テレビの話ばかりで恐縮ですが、先日のNHK番組プロフェッショナルに京都嵐山吉兆のご主人徳岡邦夫さんが出演されていました。
吉兆と言えばいわずと知れた高級料亭ですが、私はS宗匠のお陰で二十歳代から吉兆に出入りすることが出来ました。三十歳の始め頃、吉兆本店へ連れて行って頂き、料理の美しさは勿論のこと、その使われている器の数々に舌を巻いたことを覚えています。備前焼の重鎮金重陶陽の大皿、鶴を形取った瀟洒な楽惺入の向付けが15客分揃っていたのには驚きました。まだ湯木貞一さんがご活躍されていました。もう亡くなられて20年ほどになりますが、生前お会いすることが出来た幸運に感謝するお一人です。とにかくおごりのない方でした。お話できたのは、ほんの十数分でしたが、若輩の私にさえ、やさしく料理やお茶の心を話して下さいました。その後吉兆本店ではS宗匠の茶会のお手伝いをさせていただいたり、裏千家の宗匠のお祝いの会に参列させていただいたりと昔は頻繁に訪れたものです。
今も心斎橋にあるオーパーの心斎橋吉兆には時々参ります。湯木貞一さんのお孫さんにあたる店長が、ワインを和食に取り入れるためワイン会や、テーブルマナー講習を行ったりと、高級料亭のしきたりにとらわれない積極的なビジネスへの姿勢が気に入って仲良くしています。
京都嵐山吉兆は最近とみに人気が出て、予約が難しいそうです。若い主人は独創的な料理を次々と生み出し、世界的に有名になっておられるようで、先日も英字新聞にでかでかと掲載されていました。でも今に至るまでは、並々ならぬご苦労をされ、‘いつもやめようやめようと思っていた’と番組で語っておられました。ある日タクシーに乗って帰る時、運転手から‘吉兆は三代目で潰れましたね’と言われたそうです。私もバブル崩壊の後、そんな噂を聞いたことがありました。挫けそうになった時、彼の気持ちを支えたのは、やはり偉大な祖父‘湯木貞一’だったと言います。若き三代目主人徳岡邦夫さんが語るプロフェショナルとは‘結果を出すまで、諦めない人’。私より一回りも年下の主人の含蓄ある言葉です
吉兆と言えばいわずと知れた高級料亭ですが、私はS宗匠のお陰で二十歳代から吉兆に出入りすることが出来ました。三十歳の始め頃、吉兆本店へ連れて行って頂き、料理の美しさは勿論のこと、その使われている器の数々に舌を巻いたことを覚えています。備前焼の重鎮金重陶陽の大皿、鶴を形取った瀟洒な楽惺入の向付けが15客分揃っていたのには驚きました。まだ湯木貞一さんがご活躍されていました。もう亡くなられて20年ほどになりますが、生前お会いすることが出来た幸運に感謝するお一人です。とにかくおごりのない方でした。お話できたのは、ほんの十数分でしたが、若輩の私にさえ、やさしく料理やお茶の心を話して下さいました。その後吉兆本店ではS宗匠の茶会のお手伝いをさせていただいたり、裏千家の宗匠のお祝いの会に参列させていただいたりと昔は頻繁に訪れたものです。
今も心斎橋にあるオーパーの心斎橋吉兆には時々参ります。湯木貞一さんのお孫さんにあたる店長が、ワインを和食に取り入れるためワイン会や、テーブルマナー講習を行ったりと、高級料亭のしきたりにとらわれない積極的なビジネスへの姿勢が気に入って仲良くしています。
京都嵐山吉兆は最近とみに人気が出て、予約が難しいそうです。若い主人は独創的な料理を次々と生み出し、世界的に有名になっておられるようで、先日も英字新聞にでかでかと掲載されていました。でも今に至るまでは、並々ならぬご苦労をされ、‘いつもやめようやめようと思っていた’と番組で語っておられました。ある日タクシーに乗って帰る時、運転手から‘吉兆は三代目で潰れましたね’と言われたそうです。私もバブル崩壊の後、そんな噂を聞いたことがありました。挫けそうになった時、彼の気持ちを支えたのは、やはり偉大な祖父‘湯木貞一’だったと言います。若き三代目主人徳岡邦夫さんが語るプロフェショナルとは‘結果を出すまで、諦めない人’。私より一回りも年下の主人の含蓄ある言葉です