
と、このAA(アスキーアート)をずっと探していたのだが、途中でこんなのばっかり見つかってしまった(笑)。

まあいずれにせよ、一昨日の国会で、与党民主党議員によって撤回を迫られた「GKB47」というキャッチフレーズは、野田総理の「見直す」の一言で、たった1日で撤回が決まった。
「GKB47」撤回 自殺対策広報ポスター25万枚回収・廃棄(産経 2012.2.7 22:00)
岡田克也副総理は7日の記者会見で、政府の自殺対策強化月間の標語「あなたもGKB47宣言!」に批判が続出したことを受け、「GKB47」のキャッチフレーズの使用を中止し、本来の意味の「ゲートキーパー」に言い換える方針を明らかにした。300万円をかけて印刷された広報ポスター25万枚は、回収・廃棄される。
岡田氏は、約2週間前に内閣府の担当者から「GKB47」使用の報告を受けたことを明らかにし、「かなりとがった表現だと思ったが、私のような常識的な人間が専門家の考えたものを変えるのはよくないので、『これで結構です』と言った」と釈明した。「GKB」は「ゲートキーパーベーシック」の頭文字。「ゲートキーパー」は、自殺に陥りそうな深刻な悩みを抱える人に気付き声をかける支援者のことで、「47」は都道府県数を意味するが、人気アイドルグループ「AKB48」をもじったことに批判が相次いでいた。
6日には72の民間団体が、「人の生死と向き合うフレーズとして不適切」として撤回を求める抗議声明を発表。「苦しんでいる人たちがこれを見てどう思うのか」との批判や、GKBが若者の間でゴキブリを意味することから「政府がやりたいのは自殺対策の推進ではなく、自殺の推進」といった中傷が広がっているとしていた。
自殺対策に取り組むNPO法人ライフリンクの清水康之代表は「キャッチフレーズがそのままだったら、遺族や自殺を考えている人たちは、命が軽んじられていると思ったり、政府の無理解を感じたりして、悪い影響を与えると懸念していた」と述べた。内閣府自殺対策推進室は批判を浴びた一連の経緯について「取り上げられ方はどうかと思うが、今回の件でゲートキーパーを知ってもらえた面があるなら、よかったのではないか」と話した。(ここまで)
>300万円をかけて印刷された広報ポスター25万枚は、回収・廃棄される。
これは、一昨日の参議院予算委員会で、あの村木厚子・厚労省官僚と、岡田克也副総理兼行革担当相が繰り返していた発言なんだよな。手前味噌ながら、たまたま私がツイッターで国会実況していたので貼っておく。


しかし、そんな私も、質問した松浦大悟議員の迫り方がかなり感情的だったので、撤回はないだろうなあと思っていた。
松浦「○○(自殺予防施設、NPO)も反対だと言っています。総理、どうか撤回していただけないでしょうか。」
村木「ごにょごにょ」
松浦「△△(別の組織)も反対だと言っています。総理、どうか撤回していただけないでしょうか。」
岡田「ごにょごにょ」
松浦「□□(別の組織)も反対だと言っています。総理、どうか撤回していただけないでしょうか。」
野田総理「率直に言って、違和感を感じる。もう一度検討させていただきたい。」
とまあこんな調子であった。国会で「もう一度検討」と言っても、「検討した結果、やっぱりこれで行きます」というのが定番だと思っていたので、いわゆる鶴の一声的にネーミングが変わったのには驚いた。



