あおむし様が、語選択・書き取りについて、過去の読み問題が、書き取りで出題される可能性があるという鋭い分析をされています。音読み熟語で出た見出し語は、最初は読むだけでも大変ですが、読みができるようになり、他の分野の勉強も進めば、最終的には書けるようにした方がいいと思います。
ただ訓読みについては、例えば、18-1の漾、莨、頽、洽は訓読みの書き取りは出ないのではないかと考えています。仮に出ても漂、煙草、崩、遍と書けばよく、いずれも常用漢字ですから、簡単すぎます。だから、簡単な漢字で書ける「あつめる」とか「あきらか」とか「たすける」とかは、「辞典」の音訓索引に沢山漢字が出ており、読み問題や音熟語の書き取りで出る可能性はありますが、訓の書き取りで出る可能性は低いと考えています。
この点で、ささきしげき様もご指摘のとおり、私が使った「合格ノート」の特に故事・成語の書き取りには不満があります(なお、「合格ノート」は過去問に出ている問題も多数収録されておりいいところも一杯あります。)例えばTEST8の7-13に「石玉をつつみて山輝く」という問題があり、解答は「韞」となっていますが、これは「包」でもいい筈です。というかこういう書き取り問題は、漢検では出ないと思います。
確かに、「成語林」では、この慣用句の出典は、「文賦」で、原典には韞となっています。しかし、原典と同じ漢字で書けとか、1級漢字で書けとかいう制約は漢検ではありません。抑も、戦後の誤った漢字制限で、つつむは、包むでいいということになったのです。文科省後援の漢検協会が、文科省の漢字政策に反するような出題をするなんてあり得ないことです。
因みに、 韞ですが、「辞典」に見出し語が載っておらず、また「四字熟語」に使われていませんので、私の前々回の基準では憶えなくてもいい漢字になります。ところが、実は、韞については、「辞典」発売後の、14-1の(一)読み問題に
君子の才華は、玉韞(おさ)め玉蔵すが如くすべし
と出題されています。おさめるという訓は、「辞典」に出ていませんが、「必携」に載っている訓であり、私の前回の基準とも齟齬します。私は、この問題は、見出し語記載の訓を多く出題するという最近の問題傾向に合致しないと思っており、出来なくてもいいと考えているのですが、完璧を期される方は、勉強した方がいいのでしょうね。
なお、一方、明らかに意味の違う同訓異義語(18-1では搗つや鬘)や、腓で指摘したとおり、音訓索引に1級配当漢字が一つしかなくその漢字でしか書けないものは要注意です。16-2の訓読みで出た箍が、18-1で書き取りで出ています。
電子辞書の定番(漢字源)に載っていない読みも多数出ています。
かと言って、必携の読み(合格捷径の読みと同じ?)全部を覚えるのはちと気が重いので、私は意味を覚えることで知らなくても8割方解答できるように心がけています。
18-1と17-3の2回分だけで、即断するのは危険かもわかりませんね。
ただ、私の場合、1級は、記憶力の限界に挑戦しているというか、正直、私の記憶能力の限界を超えています。勉強していて、何度も、頭がぱんぱんになるっていう感じ、もうこれ以上は到底憶えられんという感じになりました。
当初は、「必携」の音訓を全部憶えようとしたけど到底無理。それより、少ない「辞典」の音訓にしたけど、これも大変。音読みは、1文字で聞かれる僅かな例外を除き、熟語で問われるから、見出し熟語に限ろうとしてきました。確かに訓読みは、見出し語の有無は、6月の試験までは考えず、見出し語の有無に関わりなく、辞典の訓は憶えようと思ってやってきました。
試験が終わって、今回の問題を「辞典」と対照させて、倩見ていると、見出し語から出ている割合が多いので、憶えるべきことを更に絞り込めるんではないか、しめしめと思って、記事にしてみました。
SIMO様は、連続合格されている方ですから、私など及びもつきませんが、以下、胸をお借りするつもりで議論させていただきます。
18-1の訓読み18問のうち、見出し語以外は2問、
① この傾向が偶々か否かということと
② 2問を落としてもいいか
という問題だと思います。
②については、私は、今回、書き取りでつまらない間違いをしているので、読みより書き取りに力を入れなければ、まあ訓読み2問くらいなら落としてもいいかと思っております。2問も出来た方がいいことは明らかですが、優先順位の問題です。
①について、全般的に、「辞典」重視の方向性は否めないと考えています。
そして、訓読みの見出し語があるかどうかについて、少なくとも、「辞典」編集者は、そこに有意な差を認めています。例えば、「のぞむ」について、音訓索引では、望・覬・歛・臨・莅の5文字載っていますが、本文1201頁の「のぞむ」には、望・覬・臨の3文字しかありません。全部は調べていませんが、本文中に、訓読みの見出しが書いてあるのが、見出し語のあるものだと思います。望む、覬む、臨むは見出し語にあっても、莅むと歛むは見出し語には無い訳です。
