平泉澄博士の「物語日本史」

2017-07-01 05:41:37 | 映画、本
平泉澄(ひらいずみ きよし)という名前をご存知の方は、いま、どれくらいいらっしゃるのでしょうか?

わたしは、数年前に「皇国史観」というものを調べるまで、まったく聞いたことがありませんでした。
わたしが無知なだけかもしれませんが。

平泉博士は、中世日本史を専門とする歴史学者でした。第二次世界大戦における、日本の敗戦まで、東大で国史学の教授をされてました。
でも平泉博士の名は、学者としての功績ではなく、戦前の日本が「皇国史観」を確立し、国民に普及させるとき、中心的な役割を果たした人として、歴史に記録されるんでしょうね。

平泉博士の著書は、ひとつをのぞいて、とうのむかしに絶版です。
さいわい、うちの近所の図書館に、ふるーい茶色けた著書が何冊か所蔵されてまして、読むことができました。(そのうち廃棄されちゃいそう。)

今も出版されている博士の唯一の本、それが「物語日本史」です。
上中下の三巻組みで、講談社文庫で読むことができます。
平泉澄博士が、晩年に、日本の子供たちに、日本の神話や歴史を伝えたいと願って書いた本です。
そのため、小さな子どもに話しかけるような優しい口語で書かれています。



平泉澄博士は、中世日本史について専門的な本を何冊も書かれていますし、皇国史観に関わる本も、たくさん書かれています。
でもそれら平泉澄博士の、いわば本職における仕事は、「なかったこと」にされてしまい、子ども向けの本だけが残ったのは、なんていうのか、悲しいですね。

歴史のいきさつから、しかたないのでしょうが、本来なら、博士の著書は「全集」にしてまとめられ、後世に残されてよいはずの人だと、わたしは思います。
でも、ご著書のほとんどは忘れられてしまいましたので、このまま散逸してしまうのでしょうね。

それでも、「物語日本史」は素晴らしい本だと思います。
読んで驚くのは、平泉博士の文章が、とても品が良く、格調高く、美しいことです。そこには、日本に蓄積されてきた古い文化が、文章から香ってくるような、馥郁とした豊かさがあります。

平泉博士が皇国史観の提唱者であったと聞くと、そこから浮かぶイメージは、あたまのおかしい狂信者、天皇絶対主義をヒステリックに叫ぶ人、みたいな感じじゃないかと思います。
でも平泉博士の文章は、さすがに東大教授というべきか、当然に知性的で論理的ですし、口調は非常におだやかで、やわらかいです。

読んでいると、「日本はこんなにふるい由緒ある国なんだよ。天皇やご皇室は、こんなにも尊く、すばらしいものなんだよ」と博士が語りかけてきて、自分が「ほんとそうですよねえ」と相槌を打ってるような、そんな気持ちになります笑。

まるで博士の生涯は、日本に生まれた子どもたちに、日本の皇室の歴史を正しく伝えるためにあったかのようです。
おとなではなく、子どもたちに伝われば、皇室の真実は残っていく、と。

平泉博士は、学者然とした、高潔で清廉なお人柄であったようです。
戦前に皇国史観を主導したため、戦後、旧日本軍と同じように汚名にさらされましたが。
博士は1945年8月15日の敗戦日に、みずから東大教授を辞職し、すぱっと、まるで未練のない態度で、故郷に戻られました。
なかなかできることではないように思います。
その後は、実家の平泉寺白山神社に戻って宮司を継がれ、そこで亡くなりました。
現在も平泉寺白山神社には、博士のご遺族が住まれているようです。

「物語日本史」を読むと、平泉博士の天皇陛下とご皇室への、絶対的な尊崇と愛情は、亡くなるまでみじんも揺らがなかったことがわかります。

平泉博士の、清らかで品が良くて、立派なたたずまいに接すると、わたしなどが、そのきもちわかるーう! 天皇陛下だいすき! などとミーハーに言うのが、ためらわれるくらい(笑)。

何年か前、平泉寺白山神社に行ったことがあります。
真冬でしたので雪が深くて、広い境内には誰もいませんでした。
時が止まったように、人の気配というものがなくて、白山の息吹きが、そのまま降りてくるようでした。



勝山市の公式サイトから
http://heisenji.jp/

平泉澄博士は、白山の大神が、国体が敗戦で歪められてしまうことを見越して、日本の神話を子どもたちに残すために遣わした方だったんだろう、そう思います。
博士のお生まれも、まさにそれにふさわしい場所でした。








ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« テキトウすぎな葛プリン | トップ | 梅ジュースの成長記録 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画、本」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL