《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

友への手紙~権威主義と闘う党であるためには、どこに問題があったのか――水谷・岸「対談」を読んで

2016-06-18 20:02:41 | 『革共同政治局の敗北』の感想、批判
友への手紙~権威主義と闘う党であるためには、どこに問題があったのか――水谷・岸「対談」を読んで

●腐敗行為が組織に与えるダメージは甚大

 対談「自著『革共同政治局の敗北』を語る――党概念のコペルニクス的転換ができるか」を読みました。水谷氏と岸氏の人柄がにじみ出ており、これはこれで楽しく読みました。お互いがお互いを深く信頼し、激しい党内闘争を共に闘いぬいたかけがえのない同志関係であることも感じられました。
 
 本題に入ります。『革共同政治局の敗北』は2006年3・14Ⅱを断罪し、その背景にあった党の路線的誤謬と清水指導の誤りを、著者ら自身の誤りへの自己切開を通して鮮明に浮かびあがらせた点に、その特徴があります。現在の革共同の衰退と混迷が、3・14Ⅱに凝縮されていることを鋭く突き出しています。多くの読者の共感と共鳴を得たのも、このあたりにあったのではないでしょうか。

 対して「対談」は、「財政問題」と「男女関係の問題」という極めてシリアスな組織問題=思想問題を、「革命を目指す党の腐敗」として抉り出している点に特徴があります。路線問題は抽象的であり、かつまた、その時点ではどちらが正しいのか判断出来ない(歴史的経過を経て決着がつくのですが)のに対し、「財政問題」「男女関係の問題」は、その時点で生起した生々しくかつ具体的なものであるがゆえに、私が知っている限りでも、より大きな「怒り」を呼び起こし、深刻な組織問題として党に与えるダメージは甚大なものがありました。
 実際、腐敗に端を発した怒りと憎悪は、党そのものへの不信と反発を生起し、党を離れていく同志も多くいました。それは理屈ではなく生きた感情であるだけに、思いとどまるよう説得する言葉もありませんでした。

 私も地域細胞の責任者として、財政問題では厳しく対応してきました。入党に際しては、全てを党に供出することを原則としてきました。預金通帳・貴金属は言うに及ばず、個人の趣味に属するカメラ・オーデイオ等、換金できるものは全て供出させました。正しく「鉄鎖以外失うものがないプロレタリアート」として入党させていました。
それを意外とも異常とも思わず、極めて当然の処置として、命じる側も命じられる側も平然と受け止めていました。であるだけに、「財政問題」であれ、「男女問題」であれ、腐敗行為には「裏切られた」との思いはより一層強く、特に指導部に対して激しい憎悪と憤怒が発生しました。

●党における男女関係のあり方が危機に直面した

 「男女関係の問題」の腐敗について述べてみます。
 その背景には様々な要因があったと考えています。その最たるものは「異なる部署」だったのではないでしょうか? 「公然と非公然」「合法と非合法」「異なる細胞への所属」などなど。
 とりわけ対カクマル戦争への突入と激化は、それまでの「男女のあり方」を一変させました。まがりなりにも「同じ屋根の下で時空を共有し、同じ空気を吸っていた」あり方から「別々のアジト生活」へと男女関係を切り離していったのです。「夫婦は同じ細胞に属さない」を原則としていましたから、会議で会うこともありません。闘争現場で顔を見合わせ「元気か!」「元気よ、じゃ又ね」と短い会話だけで離れていく……。

 さらに厳しいのは非合法・非公然の部署の同志たちです。闘争現場でお互いを確認する術もなく、時々のレターで意志疎通を図る以外ありません。「フラウドック」なる夫婦間の特別の会い方も編み出されましたが、非公然部門の同志の多くが指導的位置にあった同志であったため、何台もの車を乗り継ぐ特別の防衛体制が取られていました。また指導的位置にあった同志の連れ合いには、日常的に公安警察の監視と尾行が付きまとい、「フラウドック」の際にこの尾行を断ち切るためにも労力を要しました。こうしても常に成功するとは限りません。女性同志の側の尾行が振り切れなかったとか、指導的位置にあった男性同志の側に急を要するスケジュールが入ったとか、様々な要因で「フラウドック」が破産することも多かったと聞き及んでいます。
こうして徐々に疎遠になっていく……。