本文の「のぞむ」の見出しについて、「辞典」の「この辞典の使い方」9頁に、「代表音訓外の音訓」として、「特に重要な音訓」とあります。だから、望む・覬む・臨むは特に重要な訓であり、歛む・莅むは特に重要ではないということです。
現在の出題者が、「辞典」編集者のこういう考えを考慮に入れているといえるかどうかは、私は肯定的に考えたいのですが、確かに、もっと過去の問題を振り返ってみないといけないのだろうなあと思います。
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それと、抑も、「憶えるべきことを少なくする」という勉強法が果たして正しいのか、実は、私もよくわからないところがあります。
私は、今回は、沢山憶えようとしても憶えられないが、少なくしたらそれなりに憶えられたという体験をしました。数字で喩えると、例えば、2500憶えようとしても半分の1250しか憶えられないが、2000にしたら、8割の1600憶えられたという感じです。後者の方が良いわけです。
でも本当にそうなのか、やはり、ある一定割合は、忘れるものではないか、2000でも2500でも、2割は忘れるのではないか、そうであれば、憶えるべきことは多い方が、逆に、良いわけです。
何やら議論なのか、蒟蒻問答なのか、訳がわからなくなってきましたが、結局のところ、これも、みんなちがって、みんないい、ということなのかもわかりません。
長文失礼しました。
確かに3回合格しましたが、ギリギリばかりで。(^^;;
もう少し点数を上げたいと思い、勉強を続けています。間違いなく白魚一寸さんの方が実力は上だと思いますので、他の皆様もそのつもりで読んでくださいね。
最初に謝ってしまいますけど、前回のコメントは、ちと的はずれでした。申し訳ない。
つまり、見出し語記載以外の訓の出題頻度は大したことはありませんので、『覚えるべきことを少なくする』という趣旨で書かれていることは全くその通りとしか言いようがありません。
合格の為にいかに効率よく勉強するかという観点からは、無視してしまっても全く問題ないと思います。
頻度が実際にどれくらいかは、この際ゆっくり調べてみようと思いますが、なぜあのようなコメントをしてしまったかを一寸。
最近になって、過去問データベースを作り直したくなり、約3,500文字を漢検漢字辞典から書き写してその横に出題例を書き込んでゆきました。その際に、思っていた以上に見出し語以外の読みが入っていることに今更ながら気づいたのです。
それまでは、漢検漢字辞典の見出し語レベルまでやれば、ほぼパーフェクトという印象を持っていましたので、あれっ?と思ったのです。あ、この読みは見出し語にないのか。とか、出題範囲は予想以上に広いというか、細かいなぁ、と愕然としたわけです。
白魚一寸さんは、必携の読み全部覚えるのは頭がパンクするから辞書の見出し語だけにしたと仰っていますが、普通の人は辞書の見出し語全部覚えようという気にはなれないものだと思います。私もそうでした。
しかし、よく調べてみるとそれでもまだ十分とは言えないようなので、ちょっとガックリきたのです。
そういう気持ちがあのコメントにこめられていました。今読み返すとぜんぜんそのように読めませんね。すみませんでした。
漢検漢字辞典の最初から、準1級と1級の文字の内、訓読みで過去に出題された漢字を抜き出してそれが見出し語になっているかどうか見てみました。
阿(おもね)る から 捲(めく)る まで148語158題の内、見出し語にない読みが23ありました。
出題数の約15%にあたります。
18語中2語というのとほぼ同じと見て良いのでしょう。
この15%という数字が多いか少ないか。
23の内13語は、その字に唯一の訓読みか、或いは訓読みの表示されていない(意味の欄にしか書いてない)読みでした。つまり、その語の主要な意味を理解できていると正解できる可能性が高いものでした。(すくなくとも一つは訓を覚えましょう、という意味)
欹(そばだ)つ
彙(たぐ)い
貽(のこ)す
瑩(あき)らか
龕(ずし)
など
だから、見出し語以外も覚えましょう、という意味ではありませんので誤解のないように。(皆さん)
結局、覚えるのは一語一語しか覚えられませんので。
>漢検漢字辞典の最初から、準1級と1級の文字の内、訓読みで過去に出題された漢字を抜き出してそれが見出し語になっているかどうか見てみました。阿(おもね)る から 捲(めく)る まで148語158題の内、見出し語にない読みが23ありました。出題数の約15%にあたります。
早速お調べ戴いたのですね。有り難う御座います。