「もうポスターも刷ったので」って、300万円かよ。1枚あたり10円ちょっとである。消費税増税や、公務員の人件費2割カットなどの論点に比べれば、ハッキリ言ってゴミレベルのものである。これで、いろんな人から
「GKBって・・・バカじゃね?」
と、さまざまな自殺防止団体が鼻で笑われることがなくなり、なおかつこの件が大いに話題作りになったと考えれば、300万円の使い道としては意外と有意義だったのかも知れない。
それよりも、「GKB」の「GK」の元である「ゲートキーパー」という発想に、私は根本的な違和感を感じている。自殺するということがあたかも天国(地獄)への門を通過することで、自殺防止運動は、その門の前に立ち、その門をくぐらせないようにすることだ、という認知的枠組みがあるから
「ゲートキーパー」
という言葉が自殺防止用語として使われているわけだ。しかしこれは、逆にいえば、
「門をくぐらせなければいい」
というふうに思えて仕方がない。すなわち、行為としての自殺さえとどめさせれば、それで第一の目標は達成されたのだ、という当局の思いが透けて見えて仕方がないのだ。
「いや、自殺防止はあくまでもスタート地点で、その後のケアまで考えることは当然だ」
と、自殺防止NPOや役場は答えるだろうが、だからと言って、例えば経済的事情で自殺しようとした人が思いとどまったときに、どういうケアがあるのかについては明確に答えられないだろう。
昨日の産経新聞では、「自殺防止は精神科治療だけでは足りない」と称して記事を載せていたが、結局は「人と人とのつながり」という抽象論で終わっていた。いや、その「つながり」を感じられないから自殺するわけで、その「つながりを感じられないこと」の原因として、うつ病などの精神疾患は重要な原因として、むしろもっともっと一般大衆に認知されてしかるべきだと思うくらいだ。
「治療」とはまず第一に「休むこと」なのだが、特に非正規労働者は、「ゆっくりと休む」という機会がなかなかないことにも問題がある。非正規労働者にとって、「休む」とは「その分の収入がなくなる」ことであり、収入がなくなることの恐れから、ワーキングプア状態ではないにせよ、ひたすら働くことばかりを優先させ、その反動として燃え尽きたり、慢性疾患を持ったりするケースも多いだろう。その一つが、「うつ病→自殺」という一連の流れとしてたまたま表出しているに過ぎないと考えている。
正規労働者も、もし「この会社からドロップアウトしたら人生終わりだ!」という圧力を感じ続けるような労働環境にいるならば、非正規労働者と状況は全く変わらない。不景気が続いている中、「とにかく実績を出せ!」という方向での有形無形のパワーハラスメントは、数多くの企業で現実として続いているという実感も私自身が感じている(友人や同僚へのヒアリングで)。
だからと言って、休暇に手厚い金銭的保護を与えることも、この財政危機の中では無理なことだ。だからこそ小中高時代の教育が重要だと私は考えている。現実世界は競争ばかりなのに、アホの日教組教員や全教教員は口を揃えて、
「子どもたちに競争させても学力は上がらない!」
の一点張りである。じゃあいつ競争に慣れさせるのよ?という話だ。これに対してアホの日教組教員や全教教員は、
「それは私たちの仕事ではない!」
の一点張りであろう。だから橋下市長や一般大衆から穀潰し(ごくつぶし)扱いされるのである。
知人友人に聞いても、ゆとり教育になったからと言って、「生きる力」とやらが増えた新入社員が出てきた!などという話は全く聞かない。むしろその逆だ。
・アホばっかり入ってきやがって!
である。
いやー、あの悪名高い寺脇研的には、
1 教える内容を少し減らすことで、
2 教師が生徒に「生きる力」を促す教育がしやすくなり、
3 その結果として、生徒も自主的に動くクセが身につく。
だったはずなのになあ。現実としては全くそうなっていないのはどういうことだよ(苦笑)。中小企業が大学に求人票を出していても、学生の方はマイナビやリクルートなどのインターネットでしか求人を探さない、しかも大企業だけ、という「ミスマッチ」のどこが、
「自主的に動く『生きる力』を持った子どもたちが成長した結果」
なんだよ(苦笑)。
長期的には、あの悪名高い寺脇研が導入したゆとり教育を捨て、「学力」と「競争力」と「生きる力」を融合させることとはどういうことか、ということを、教育論の中で具体的に議論していかなければ、日本人の自殺者は減らないだろう。「ゲートキーパー」とやらをいくら増やしても、本質的な問題解決にはならないのだ。












ちなみに、最近変えた「プロフィール」のところの絵も、某有名なAAの一部です。
わかる方だけにわかっていただければいいのですよ。ふふふふ。。。