茶の湯 稽古日誌

私はこよなく茶の湯を愛しているものです。武者小路千家官休庵流とある宗匠宅でのお稽古の様子をお知らせします

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楽しんでこそ

2006-12-31 08:27:30 | Weblog
 これが最後の記事になります。S宗匠から教えていただいた最大のこと。それは茶の湯を楽しむということです。もし宗匠に出会うことがなければ、こんなに長く茶の湯を続けられたかどうかわかりません。
 茶の湯を楽しむためには、ただ受身の姿勢だけでは進歩するはずはありません。点前を覚えるにも、袱紗捌きや茶筅通しに始まり、最初は苦痛を伴うものです。これはお茶だけじゃなく、英語を学ぶにも、またゴルフをするにも、同じことだと思います。ただ苦痛を通り越した向こうにある楽しみ。それを信じて努力出きるかどうかです。
 残念ながら私はお茶以外は、何も物になりませんでした。社会人として大半の方が没頭されるゴルフも、練習の成果を出せぬままに、挫折してしまいました。麻雀も学生時代友人が一晩かけて指南してくれたのに、一向に頭に入らず、友人が投げ出してしまいました。だから私は自分が全然出来ないゴルフや麻雀が出きる方を羨ましく思います。
 ただ茶の湯だけは、宗匠のお陰で、点前だけではなく、道具、歴史、建築、様々な分野に興味を広げることが出来ました。そして自分でも本を読んだり、茶会に出て道具を覚えたりもしました。なんでもそうですが、興味を持って努力すると、必ず漠然と広がっていた世界が、纏まって集約されてくるのです。そうすると益々茶の湯が好きになってきます。そうして趣味を深化させてきました。
 縁あって私のブログを見ていただいた方は、きっと茶の湯が好きで好きでたまらない方ばかりだと思います。どうかその気持ちを持ち続けていただきたいと思います。‘楽しんでこそ茶の湯です’
 私のモットーは、相田みつおさんの言葉‘一生勉強、一生青春’です。茶の湯も一生かけて勉強するものですし、青年のような瑞々しい感性を忘れてはいけないと思います。これからも宗匠に付いていろいろ学びながら、茶の湯を楽しんで参りたいと思います。一年間御愛読、有難うございました。
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私がS宗匠から学んだこと

2006-12-31 08:26:25 | Weblog
 もうこのブログを公開するのは今日が最後です。どうしても記録しておきたいことが、30年長きに亘り私の師であったS宗匠から教えていただきたことです。
 東京から戻り茶の湯を続けたく思った私は、父母の茶の湯の先生だった堀江先生を通じ有隣斎家元に相談致しました。家元から薦められたのがS宗匠ともうひとり流儀の重鎮の宗匠でした。私は正直どちらでもよかったのですが、当時まだ30代半ばだった若くてかっこいいS宗匠に付く事に致しました。これが運命の分かれ道でした。もし もしあの時別の先生を選んでいたら、私はまた違った茶の湯人生を歩んでいたでしょう。人生とはそんなものでしょうか。
 その後S宗匠には、公私にわたりお世話になりました。お仲人をして頂いたのもS宗匠夫妻でしたし、私の人生の様々な舞台で、ご指示を仰いだのも宗匠でした。 宗匠の茶会は、以後ほとんどお手伝いさせていただきましたが、茶会について今でも忘れることが出来ないエピソードを申し上げたいと思います。
 それはもう15年以上前になりますが、紅葉が真っ盛りの奈良室生寺で宗匠が茶会をされたことがあります。広間の座敷と、かなりはなれた小間の茶室と二席をもたれていて、私は一人、小間の方をを担当していました。小間があまりにも遠かったので、夕方近くなっても誰もお客がありません。時間が来たので仕舞おうと思っていると、息をきらした宗匠がお二人のご婦人のお客様を案内してこられました。どうやら広間の炭の火を落とした後、このお客様が来られたのでしょう。遅く来られたお二人は恐縮して何度も詫びておられるましたので、私は水屋からお菓子とお茶をお出ししようと用意をしておりましたところ、宗匠が私に点前をするように命じられたのです。私はお点前大好きですから、するのはいっこうに厭いませんが、時間もありません。それに、真新しい茶筅を下ろさなければなりません。が宗匠が急き立てておっしゃるので点前を致しますと、宗匠が半東につかれて、道具の説明を懇切丁寧に始められたではありませんか。お客様お二人は他流の方でしたが、感激されたのは言うまでもありません。何度も何度もお礼をおっしゃてお帰りになりました。
 私はいかにお客を感動させることが茶の湯に欠くべからざるものであるか、まざまざと知らされました。
 有隣斎家元が義父の愈好斎から学んだこと‘お包みの少ない方を大事にしなさい。なぜならお包みが少ない方は、その分気分的に引いておられるから、その人こそ大切にすると、人がついてくるのですよ’
 愈好斎家元の教えに通じるものを、S宗匠から学んだ気がしました。
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宗旦の年忌にあたり