 私は何も「男女関係での腐敗」を擁護しているのではありません。正当化しているのでもありません。否、むしろ唾棄すべき、おぞましい腐敗と考えています。ただ、道徳主義的に断罪し、嫌悪感と感性的反発だけでは問題の解決にならないとの立場に立つがゆえに、実態をリアルに再現したのです。

●「イストとして恥じること無かりしや」

 私が入党した当時、指導部から餞に贈られた言葉があります。「革命家である前に、一個のイスト(共産主義者)たれ」と。「イスト」という聞きなれない言葉と共に、このフレーズは鮮烈に心に刻み込まれました。そしてこうも言われました。「イストというのはアプリオリ(前提的に)与えられているものではない。不断の自己研鑽と自己研磨の積み重ね、集大成である」。そしてこう結びました。「我々はイストではない。イストたらんとする者である」と……。
 「イストとして恥じること無かりしや」――私が座右の銘としてきた言葉です。当時の党内の腐敗が具体的に今回の「対談」において明らかにされるのを前にして、改めてこの言葉の持つ意味・重みを噛みしめています。

●革共同が権威主義と闘う党であった時代

 最後に、「権威主義との闘いに」について述べて見たいと思います。
 「対談」では、「どのような党を構想できるのか」「しなければならないのか」と問題提起をされていますね。そしてその答えとして「権威主義との意識的闘い」を核心に据えることを強調されています。全く同感です。
 官僚主義・行政主義・上意下達主義など形を変えても、それらは全て権威主義を背景にしていることは間違いありません。『敗北』が内在的に明らかにしているように、また私自身の体験からしても、党総体が、いつの頃からか権威主義に屈服してきたのです。

 それでも革共同は本多延嘉書記長時代には、権威主義を戒める空気と作風がありました。指導部自らが「指導部だから誤りを犯さないということはない」=「絶対無誤謬の党ではない」と口をすっぱくして語っていました。党を「物神崇拝」してはならない、何を命じられても「イエス、同志スターリン」と従うのは誤りであり、それはスターリン主義の最たるものだ、と警告していました。
 あるいは、指導と被指導の関係は、責任の所在=責任の取り方が違うだけである。指導部の責任の方がより重い。従って被指導部の過ちは、まずもって指導部自らが「指導の敗北」として自己批判書を書くべきである、と。
 当時の私はこの責任の取り方に衝撃を受けました。ブルジョアジーの社会と何と異なることか! 部下に責任をなすりつけ、恬として恥じないブルジョアジーの「上下関係」……。当時の私はこの党のありかたに、“共産主義ってすげえなあ”と感じると共に、「共産主義社会の萌芽形態としての党」を実感しました。

 指導―被指導の関係は、本質的には「対等」であり、「平等」なのですよね。
 ある時の会議でした。労働者階級出身の党員が、学生あがりの指導部をつかまえて「だったら、あだ名で呼んでもいいのかい?」とからかい、「ああ良いとも、大歓迎だ」と応じ、皆で大笑いしたこともありました。そこには、創成期から党確立途上期の党の何とも言えない溌剌とした雰囲気と、解放感がありました。

