上陛下はまだ11歳くらい。
陛下が疎開された場所といえば、日光の田母沢御用邸の名があがりますけども、実は、最初は沼津御用邸だったんですね。
でも疎開してしばらくして、沼津も空襲の危険があることがわかり、日光に移動されたのでした。
実際、昭和20年1月に沼津は空襲され。
その後も何度も空襲にあって、沼津御用邸の大半は焼け、沼津市も9割が焼失してしまいましたから、日光移動の判断は正しかったんですね。
皇太子殿下のいのちさえ危うかった、あの大戦。
なんとも複雑な気持ちがしました。


本邸が大戦末期に焼けてしまった沼津御用邸ですが、残った付属邸を代わりに本邸として使い、昭和44年まで昭和天皇はじめ、皇族方が滞在されていたわけです。
付属邸から、昭和天皇や昭憲皇太后が過ごされた痕跡を、しのぶことかできます。



これは付属邸にある御座所。



調理室。
「天皇の料理番」で知られる秋山徳蔵さんも、ここでおおいに腕をふるったでしょう! と展示に書かれてました。
たしかに、昭和天皇が滞在されるときは、秋山さんはここで料理されてたわけですよね。
でも、展示によると御用邸の中って火事を恐れて「火気は最小限!」だったそうなんですよ。なので、この調理室でもせいぜい炭火くらいしか使えず、建物の外に作った石造りの物置?みたいなところでしか、強い火力は使えなかったそうです。
そんな環境でどう腕をふるえと、、、??
思いがけず、秋山さんのご苦労までしのばれました笑
そんな外みたいなとこで料理してたら、絶対、料理冷めるやんね。



これは市のサイトから。
お庭と付属邸。



付属邸の全景。
写真でみるときれいですが、実際は部屋数も少なく、小さな建物です。
華やかで豪華な田母沢御用邸とは、ぜんぜんちがいます。
皇族方が滞在されるのは、大変だったんじゃないかな、という気がします。

なんていうか、戦後の皇室は財産整理をして、日光の田母沢御用邸はじめ、いくつもの御用邸を手放したわけですよね。
狭く地味なこの付属邸を、つつましく使ってこられた昭和天皇。
昭和天皇が戦後16年間ものあいだ、空襲で焼けた宮殿を建て直さず、仮住まいの御文庫に住まれていたことを思い出します。

先帝をしのぶ良い場所かなと思いました。
御用邸のすぐ目の前は駿河湾です。
松林の向こう、おだやかな駿河湾はきれいですし、おちいさい昭和天皇が見た景色かと思うと、感無量です。



晴れていれば富士山も見えます。
わたしが行ったときは、曇りがちでよく見えなかったのですけども。

何かの折に、お立ち寄りになるのもよいかもしれません。

あ、でもたぶんなんですけど、沼津市は財政難なのかな??と。
敷地はかなり広いのですが、庭がけっこう荒れています、、、。
建物の維持で精いっぱい、庭まで手が回らない感じが、いたるところに。
観光客も閑散としてるし、収入ない、んでしょうね、、、。

日光の田母沢御用邸は、庭も隅々まで手入れされ、日光市がゆとりあるお金持ち感ありありだったのと比べると、「・・・」ですので。
あの、もし行っても怒らないでください、、、。


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