茶の湯 稽古日誌

私はこよなく茶の湯を愛しているものです。武者小路千家官休庵流とある宗匠宅でのお稽古の様子をお知らせします

吉兆のこと

2006-07-29 14:08:34 | Weblog
 テレビの話ばかりで恐縮ですが、先日のNHK番組プロフェッショナルに京都嵐山吉兆のご主人徳岡邦夫さんが出演されていました。
 吉兆と言えばいわずと知れた高級料亭ですが、私はS宗匠のお陰で二十歳代から吉兆に出入りすることが出来ました。三十歳の始め頃、吉兆本店へ連れて行って頂き、料理の美しさは勿論のこと、その使われている器の数々に舌を巻いたことを覚えています。備前焼の重鎮金重陶陽の大皿、鶴を形取った瀟洒な楽惺入の向付けが15客分揃っていたのには驚きました。まだ湯木貞一さんがご活躍されていました。もう亡くなられて20年ほどになりますが、生前お会いすることが出来た幸運に感謝するお一人です。とにかくおごりのない方でした。お話できたのは、ほんの十数分でしたが、若輩の私にさえ、やさしく料理やお茶の心を話して下さいました。その後吉兆本店ではS宗匠の茶会のお手伝いをさせていただいたり、裏千家の宗匠のお祝いの会に参列させていただいたりと昔は頻繁に訪れたものです。
 今も心斎橋にあるオーパーの心斎橋吉兆には時々参ります。湯木貞一さんのお孫さんにあたる店長が、ワインを和食に取り入れるためワイン会や、テーブルマナー講習を行ったりと、高級料亭のしきたりにとらわれない積極的なビジネスへの姿勢が気に入って仲良くしています。
 京都嵐山吉兆は最近とみに人気が出て、予約が難しいそうです。若い主人は独創的な料理を次々と生み出し、世界的に有名になっておられるようで、先日も英字新聞にでかでかと掲載されていました。でも今に至るまでは、並々ならぬご苦労をされ、‘いつもやめようやめようと思っていた’と番組で語っておられました。ある日タクシーに乗って帰る時、運転手から‘吉兆は三代目で潰れましたね’と言われたそうです。私もバブル崩壊の後、そんな噂を聞いたことがありました。挫けそうになった時、彼の気持ちを支えたのは、やはり偉大な祖父‘湯木貞一’だったと言います。若き三代目主人徳岡邦夫さんが語るプロフェショナルとは‘結果を出すまで、諦めない人’。私より一回りも年下の主人の含蓄ある言葉です

おしゃれ工房

2006-07-29 12:19:05 | Weblog
 27日偶然NHKを見ていましたら、おしゃれ工房に遠州流家元夫人小堀貴美子さんが出演され‘もてなしの心を日常に生かす’と言うテーマでお話されていました。家元夫人らしく、夏の着物を涼しげに着こなしておられたのが印象的でした。内容もなかなか実利的でよかったと思います。
 お客様を迎える場合、まず行わなければならないのは玄関先の打ち水。私も毎朝会社の入り口を掃除し、打ち水を致しますが、なぜが心が洗われたような気になります。夕方掃き清められ打ち水をしてある寿司屋に入ると、すしのねたまで光って見えると作詞家の中村先生がおっしゃっていました。
 また懐紙の効用についても言及されていました。一般的には懐紙は茶席に招かれた時の必需品ですが、茶席でなくても一般のお家に行かれるときに携帯されると大変便利ですね。お食事を頂くときに懐紙を四つ折りにしておいておくと、お酒や食べ物を少しこぼした時、それで拭うことができます。また銘々皿でお菓子を出された場合、茶席での正式な作法は、お皿を傷つけたりしないよう、懐紙に取って頂きますが、一般的にはお皿のまま添えてある黒文字(おはし)を使って頂いてもよいでしょう。ただし、餡などがお皿についたら懐紙で軽く拭います。また使った黒文字は懐紙を長方形に折った袋のなかにいれておくときれいですし、葉っぱなどがついている桜餅などは、葉っぱを懐紙に包んでおきます。
 また良いアイデアだなと思ったのは、懐紙を円筒状にして一方の口をおりまげ、その中にチェリーの種などをいれておられました。いずれにせよ、懐紙は使い勝手のよい、便利なものですから、料亭に行かれるときにも必携のものです。