2006-12-28 10:12:42 | Weblog
 来年は利休の孫、千宗旦の350年の年忌にあたります。宗旦は我々千家流の分流の元になった方ですから、三千家ともそれぞれ法要茶会をされるそうです。
 年忌については千家の祖、千利休の法要は50年ごとに三千家協力して行われています。年忌の歴史を調べると、その時代における三千家の力具合がわかり、おもしろいものです。実は茶の湯が今日の繁栄をみるようになったのは、大徳寺で行われた利休350年の年忌の茶会がきっかけになったとも言われています。
 1940年(昭和15年)がその年でした。当時表千家は、現家元而妙斎家元のお父様即中斎家元、裏千家は先々代の淡々斎家元、そして官休庵が先々代愈好斎家元でした。歳の順を上から言うと愈好斎→淡々斎→即中斎の順で、官休庵の愈好斎家元が名実とも千家の長老格でした。三千家が合同で献茶を行うとなると、献茶のうちのどのパートを担当するのか問題になります。献茶は、炭点前→濃茶点前→薄茶点前の順で行われますが、この三つの部分を三千家で担当するのです。が、お茶をなさっている方はすぐお気づきになられるように、なんと言っても濃茶点前が主役です。じゃだれが主役するの?この献茶のイニシアチブを取っていたのは、官休庵の愈好斎家元です。本来なら、長老でもあり、歴史的に見ても宗旦の嗣子の中で一番年上は官休庵の初代ですから、官休庵が主役を演じても誰も文句は言わなかったと思います。でも、そこが愈好斎家元の偉いところです。千家の本流は表千家である、と言う認識の下、一番歳の若かった表千家即中斎家元に濃茶をさせて、自らは前座の炭点前を勤め、また愈好斎を私淑しておられた裏千家淡々斎家元は、薄茶点前の脇役を演じられたそうです。現世的な欲に拘泥しなかった愈好斎の清廉潔白なお人柄が偲ばれて、感動する話です。
 この利休350年の法要茶会は、大成功裡に終わり、千を超えるお客様が詰め掛けたそうです。今の大寄せ茶会の起こりは、この年忌の茶会に始まると言われています。
 利休400年の年忌は、1990年(平成2年)同じように大徳寺山門で献茶が行われました。流儀上げての大掛かりな行事でしたので、私もお手伝いに参上し、献茶も近くでつぶさに見ることが出来ました。
 官休庵は先代有隣斎家元が病の為前年に隠居されていましたので、若き不徹斎家元が、そして表千家は而妙斎家元が、裏千家は長老格の鵬雲斎家元(現大宗匠)が献茶式に臨まれました。官休庵が前回通り、炭点前を、表千家が濃茶を、裏千家も再び濃茶を立てられ、利休の遺影にお供えされました。
 次回の450年忌は2040年です。生きていれば私が90歳になった年です。ちょっと無理かなあ。
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‘木守’茶碗について