 それが権威主義で凝り固まった党へと変質していったのは、どうしてでしょうか。

●軍令主義が党のありかたを変質させた

 一つには本多さんを喪失したことです。『敗北』で分析・解明しているところですが、ここではこの指摘だけに止めます。
 いま一つは、対カクマル戦争の熾烈さだったと考えます。党全体を覆った軍令主義は大きな問題を生みだしました。とりわけ防衛戦争の貫徹=点検は、それまでの指導・被指導関係を一変させ、軍事の規律の名の下、厳しい「上下関係」を生み出していきました。日常的なアジト防衛戦争、職場の出退勤戦争、会議参加への尾行粉砕戦争等々。これらの戦争は死活的であるがゆえに、徹底した軍令であり、規律=服従を強制していきました。
 そしてその過程で、いつしか「対等」「平等」であるはずの「指導」「被指導」の関係は破壊され、命令を下す者と命令に服従する者へと変質していきました。「政治の軍事への優先」「政治主導」とは言っても、実際の戦争現場では軍事が全てであり、違反・例外を許さない軍令として支配していきました。それと共に、創成期~党確立途上期の党にみなぎっていた自由闊達な精神と解放的な雰囲気が消滅し、軍事優先=軍事規律が全てを支配する党へと変質していきました。これが現実でした。
 しかしそのことはまた、創成期に潜在的にあった不徹底、弱点、限界が軍令主義下で露わになったともとらえ返さなければならないでしょう。創成期と言えども、「財政問題」「男女関係の問題」に関する原則・基準、作風を自覚的・目的意識的に組織論の不可欠のテーマとして共有化することが求められていたと言うべきでしょう。今にして思えば……。

●「共産主義者たらんとする党」という自覚

 どうすれば良かったのか? すぐに答えは出せそうにありません。
 党として「戦争という未知の領域」へ踏み込むべく意識的に取り組みました。「軍事に対する政治の優先」が指導理念として確立され、「紅専」なる用語が『前進』新年号を飾った時もありました。クラウゼビッツの『戦争論』を学習し、軍事とは何かを学習もしました。
 しかし、現実の戦争の前に「軍令主義」と「厳しい上下関係」が蔓延する党へと変質し、「財政問題」「男女問題」が派生する党へと腐敗していきました。
それを専門にチェックする機関を党内に設置すべきであったとの「対談」での意見は重要な指摘です。特に財政問題については、その通りです。それと同時に、やはり最後は一人一人の党員の資質、つまり思想問題=思想闘争に帰すると考えます。

 この点で、革共同において、あるいはその一人一人において血債の思想をわがものとしようとしてきたことは重要な意義と位置をもっていたと思います。
 血債の思想について、ここでは詳しく論じませんが、帝国主義と民族・植民地問題、帝国主義と差別・抑圧の問題が常に具体的・現実的に存在している中で、抑圧・差別を受けて苦しむ他者から自己を照らし返し、自己を認識しなおし、自己批判的に自己変革せんとする内的な思想的葛藤を自らに課してきたのが、革共同のありかたでした。ここには、労働者階級とは何であり、何にならねばならないのか、自分は何であり、何になりうるのかというとらえ返しがあり、共産主義者とは何か、共産主義とは何かを究める道が開けていたと思うのです。革共同の誰もが七・七自己批判の立場を血肉化しようと格闘したはずだったのです。
 七・七自己批判=血債の思想はそれ自身が「財政問題」「男女問題」の組織的・思想的原則を意味するものではありませんが、それらを内的に律するものとして働いていたと言えるのではないでしょうか。

 誤解を恐れずに言えば、共産主義者としての自己の確立には、差別され抑圧されてきた全ての階層の人たちの批判と糾弾が不可欠だということです。
 共産主義者として生きると決意したといっても、旧社会(帝国主義社会)の汚物にまみれて生きてきた自己と決別するのは、そんなに簡単なことではありません。共産主義者として新たに再生-再出発していく上で、被抑圧・被差別人民階層からの糾弾は〈階級的援助〉と言ってよく、不可欠なプロセスだと考えます。もちろんその中には人類史において長きにわたって差別・抑圧されてきている女性からの糾弾も当然含まれております。また民族差別・人種差別・身分差別に呻吟する被抑圧・被差別人民にとって、その社会的・制度的・経済的・文化的・イデオロギー的な抑圧・差別は極めて現在的・現実的な苦しみをもたらすものであり、それは常に貧困の強制、金銭的苦難の構造化としてあることは言うまでもありません。
 そういう意味において、「鉄火の試練」をくぐりぬけてきた本物の共産主義者ならば、「財政問題」の腐敗、「男女関係」の腐敗が生起するはずがありません。あくまでも「するはずがない」としか言いえませんが……。 

