昭和の日に

2017-04-29 17:13:09 | 日記
皇紀2677年4月29日、今日は昭和天皇のお誕生日ですね。
昭和天皇が薨去されたあとは、天皇誕生日だったものを「みどりの日」としましたが、いつの間にか「昭和の日」と呼ばれるように。
いまは、5月4日が「みどりの日」になったそうで、なんかややこしいですね。

昭和天皇、さきのみかどがみまかられて、もう29年も経つのですね。
何度か書いておりますように、私は昭和天皇をとてもとても好きでして。
最近は昭和天皇を知らない方が増えて、なつかしむ思いを共有できなくて、さびしいです。

今上陛下しか知らない方には、昭和天皇が持っておられた雰囲気は、想像しにくいんじゃないかな?と思います。
昭和天皇は、非常に威厳のあるたたずまいの方だったと記憶しています。
庶民にとっては雲の上の方、お見上げするのもおそれおおい、と感じる方でした。

今上陛下は、お立場の制限のため、ご自身のお考えをおっしゃることは滅多にありませんが、即位されてからのお振る舞いから察するに、とてもリベラルな方です。
今上陛下が作ってこられたのは、身近で気軽に話せる天皇像ですが、昭和天皇には、やはり気軽に話せる、という雰囲気はありませんでした。

それは無理もないことで、昭和天皇は大戦で日本が負け、憲法上は日本の君主でなくなったとき、44歳でした。
それまでずっと、現人神(あらひとがみ)、絶対不可侵の神聖な存在として扱われていたわけです。
戦後、急に国民に親しみやすく振る舞え、と言われても、どう話をしたらいいか、どう振る舞えばいいのか、戸惑われた部分が大きかったと聞いています。

そのような理由から、昭和天皇の威厳のあるたたずまいは、当然だったと思いますが、いま思い返すと、それにはもうひとつ理由があったんだと思います。
それは昭和天皇が、ひとりの人間が負うには、あまりに大きな重責を背負ってこられたことです。
それが重々しい威厳として、たたずまいに滲み出ていらしたんだと思います。

昭和天皇のご年齢は、実はとても数えやすくて、西暦1901年生まれなのです。
ですので、即位された1926年には25歳、敗戦の1945年には44歳、崩御されたのは1989年、87歳でした。
20世紀の始まりの年に生まれ、大戦を経て高度成長を経て、日本経済の絶頂期・バブルがはじける直前に亡くなりました。
まさに、ザ・20世紀の日本、稀有な日本の時代を丸ごと象徴する方ですね。

わずか25歳で大戦に向かっていく日本で即位され、40代で敗戦を迎えるまで、昭和天皇が負った重責は、わたしなどには想像もつきません。

昭和天皇は一貫して、日中戦争にも大東亜戦争にも強く反対でした。
記録に残された昭和天皇のご発言から、これは明確な事実です。
昭和天皇は、軍部と対立しながら、戦争を止めようと、ご自身に許される限りの手を尽くされています。
でも、立憲君主制の明治憲法では天皇には実権がなく、戦争を止める力は、昭和天皇にはなかった。
昭和天皇がずっと悔やみ、ご自身を責めておられたのは、あの戦争を「止められなかったこと」でした。
きっと、ご自身の非力、不徳のせいだ、と考えておられたんだと思います。
天皇というのは、そういうものですから、、、。

敗戦濃厚の頃は、2600年続いたすめろき、皇統が自分の代で途絶えることを、覚悟したに違いありません。
そして戦争を始めておきながら、降伏するかどうかを日本政府は決められませんでした。
代わりに降伏を決断したのは、昭和天皇でした。
日本の長い歴史でも、これほど重い決断は幾度もありません。
昭和天皇のほかに、あのとき日本を残すことができた方がいたと思えません。

崩御されたときは、さびしかったですねえ。
日本人にとって、天皇陛下が亡くなられるより悲しいことは、ないですね。
わたしはこどもでしたが、ずーっと変わることなくあると思っていた大空が崩れ落ちてしまったような、そんなふうに感じたことをよく覚えています。
驚くほど大きな喪失感でした。

いま昭和天皇はどちらにいらしゃるのか。
こんな日は、こころからなつかしく、慕わしく、先帝を思い出します。

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