夏のお菓子

2006-07-22 11:04:36 | Weblog
 NHK趣味悠々先週月曜日の放映で、裏千家千宗室家元が茶席の菓子を取り上げ京菓子の老舗‘末富’さんを訪問されていました。家元はお菓子はお茶を引き立てるものであくまで脇役に過ぎないが、お茶にはなくてはならない相関した関係にあるとおっしゃっていました。まさしく茶席において心を最も和ませるものは、私はお菓子だと思います。茶席で生きているもの、呼吸しているものは、花とお菓子だけです。
 それゆえ茶会におけるお菓子の選定は、亭主のセンスのみせどころです。味もさることながら、形、色、そして菓子の銘。そして菓子を入れる器。どれをとっても亭主としては気が抜けません。日本特有の四季の移り変わりを、巧みに映し出すのが和菓子の使命ですが、それを茶会のストーリーと結びつけて、客に語りかけるのは亭主の力量です。
 夏のお菓子としては番組の中でも紹介されていましたが、よく葛が使われます。熱を取るといわれる葛は口に含むとひんやりし、とってもおいしいです。
 また写真は先日の稽古に使われていたお菓子で求肥に白餡のスタンダードな饅頭ですが、瓢の形をしています。瓢は蔓を這わせて暑気除けに使ったそうで、夏の画材としてよく登場します。花入などにもこの時期使われ、茶趣俳味に富んでいます。愛らしい形と共に縁起物としても重宝されている、茶人には嬉しい素材です。

禅語のお勉強(1)

2006-07-18 15:38:45 | Weblog
 先日の稽古で掛けられていた一行物です。先々代愈好斎の若い頃の作品で、字に勢いがあります。‘行到水窮処(行きては到る水のきわまるところ)と読みます。
これは対句になっていて後半は‘坐看雲起時(座してはみる、雲の起こる時)です。唐時代の詩人王維の五言律詩の中の句です。西部さんの‘茶席の禅語’によると、川の流れに沿って進んでいくと川の源泉に達してしまった。そこで座りこんで向こうの谷間からむくむくと雲がわきあがるのを見ていた。青山緑水を友として、悠々自適の生活を送る道人の安閑無事の境界、また水と共に行き、水と共に去る無心のはたらきを詠じたものです。
 解釈は難しいですが、水の窮まるところに行き着くことから、涼しさを感じさせる掛物です。裏千家のお家元がおっしゃったように、茶会は掛物からストーリーを組み立て、花にまた道具へと展開させていきます。そのストーリーを読み取ることが、客に与えられた使命であると思います。

あれー?飲んじゃった!

2006-07-15 09:56:50 | Weblog
 今週放映された趣味悠々から。裏千家千宗室家元は、羽田美智子さん相手に露地(茶室に導く庭)の説明、関守石の意味等語っておられました。関守石は縄で十文字に括った石ですが、それが飛び石に置いてあるとその方向には進まないようにと、関守の役を果たすものだと習っていましたが、家元は正しい方向に導く石だとおっしゃっていました。同じことですが、ポジティブな解釈で気に入りました。
 露地を進むと蹲(つくばい)という手水鉢があります。客はそこで両手と口を清めます。これは茶室という別世界に入るために心を清めているわけで、決して手についたばいきんを消毒しているのではありません。私は稽古の場でも、必ず入室前の手洗いを守っていただいています。中には稽古に来る途中、駅のトイレで済ましてきましたという方がいましたが、ただ物理的に手を洗ってというわけじゃないのです。たとえ稽古でも茶室に入る以上、心の塵を落として入ってもらいたいのです。
 番組では、家元が羽田さんに蹲の使い方を指南されていました。まず柄杓一杯に水を汲んで左手を清め、ついで右手を清めます。再び水を汲んで、口をすすぎ残りの水で、柄杓の柄を清めます。少し柄杓の持ち方が官休庵と違いますが、概ね一緒です。ところがですよ、家元は口をすすいだ水を、ごくんと飲んでおられたようです。羽田さんも、確かに飲んでおられた。何度もテープを巻き戻して見ましたが、やっぱり飲んでおられる。口をすすいだ水は同然吐き出さないと、すすいだことにならないじゃないですか。番組見ておられた方、どう思われました?