2006-12-26 10:02:45 | Weblog
 官休庵流をお稽古なさっている方が,絶対知っていなければならない道具の一つが,この長次郎作‘木守’茶碗です。利休が茶の湯のコンセプトに合う茶碗として、初めて国産の茶碗を焼かせたのが楽焼の祖‘長次郎’であることは皆さんご存知ですね。その長次郎の焼いた茶碗を弟子に好きなものを取らせたところ、赤の茶碗だけが残りました。利休は‘こんなにいい茶碗を取らないとは’とその茶碗に‘木守’と名づけました。来年もおいしい柿が実るようにと最後の一個だけ残しておく習慣があるそうですが、その柿を木守りと言うそうです。
 後この木守茶碗は長次郎の作った名碗‘長次郎七種’の一つとして、官休庵に伝来しましたが、江戸初期、京都には火事が多く、焼失の恐れを抱いた三代目家元真伯のころに、お仕えしていた高松の松平候にその茶碗を献上しました。そして代々の家元襲名茶事の砌、松平候から拝借し、茶事が終了すれば外箱を作り、藩侯にお返しする慣わしになっていました。だからかなり幾重にも箱が作られていたはずです。
 ところが大正8年、官休庵に戻られた9代目の愈好斎家元が、古式にのっとり松平家から‘木守茶碗’を拝借し茶事を終えられたのですが、家元より戻された木守は不幸にも東京のお屋敷の蔵に保管され、大正12年東京を襲った関東大震災の犠牲になってしまったのです。家元始め官休庵社中の嘆きは如何ばかりのものだったでしょうか。そこで焼け跡から木守茶碗の一片を見出し、楽焼12代目の弘入と13代目の惺入と二代にわたりその茶碗の一片を埋め込んで‘木守’を再生したのです。
 だから今に残る木守茶碗は、大正から昭和初期にかけての再生品ですから、骨董品的価値は薄いかも知れません。でも埋め込まれた一片に、官休庵の歴史が、道統が包含されているのです。私は現不徹斎家元の襲名の折、手にとって拝見する機会に恵まれました。無論、愈好斎、有隣斎そして不徹斎 三家元の箱が添えられていました。15年以上前、現家元が高松まで‘木守茶碗’を拝借に訪問されている様子がテレビで大々的に放映されましたので、ご記憶の方もいらっしゃるとは思います。
 この木守茶碗は形も寸法も本当に美しく出来ていて、楽焼の代々も木守の写しを作っておられます。
 官休庵流を勉強されている方は、是非知っておいて頂きたいエピソードです。
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お点前を上手に見せるこつー3

2006-12-24 17:23:29 | Weblog
 お点前のこつについていろいろ書いてきましたが、最後に点前のめりはりについてお話します。点前のめりはりとは‘きめるべきところはきちんと決める’ということです。たとえば袱紗さばき。袱紗を膝に落とす時、きちんと左膝の上に落ちているでしょうか。折りたたむ時には体の正面で袱紗を扱っているとは思いますが、初心者の方は袱紗を落とす位置と、捌く位置が同じである場合が多いです。袱紗捌きのめりはりをつけるためには、きちんと、落とす位置と捌く位置が決まっていなければなりません。
 また最初から最後まで同じスピードでは、点前がだらけてしまいます。それゆえ‘おしまい’がかかったら、お点前のスピードを心持ち早くします。そうすることによりめりはりのある点前になります。が、なかなか難しいことです。点前のスピードを増すことにより慌しい点前になりがちです。これでは横着点前で、逆効果です。お客にわからない程度に微妙に速度を速め、‘いつの間にか点前が終わってしまった’と思わせるほどさらさらと点前をするには、かなりの熟練を必要とします。
 でも本当はこのような意識をすること無く‘無’の心境で行うのが理想の点前です。‘鞍上(あんじょう)人無く、鞍下(あんか)馬なし’(乗り手と馬とが一体となったように見えるほど、巧みに乗りこなす様)の心で点前が出きるようになれば最高です。昔のことですが、初心者で非常に熱心に稽古に励んでおられた方がいました。たちまち点前の順序を覚え、上手な点前をされていたのですが、あまりに皆さんがその方の点前を誉めるものですから、見られていると言う意識が強く働くようになり、わざとらしい仕草が目に付くようになりました。人間誰しも‘誉められたい’という気持ちは大なり小なりありますから、やむをえないですが、‘誉め殺し’されないよう気をつけたいですね。利休も‘かないたるはよし、かないたがるは悪し’と言っています。自然になるのはいいですが、こちらがむりやり合わそうとすると駄目ですよ。と戒めているのです。
 以上点前の心得を列挙してきました。これらはあくまで私が点前について思っていること、心がけていることに過ぎません。つまり私の独断と偏見によるものとお考え下さい。しかりながら、点前の心得で普遍の真理は‘お客様に美味しいお茶を召し上がっていただきたい’と言う相手を思いやる心であることは、永遠の真実であることを申し添えて置きます。
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お点前を上手に見せるこつ-2