>見出し語記載以外の訓の出題頻度は大したことはありませんので、『覚えるべきことを少なくする』という趣旨で書かれていることは全くその通りとしか言いようがありません。
合格の為にいかに効率よく勉強するかという観点からは、無視してしまっても全く問題ないと思います。
SIMO様は、平成4年からの問題を総覧されておられるのですから、こうおっしゃって戴くと、有り難い限りです。
>欹(そばだ)つ 彙(たぐ)い 貽(のこ)す 瑩(あき)らか 龕(ずし)
この内、
① 欹(そばだ)つ 彙(たぐ)いは、「辞典」の訓に載っておらず(見出し語にもなっていない)、「必携」にだけ載っている訓
② 貽(のこ)す 瑩(あき)らか 龕(ずし)は、「辞典」の訓には載っているが、見出し語になっっていない訓ですよね。
私は、②は、数は少ないが、読みで今後も出題される可能性がある、これに対して、①に該当するのは最近は出題されないと思っています。①の「辞典」の訓に載っていないのが出題されたのは、14-2の「濬(ふか)し」が最後と思っているんだけど、違うかなあ。
>その語の主要な意味を理解できていると正解できる可能性が高いものでした。(すくなくとも一つは訓を覚えましょう、という意味)、
>だから、見出し語以外も覚えましょう、という意味ではありませんので誤解のないように。
ここがなかなか微妙なところですよね。
見出し語にない訓読みを憶えないと言っても、音熟語の見出し語として、
彙(たぐ)い 彙類
貽(のこ)す 貽貝
瑩(あき)らか 瑩徹
龕(ずし) 龕灯
とあり、いずれの音も出題されていますよね。
熟語については、記憶定着のためにも、意味を理解するのは基本だと思っています。そして、意味を理解するとは、熟語の意味だけを理解することではなくて、熟語を構成している個々の漢字の意味を理解することだと思います。
そうすると、例えば、彙類は、たぐいという意味であり、彙も類も、たぐいだから、同じ意味の漢字を並べた熟語と理解することになります。こう理解するのであれば、結局、彙(たぐ)いという訓を憶えるのとあまり径庭はないのかもわかりませんね。
ただ、私の場合は、熟語や個々の漢字の意味を「理解」することと、その訓を「記憶」することとの間にはかなりの差があり、理解はしなければならないが、憶えなくてもいいというのは、精神衛生上かなりよろしいのです。そこまで理解するのであれば、憶えられるという方は、憶えてしまえばいいと思います。
>白魚一寸さんは、必携の読み全部覚えるのは頭がパンクするから辞書の見出し語だけにしたと仰っていますが、普通の人は辞書の見出し語全部覚えようという気にはなれない
ここは、私が説明不足でした。問題集をやってもやっても間違えました。遣ったはずだけど思い出せないはまだいいのですが、こんなの見たことないと思って「辞典」を引くと、既にチェックがしてあることを何度も経験しました。
問題集には、「辞典」にない熟語も結構出てきますから、沢山は憶えられないため、終盤は、「辞典」の見出し熟語だけを憶えよう、それ以外は憶えないとしました。消去法にすぎず、「辞典」の見出し語を全部勉強したわけではありません。
一時期、常用や準1級の漢字が出てくると、「辞典」のその親字のところを見て、熟語を一つずつ潰しながら、「辞典」全部遣ろうと思った時期も実はあるのですが、これはものすごく時間がかかり、あっさりと諦めました。
一方、貴殿は、
>最近になって、過去問データベースを作り直したくなり、約3,500文字を漢検漢字辞典から書き写してその横に出題例を書き込んでゆきました。
ということですから、帳面を作成されるのは2回目なんですよね。私は、まだ、作りかけたばっかりです。
だから、
>白魚一寸さんの方が実力は上
は、貴殿の美しき誤解です。
なお、
>漢検漢字辞典の最初から、準1級と1級の文字の内、訓読みで過去に出題された漢字を抜き出してそれが見出し語になっているか
これって、「辞典」と垂涎七尺の帳面とを対照されたんですよね。「辞典」と帳面の漢字の順番が一緒だと、こういうときに便利ですよね。帳面の作り方を一寸考え直して見ます。
>、①に該当するのは最近は出題されないと思っています。①の「辞典」の訓に載っていないのが出題されたのは、14-2の「濬(ふか)し」が最後と思っているんだけど、違うかなあ。
これで正解のようです。
①の数で言うと、最初は殆どなかったものが、平成7年くらいからずっと毎回1~2問となり、平成9年第2回が4回と増え、平成14年の2回目まで増加傾向が続き、その後ピタッとなくなります。
これが何故か、少し悩んでいました。
ご承知のことと思いますが、漢検の試験は平成4年~6年くらい(初期)と8年~13年(中期)と15年~(現在期)では明らかに傾向が違います。
全体の流れとして少しずつ(ほんの僅かだと思いますが)難易度が上がっていること。常用漢字の数が減り、1級漢字の割合が高くなっていることが言えると思います。