テレビ趣味悠々から

2006-07-13 10:27:39 | Weblog
 今月はテレビ茶の湯講座がー裏千家 涼を見つけるというテーマで、月曜日10時から放映されています。今回も羽田美智子さんがゲストとして、千宗室家元のお相手をされています。前回は茶の湯をカジュアルにとらえる意図で、ほとんど洋間だとか野外でお茶が点てられました。家元の趣旨は理解できるのですが、なぜわざわざジャンバーを着てお茶をしなければならないのか?お茶には規則も何もないのですよ。利休もただ湯を沸かし茶を飲むだけと言っていますからと、ルールを無視したお茶に少なからず反発を感じたのは私だけではなかったようです。裏千家の方も、じゃ一体何十年も何を勉強してきたのかと、疑問を持たれた先生もいらっしゃったと聞いています。
 そんな批判が家元に届いたかどうかは知りませんが、今回は随分とオーソドックスな古典的な内容になっています。涼を見つけるというテーマは季節柄、相応しいテーマだと思います。お家元もおっしゃっていましたが、日本人は暑い暑いといってそれを遠ざけるのではなく、むしろ暑さと同化させて、涼しさを感じさせると云う工夫を太古の昔より考えてきました。お茶においての道具組にはまさにそれが見られます。葦で編んだ簾をかける。ガラスの水指を使う(テレビではギヤマンというカットグラスの水指を使われていました。)。涼を感じる掛物を掛ける。(テレビでは滝の絵の掛物に円能斎が賛を書かれていました)花を涼しげに入れる。等々の工夫がなされています。エアコンの涼しさを当たり前に思っている私たちにとって、道具から涼しさを感じ取るという日本人が培ってきた涼への感性を忘れてはいけないと思います。(写真はベトナムのハロン湾の夕陽です)

私と茶の湯のクロニクル(6)  

2006-07-10 08:53:15 | Weblog
 先日東京稽古場の思い出を書いていましたら、つい懐かしくなって当時の記憶を辿っていました。稽古の度に丁寧にこと細かくご指導いただいたK先生。東京弁のアクセントで‘けんすーい’と注意されると、びくっとして建水に手をやったのを思い出します。今はどうなさっているのでしょうか。いつも派手なヘアーピースを付けて稽古に来ていたT子さん。彼女は見かけたと裏腹にお点前の覚えが早く、一番奥の点前ばかり稽古していました。パン職人の奥さんになってフランスに渡ったM子さん。二人とも私とほぼ同年齢だったから、よいお母さん、場合によれば、おばあさんになっているかも。M子さんのお母さんのHさん。学生だった私を展覧会や食事に誘ってくださいました。あの時にめぐり合った稽古場の人たちが、どうか幸福な人生を歩んでおられることを祈ってやみません。
 そんな恵まれた環境で稽古に打ち込めた私は,とても幸せでした。負けず嫌いの私は、むしろお点前競争の先鋒を走っていたのかもしれません。次に進む点前をなさっている方のお点前を,眼を皿のようにして見つめていました。そしていざその段階の点前をする段になると、ほぼ完璧に順序を覚えていていつも先生から誉められました。下宿でも勉強や読書に疲れると、よく部屋に正座して頭の中でお点前を稽古したものです。とにかく点前の虫だった私は、それこそ必死になって点前を覚えました。今考えると20代前半、頭が柔らかい時に覚えたことが,その後の私の茶の湯人生にどれほど役立っていることでしょう。
 昭和47年8月、大阪に戻った私は、以後東京の方とはほとんどご縁がなくなりましたが、また新たなる師匠との出会いが待っているとは、その時は想像だにしませんでした。そうです私の人生に決定的に影響を与えることとなったS宗匠(同時はS先生と呼んでいました)との出会いでした。
 (写真は南フランスの海です。お茶と関係ない写真でごめんなさい)

私と茶の湯のクロニクル(5) 

2006-07-08 17:51:52 | Weblog
 昭和46年4月から一年余り、官休庵東京稽古場に毎週土曜日、時には月曜日火曜日とお茶の稽古に通いつめました。初飾りの薄茶を点てる為に、早朝から競って行ったものです。第一週目には道具が替わります。‘来週は台子を出します’と月の最後の土曜日に先生がおっしゃっると、次の週が待ち遠しくて前日には眠れなかったこともありました。
 東京の稽古場の雰囲気は以前書きましたが、とにかく先々代家元愈好斎好の広間の茶室雲竜軒が稽古場でしたので、それはそれは素晴らしいものでした。お点前さんに対し、お客さんが三人座る畳が決められていて、点前のみならず、客作法も厳しく指導を受けました。
 この稽古場は、大変おもしろいシステムになっていました。最初は薄茶から始まり、濃茶に進むとまず包み棗、小棗、それから茶入。それが出来ると入子、台調・・・・まるで英会話教室の入門→初級→中級・・・のようなクラス制みたいで一旦薄茶から濃茶になると、どんなに道具が替わっても自分が進んだ点前を稽古していました。従って上に進むと薄茶を忘れてしまっている人もいました。‘あの人はひと月で薄茶卒業よ。頭いいから’などと噂される始末で、当時若い女子大生が沢山稽古に来ていましたので、よかれあしかれ彼女たちの競争心をあおる結果となっていました。ある時東大医学部の女医さんの卵が、‘私より後で入った短大生のA子さん、もう濃茶まで進んでいるのに、私は今だ薄茶の点前を覚えられない。頭悪いのでしょうか?’と真剣に相談を受けたことがありました。うそみたいな話ですが、当時の稽古場の様子が髣髴として思い出され、ついほほえんでしまいました。
(写真は昨年行きましたフランスのモンサンミッシェルです)