2006-12-23 12:24:13 | Weblog
 点前は寸分の無駄もなく構成されています。つまり点前にはこれ以上加えることも引くこともできません。しかしながらなかなか無駄なく点前を行うことは難しいことです。たとえば官休庵流で例を挙げれば、水指、茶碗、棗、建水の運び込みを終え、柄杓を引いて点前の準備が完了したら、まず建水を出します。建水を動かすとすぐにその手で(左手)で茶碗を取りに行って体正面まで運びます。この時建水を出した手を膝に持ってきて、あらためてお茶碗を取りに行く人がいます。この膝に持ってくるという動作は無駄なのです。無駄ある点前は、だらだらした点前にみえます。無駄の無い点前をすること。これが点前を上手にする第二のポイントです。
 我々日常生活でも、この無駄を省くことがいかに必要なことか。一度ですむことを二度も三度も繰り返すことは多々あります。点前を通じて、‘日常生活の無駄を省くということ’を学ぶことができるわけです。
 点前のポイントの三番目は、使っていない手がきちんと膝に置かれていることです。手は用の手(つまり使っている手)と不用の手(つまり使っていない手)に分けます。たとえば水や湯を汲む時には当然右手で柄杓を持って行いますから、右手が用の手、左手が不用の手です。この時、左手がきちんと左膝の所におさまっていること。中途半端な位置におかれていたり、空中にあったりしていませんでしょうか?客側からすれば、不用の手が気になります。この不用の手に注意すること、これが大切なことです。
 四番目のポイントは、不用の手に関連していますが、指の先まで神経を使うということです。写真家の浅井慎平さんが昔テレビで語っていました。素晴らしい芸術作品はディテールまで素晴らしいと。つまりどんな細かいところまでも完璧さが要求されると言う事です。不用の手は膝の定位置に置かれているとして、その指先まできちんと整えられているでしょうか?指の間隔が開いたりしていませんか>茶碗を持って来る時、右手も左手もきちんと指が閉じられているでしょうか。そんなディテールまで気を遣うこと。それが点前を引き立たせます。
 このことは、日常でも大切です。マナー講座が華やかですが、どのマナーの本を見ましても、指先を綺麗に整えることが書かれています。食事を伴にする時、指先を綺麗にして箸を使う方は、しぐさが美しく見えます。‘ディテールに気を遣う’茶の湯の点前を通じて学べるもうひとつの事です。
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お点前を上手に見せるこつ-1

2006-12-22 11:29:18 | Weblog
 ほぼ一年間続けて書いてきましたこのブログも、故あって今年一杯でクローズすることにしました。思いもかけずたくさんの方々にお読みいただき、なにげなく書いたことの反響の大きさに驚いたこともあります。
 この一週間に何が書けるか?最後のフィニッシュタッチとして何が相応しいが考えた結果、お茶のお稽古をなさっておられるかた、特に初心者の方むけに、私が会得したお点前のこつをお伝えしょうと思います。熟練者の方はお気づきかどうかは別にして、自ずから身につけておられることでしょう。
 まず点前は細かい動作のつながりです。柄杓でお湯を茶碗に注ぐ。柄杓を釜に返す。茶筅を茶碗に入れる。茶筅通しをする。これら細かい動作が連綿と繋がっているわけです。それら細かい動作を完全にまた切れ目なく行うこと。これが第一のポイントです。
 棗の上に載っている茶杓と棗を取りにいく動作で例を示します。よく初心者の方が陥り易い欠点は、右手で茶杓を取りに行くとそれをきちんと膝まで持って来ないで、右手を宙に浮かせたままで、左手で棗を取りに行きます。茶杓を取りに行った右手は、右膝の上まで持って来て初めて、‘茶杓を取りに行く’と言う動作が完了するのです。茶杓を持った右手が宙に浮いたままではこの動作が完了していないのに、棗を取りに行くといった中途半端な点前を、往々にしてしがちであります。
 また茶杓を持った右手が、膝の上で止まっていては、動作が連綿と繋がっていることになりません。一瞬たりとも止まることなく、茶杓が膝のところまで来たらすぐに、左手が棗を取りに行く。このタイミングが最も重要です。点前の順序を完全に覚えておられない初心者の方は、なかなか難しいことです。点前は体で覚えるもの。頭で覚えるものではない。と言われて来ましたが、本当だと思います。よく‘流れるようなきれいな点前’と言いますがまさしく動作の一つ一つが完全にしかもよどみなく行われる点前のことです。
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私の好きな禅語-3