そして、平成14年第3回に突如行われた大改正で、新種類の問題が現れました。語選択と音訓読みと対義語類義語です。この3種類の新しい問題群は、全て意味重視の問題と考えて良いと思います。
難易度を上げ、意味重視の問題を作成するという方向であれば、①の数が突然無くなるという理由がよくわかりません。その理由が何なのか考えていたのですが、単純なことだったのかもしれません。
辞典は、私の持っている初版の出版が2001年3月ですから、問題傾向大改正の直前です。
ですから、
>①について、全般的に、「辞典」重視の方向性は否めないと考えています。
「辞典重視」ではなく、辞典を作ったのだからそれに添うような問題にした、だけのことなのかもしれないと、今は思っています。
辞典作成以前の問題作成者と、辞典作成者と以降の問題作成者が同じが違うかも全く知りませんが。
>こう理解するのであれば、結局、彙(たぐ)いという訓を憶えるのとあまり径庭はないのかもわかりませんね。
そうです。結局同じことと思います。
というか、今回調べてみて思ったのは、結局、字を覚えるというのは、その字の意味を覚えるということです。 字の音や訓を覚えるというのは、検定合格の為に必要な技術ですが、その音や訓を使用する為には意味が分かっていなければ使えません。
だから、というか、必然的に意味を覚えざるを得ないのだと思うのです。
で、「辞典」の「意味」の文章はなかなか良く出来ているということです。今まで軽視してきてすみません。例え問題に出なくても、この「意味」の部分をもう一度全体に見なおしてみよう、とあらためて思ったのです。
数多くの1級合格者が比較的共通して述べていることの一つが、『辞典に並ぶ複数の熟語を見ていくのが、結局実力を付ける一番の道である』という意味のことを述べています。
これは、いろんな意味が込められていると思いますが、「複数の熟語を見た時に共通の『意味』が想起される(くらい字になれて理解できる)ようになると、記憶の定着スピードが著しく上がり、自分の実力が上がったという自覚が持てるようになる」ということなのではないかと。
長い割に内容がないコメントばかり、おゆるしを。
凄い! エネルギッシュですねえ。
>割合は、ほぼ15%前後。
毎回2~3問というところでしょうね。私は、最近2回の問題だけを見て、2~3点なら勉強しなくてもいいと思いましたが、この傾向が継続的であれば、全過去問(40回?)だと、80~120問になりますよね。こんなにあるのに勉強しなくてもいいんだろうかという気持ちになってきました。
私は、見出し語をある程度勉強すれば、見出し語にない「辞典」の訓は勉強しなくても合格できると思っていますが、見出し語の有無に関係なく、過去問に出た漢字を、「辞典」で勉強するのも一方法でしょうね。
合格のために、
A「見出し語」を全部をやって、見出し語のない漢字を勉強しないことと、
B見出し語の有無に関係なく、過去問に出た漢字だけを、「辞典」で勉強することと、
どちらが楽かなあ。
AとBの重なる部分、即ち、過去問に出た漢字の内、見出し語のある漢字に絞って、意味、音訓、見出し語を勉強すれば合格点に達するような気がしますが、私は過去問を全部持っていないので今のところ分析不可能です。私も過去問集めようかなあと思います。
>「辞典」の「意味」の文章はなかなか良く出来ているということです。
>例え問題に出なくても、この「意味」の部分をもう一度全体に見なおしてみよう
>多くの1級合格者が比較的共通して述べていることの一つが、『辞典に並ぶ複数の熟語を見ていくのが、結局実力を付ける一番の道である』という意味のことを述べています。
>これは、いろんな意味が込められていると思いますが、「複数の熟語を見た時に共通の『意味』が想起される(くらい字になれて理解できる)ようになると、記憶の定着スピードが著しく上がり、自分の実力が上がったという自覚が持てるようになる」ということなのではないかと。
確かに、「意味」が複数あり、「辞典」の訓は一つしかないような場合は、熟語の意味を理解するのに、一つの訓だけでは足りず、訓にはなっていない「辞典」の「意味」を理解していく必要があるでしょうね。例えば、SIMO様が、頻出語として指摘された爛ですが、見出し熟語と意味の関係を、「辞典」を見ながら書き出しますと、
糜爛、焦頭爛額、欄柯、腐爛、衍蔓流爛、爛熟、爛脱
の爛は、訓にある「ただれる」という意味でいいと思いますが、
爛然、爛発、爛漫、燦爛、絢爛、爛爛
の爛は、ただれるという意味ではなく、必携の訓にだけある「あざやか」とか「はなやか」という意味ですよね。
こういう意味の違いは、ぼんやりとでも意識しておく必要があるでしょうね。
1級は、いずれにせよ、やることが多くて大変ですよね。