絞り茶巾

2006-07-07 10:24:17 | Weblog
 先日の火曜日お稽古がありました。最近めっきりお稽古をなさる方が減って、寂しい限りです。最近のお嬢さんはお勤めをされている方が多く、‘家事手伝い’という語も死語になりかけています。お勤めも男性並みに働いておられる方がほとんどで、残業、残業でお稽古どころではないのでしょう。
 そんな中で、ゆっくりとお稽古を致しました。今日はAさんが絞り茶巾の点前をなさいました。茶碗を清める茶巾は、流儀によって寸法も折り方も異なりますが、いずれにせよ点前を始める前に、きちんと折って茶碗に仕込んでおきます。ところが絞り茶巾の点前は、わざわざ絞ったままの茶巾を茶碗に入れて、点前を致します。そしてお客様の前で、もう一度茶巾を建水の上で絞り、おもむろにたたみ直すのです
 この絞り茶巾の点前には二通りの意味があります。一つは夏場に行う場合です。この時は、たっぷりめに茶巾を湿らせておいて客前で絞ることにより、涼しさを演出します。また茶筅通しの湯を捨て、茶碗をいったん膝前において、茶巾を絞りたたみ直しますので、その間に茶碗を冷ます意味もあります。
 もう一つの意味は厳冬に行う場合です。これは夏場と逆さまに、茶筅通しの湯を捨てる前に茶巾をたたみ直し、その間に茶碗が温まるという効果を狙っています。
いずれにせよ点前は意味のないものは何も無く、‘夏は涼しく、冬は暖かく’利休の言葉通り、四季に合せて点前が工夫されています

江久庵

2006-07-05 15:06:04 | Weblog
 昨日大阪府堺市に先月オープンした和菓子のお店‘江久庵’に行って来ました。私の本業は御菓子屋ですのでビジネスの勉強にと思って行ったのですが、いやはや驚きました。売っている商品は、主に長崎カステラですが、金箔を散らしたカステラは一般の商品に比して二倍近くする高級品です。それもそのはず、店構えがすごい。お菓子屋の発想ではありません。
 エクセルヒューマンという会社がオーナーだそうで、店舗の奥に立派なお茶室がありました。この茶室は朝雲庵と命名され、大坂城の利休屋敷の茶室を茶室建築の権威中村昌生先生の監修で復元されたそうです。深三畳台目の茶室は亭主である利休が、床の前に座った秀吉が見えないように設計されているというのです。利休の秀吉に対する謙虚でへりくだった心の現われですとパンフレットには書かれてありました。がそうすると出炉で逆勝手の点前をしなければならず、そんな点前が昔は出来たのか不思議な気がします。秋に中村先生にお会いする機会がありますので、お尋ねしようかと思っています。
 三階にテラスがあり、そこから反正天皇陵が見えます。御陵を借景に旨く建てられてあるのに感心しました。
 惜しむらくは、きちんとお茶がわかる方が管理者におられないと云う事です。ご案内頂いた方は、若くてかわいいお嬢さんでした。言葉使いもきちんとされ、礼儀も真に行き届いてはいましたが、所詮付け焼刃の知識。腰掛待合に円座が無造作に散らかっていたり、蹲の手水鉢にゴミが溜まっていたりと、お客をもてなす基本的なことが出来ていません。その上北島三郎、千昌夫、等々の有名人から贈られた胡蝶蘭がずらっと並んでいて、とても侘びの雰囲気を感じるものではありませんでした。
 私たち茶の湯を愛するものからすると利休は神様ですから、神様を商売のねたにしないで欲しいなという気がしました。あしからず。