2006-12-20 09:45:54 | Weblog
 日々是好日: 恐らく禅語の中で最初に覚えた言葉でしょう。若い頃武者小路実篤の小説が好きで良く読んでいましたが、実篤が好んで書いた言葉がこの‘日々是好日’でした。よくお皿などに野菜や果物の絵と共に書いておられましたから、ご記憶の方もいらっしゃるのではと思います。私は単純に‘ひびこれこうじつ’と読み、‘毎日が良い日である’と言う意味だと思っていましたが、禅的には違うそうで‘にちにちこれこうじつ’と読み、'今日を最良の日として真剣に生きる’つまり過去に拘泥せず、未来をあれこれ悩まず、ただひたすら今の瞬間に命を賭ける。
 禅は常に‘いま、ここ、自己’を見つめます。いまこの一瞬を大事にし、いつも新鮮な気持ちで日々を迎えること。‘過去は去れり、未来未だきたらず、今を生かせ’とは昔から言われる金言です。先日テレビで、名前は忘れましたが、余命数ヶ月を宣告されたジャズシンガーがディナーショーで涙ながらに語っていました。‘私たちは生きようと思っても生きられない。死のうと思っても死ぬことが出来ない。だから与えられたいのちを一瞬たりとも無駄にせず精一杯生きたい’
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扇子のこと

2006-12-18 17:19:54 | Weblog
 16日(土)私が所属している伝統未来塾という会で京都中京区にある京扇の老舗‘宮脇賣扇庵’を訪れました。創業は江戸時代後期だそうで、新築の店舗にも伝統を感じる造りになっています。
 扇は私は中国からの伝来品だと思っていましたが、実は純粋に日本が発祥だそうで、中国や他の国へは日本から伝えたのだと言う事を知りました。当初の扇は檜の薄板を綴じて作られた檜扇(ひおうぎ)で現在の扇子の原型になりました。
 扇の素材は竹と和紙です。和紙は三層からなり、そこに中骨と言われる竹を一本一本手作業で通していくのだそうです。普段なにげなく使っている扇子が、このようにして職人の手を通して作られていることに感動しました。
 扇子はもともと涼を取るための物です。冬こそ扇子を持ち歩くことが必要だそうで、過度の暖房の処では扇子でさりげなく扇いでいるとそのひとのセンス(?)が偲ばれてカッコいいそうですよ。
 しかしながら扇子はそれ以外に様々な所に登場します。日本舞踊にはなくてはならない物ですし、落語家の手にかかれば、お箸にも盃にも変わります。
 私たち茶の湯に勤しむ者にとっては、扇子は欠かせないものです。茶会には‘傘忘れても扇子忘れるな’です。茶の湯では主客とも同じ高さの畳の上で挨拶しますので、常に自分と相手の結界をつくり、自分を謙る姿勢を見せる大切な物です。また床の掛け軸や花を拝見する時も同様です。
 ポケットにも入る小さな物が、かくなる力を秘めていることに驚かされます。これも日本人が編み出した感性でしょうか。
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私の好きな禅語-2

2006-12-14 17:40:03 | Weblog
 無功徳: 六世紀前半仏教に深く帰依していた梁の武帝がある日 禅の始祖達磨大師を招き‘私は寺を建て仏僧を養成するなど、仏教に貢献しましたが、どんな功徳があるのでしょうか?’と尋ねました。すると達磨大師は即座に‘無功徳’(何の功徳もないさ)と応えたと言います。
 私たちも往々にして‘こんなにあの人に尽くしているのだから’と相手に見返りを求めがちです。見返りを求めない心。それが神の愛であり仏の慈悲だと言うのです。なかなか出来ないことです。先日も電車の中で老人に席を譲ったのに、お礼の一言がありません。一日気分が悪く、もう二度と席を譲るものかと思いましたが、ふとこの禅語を思い出し、まだまだ修行が出来ていない自分を再確認しました。
 
 一期一会: 以前にも書いたのですが、この言葉は利休の高弟であった山上宗二の言葉をベースにして、彦根藩主井伊直弼大老が四文字熟語として‘茶の湯一会集’という書物の中で茶事の心得を述べた言葉です。一期とは人間の一生のことです。そういえば通常 さいご と言う字は‘最後’と書きますが、人間の臨終前は‘最期’をあてますね。‘戦友’と言う古い軍歌の後半に‘こよなく晴れた月今宵、心しみじみ筆取って、友の最期を細々と、親御へ送るこの手紙’つまり人間が一生を終わる前は‘最期’なんですね。だから一期とは人間が生まれて死ぬまでの一生。その一生に一回しか会えない。たびたび会うことが会っても、常に状況は変わっています。だから今日の出会いは、一生で今日しかないのです。そう思って、私は人と人の出会いを大切にするよう努めています。
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