 逆に言えば、血債の思想を「血債主義粉砕」として投げ捨て、敵対視するその後の革共同の姿が、革命党組織として権威主義とたたかうあり方に背を向けるものとなっているのは必然の事態であると言えます。

 「一皮むけば共産主義者といえども俗物である」とのレーニンの言葉を噛みしめつつ、共産主義者たらんとする非妥協的な思想闘争をしっかりと土台に据え、それだけではなく、さらに、「立ち木に鎖で自己を縛り付ける共産主義者の鉄の掟」で「自己を律する」以外ないのではないでしょうか?
 相互批判―自己批判の精神を党内にみなぎらせ、指導―被指導が決して上下関係を意味するのでなく責任の所在と責任の取り方を意味する原則を堅持し、被指導部の過ちを指導部の指導責任=指導の敗北として自己批判し、痛みをもって受け止める指導部のありかたが最も重要だと考えます。
 これは決して「党内のチェック機関」が重要という指摘と相反するものでなく、このシステムの根幹に「共産主義者の党」、否「共産主義者たらんとするもの党」のたゆまぬ努力が据えられるべきだと考えます。

2016年4月22日
竜奇兵(りゅう・きへい)

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「指導の敗北」に関する私見 (おーにっちゃん)
2017-03-15 21:50:02
”指導と被指導の関係は、責任の所在=責任の取り方が違うだけである。指導部の責任の方がより重い。従って被指導部の過ちは、まずもって指導部自らが「指導の敗北」として自己批判書を書くべきである”

これは私もその通りと考えています。
いまの中核派にはない考え方と思いますが。


私は、日立製作所から、思想信条を違法に収集され、懲戒解雇され、それ自体がもう幾重にも問題なのですが、中核派はその点をいくら主張しても、全く問題にしてくれませんでした。

結局中核派は、新しく寄り集まった者が、自分達にとってどう利用価値があるかどうかしか見ていませんでした。

”利用価値”という観点で持って同志を見る、その姿勢がもう、打倒対象である資本主義にどっぷりと浸かっている(”価値”で判断するのですから)という矛盾にさえ気づいていないと、私は考えています。

ウラを返せば、価値が全く見出せないけれども、仲間になろう、という思いになることが、真の共産主義だとも思います。


その、日立製作所時代に、国際標準に従ったプロジェクト管理に必要なテンプレート資料を作れ、と当時の上長から言われて、現実と比較して、テンプレート資料なんかを工場に押し付けても、労働者にとって無用な長物になってはダメと考えました。

そこで、上長を無視して、考えに考えあぐねて、結局行き着いた答えが、何かの仕組みを考えるのではなくて、リーダーが果たすべき役割を明確化しました。

(URL参照)

”リーダーは,プロジェクトのメンバーの進捗が把握できなくなった時点で,不断の努力によって保持すべき義務を果たしていないと看做される。”
”リーダーにしかできないソリューションを,メンバーに押し付けるようなリーダーがいるのであれば,本件はプロジェクト憲法第三条に反する。そのリーダーは,メンバーによりリーダーの上位上長に申告され,改善を要望される。改善が行われない場合,糾弾,または更迭の可能性を負う。”

というような記載が、上に当たると考えます。

当然のように日立製作所では理解されませんでしたが、中核派に持って行っても、学生運動から中核派を続けてきた者から、一瞥もされずに、「そんなことよりもマルクスを読め」と言われました。

対話もせず無条件にマルクスを押し付けてくるのでは、もうそれは”マルクス真理教”でしかありません。

改めて考えると、「マルクス主義」などと個人名を記載していること自体がおかしくて、自分らが真の共産主義である、と主張すればいいはずです。
「マルクス主義」などと言っていること自体がもはや、マルクスの名を借りた分派なのだと、私は考えます。
Unknown (おーにっちゃん)
2017-03-16 00:22:21
中核派を批判するブログにはこんなのもあるけどなあ・・・

狂おしく悩ましく 『前進』編集局員の事件録
http://blogs.yahoo.co.jp/hutagoyama_1



コッチのほうが具体的に中核派内部について記載してはあるし、更新頻度も多いけれども、私にはひとつ抜けとることがあると思う。

それは、いまの政治主張やねん。

中核派において自分の意見が認められんかったから辞めた、というのはわかるけれども、どういう理想像を描いていたのか、というのがあんま見えてこん。

戦術としていいものを主張したけれどもダメやった、というのは見えるんやけど、中核派の戦略がそもそもどうおかしいか、そして自分の戦略はどうか、は示されてないと考える。
Unknown (おーにっちゃん)
2017-03-20 19:37:13
ワタシは清水丈夫が”どうしても大西を採れ”と言うたから中核派に入った。

中核派では吉野元久の側近として活躍して中核派のトップになる予定やった。

それを東部ユニオン白井、小泉らが邪魔したんや。

大西秀宜
07069699177
kotochan0725@gmail.com
Unknown (おーにっちゃん)
2017-03-20 19:41:37
私のコメントに対してレスポンスが無いのは失礼ではありませんか?

私は中核派の有名人で日本政府にも狙われている大物なんですよ。

とにかく私のブログも読んでコメントください。

おーにっちゃん(大西秀宜)のブログ
http://onicchan.cocolog-nifty.com/
Unknown (おーにっちゃん)
2017-03-21 14:18:52
私だって、中核派なり動労東京なりを最先頭で引っ張ってく意思があったんやけど、白井も小泉も片野も吉野も、あと事務局の飯田もや、こんなバカ連中を相手にして闘うよりも、違う道を選んだほうがいいと判断してもた。

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-003f.html
Unknown (おーにっちゃん(大西秀宜))
2017-03-24 18:17:16
吉野元久ら動労東京は、ゴリゴリの中核派スターリン主義で、それ以外の考えの者は見捨てる。皆さん騙されないように。

私は動労東京に入って、中核派として入ったけれども、労働者ならば中核派以外の者も受け入れるというハナシと思った。

実際、動労千葉には自民党支持者がいるというし。

そういうのが労働組合のあるべき姿だと思った。

そうやって、アタマデッカチな中核派に対して、労働者の側から方針を提起していく、そんな場になると思っていた。

また、委員長の吉野元久は、11月に私が酒気帯びで3日間出勤停止になったとき、駅員でさえも酒気帯びのチェックはしないし、そもそも企業には生きてくための最低賃金を支払って、従業員を生きさせる義務がある、と、言葉だけは言った。

けれども、吉野は毎回言い分が二転三転して確たる主張がなく、12月の訴訟の夜に、首都圏青年ユニオンでいうところの"怒詰め"をして、私に対してブログを書くなと一方的に言ってきて、私が悩んで再び酒気帯びをしてしまった。

それで、2月初旬に7日間の出勤停止処分を受け、手取りなんて8万1千円しかなく、さらに二重処罰で、雇い止めにされてしまった。

なのに、吉野元久ら動労東京は、権力に立ち向かうことなく、私を中核派スターリン主義の反乱分子とみなして私を捨てた。

そんな動労東京を信じてはならない。

組合員第一の闘争をするのではなく、闘争の過程で、中核派スターリン主義者を生み出すのが、真の目的なのだから。

そんな組織に展望なんてない。
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-17ce.html

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