「原発の話をしたら友人から"特別扱い"」というタイトルで始まる以下のような記事があった。
原発の話をしたら友人から"特別扱い" 若者に広がる問題意識の温度差(ニコニコニュース 2012年1月16日(月)18時01分配信)
若者たちは原発問題についてどのように向き合っていけばいいのか――。原発のない未来に向けて専門家や市民が議論する「脱原発世界会議」。開催初日の2012年1月14日には、元福島県知事の佐藤栄佐久氏や緑の党・欧州自由同盟副代表のレベッカ・ハルムス氏らがゲストスピーカーとして招かれる中、「若者と原子力」をテーマに大学生が語り合う企画も開催された。
「脱原発世界会議」の企画の一つ「ハタチの議論〜若者が考える原子力」。恵泉女学園大学を中心とした東京の大学生で構成される学生団体・SARA(学生から原子力を考える会)と福島大学の学生らによるパネルトークだ。「実生活での原発事故・放射能の被害」をテーマに、若者の立場から「福島大学は5月上旬に新学期が始まった。その頃には外でランチを食べたり、芝生を走りまわる学生がいた。福島第1原発事故前の日常に戻っているように感じた」「魚は絶対食べないようにしている。野菜や肉も産地に気を付けている」といった意見が交わされた。
■若者たちの間で広がる「温度差」
「ハタチの議論〜若者が考える原子力」には、訪れた50名ほどの一般来場者も10代後半や20代の学生とみられる若者が多数を占めており、若者の原発問題に対する関心の高さがうかがえる。しかし、登壇者をはじめとする原発問題への関心が高い若者たちは、同年代の友人から"特別扱い"の視線を受けることがあると話す。パネルトークでも、登壇者や会場から「原発の話をしたら友人から『そういう話はもう辞めて欲しい』と言われた」「ツイッターで原発の話をつぶやいたら、友人からフォローを外された」などのエピソードが紹介された。
■「無関心の人がいたとしても、責められない」
原発問題に対して若者の関心の温度差が広がる中、若者たちは原発の問題についてどのように付き合っていけばいいのだろうか。
今回のパネルトークの登壇者で慶応義塾大学の村西祐亮さんは「原発問題について知っている人が知らない人に伝えていく姿勢が重要。そのために地道に伝えていくことを続けていかないといけない」と語り、進行役を務めた恵泉女学園大学の川畑美結さんは「原発問題と向き合わないと始まらない。そのために考えることが一番大事だ」と話した。
一方で、登壇者で福島大学の田中真衣さんからは
「無関心の人がいたとしても、それが責められる問題でもない。私たちは原発問題に関心があるけれど、沖縄の基地問題はよく分からない。原発問題について、全員が考えるというのは難しいのではないか」
という意見も出た。
このような若者の原発問題に対する議論について、"大人"はどのようにみるのか。企画に参加した38歳の高校教師の男性はこう振り返る。
「原発をこれからどうするのか、安全に生活していくにはどうすればいいのか。原発問題はこれからの世の中を生きていく若者に大きく関わってくる。だからこそ若者が自分で考え、(原発の在り方を)決めていくべきだと思う。高齢の政治家たちが決めてもしょうがない。あの人たちはいなくなるのだから」
<福島大学の学生・田中真衣さん>
<SARA(学生から原子力を考える会)代表の川畑美結さん>
(ここまで)
反原発ムラの自称インテリたちが、
「主体(行動しようとする人間)は、けっしてたんに手段として用いられるべきではなく、それ自身目的として用いられなければならない」
『実践理性批判』(岩波文庫)
という名言を、むかしカントというえら〜い哲学者が残したということを知らないのだろうか。知らないんだったら、いい機会だから知っておけ。あと、キミはそんなことすら知らないのだから、今後はインテリぶるな。
知っているのだったら、「脱原発世界会議」と銘打ったイベントの中で、脱原発派たちの都合のいい価値観や結論だけを刷り込まれた「子どもたち(大学生もそれが見抜けないようなら子どもだろう)」を多数揃えたうえで、「ハタチの議論〜若者が考える原子力」なるテーマで
・「原発の話をしたら友人から『そういう話はもう辞めて欲しい』と言われた」「ツイッターで原発の話をつぶやいたら、友人からフォローを外された」などのエピソード
なるものを紹介させることで、「子どもたち」に被害者面をさせるんじゃないよ。
ここに登場している「子どもたち」のほとんどは、「反原発の大人たち」によって特定の結論に至るよう「予定」された「議論(それを、非左翼論壇では「議論」とは決して呼ばないのだが)」をあらかじめ行い、それを再び会場で再現するための駒として、すなわち「手段」として使われているだけである。オイオイ、子どもをダシ(手段、駒)にすんなよいい加減にさ。フェアに運動しろよ、山本太郎と反原発ムラのムラビトたちよ。
違うというのなら、なぜこの「議論」とやらに、「原発賛成派の若者」の意見が一つも出てこないのだ??
・「福島大学は5月上旬に新学期が始まった。その頃には外でランチを食べたり、芝生を走りまわる学生がいた。福島第1原発事故前の日常に戻っているように感じた」
・「魚は絶対食べないようにしている。野菜や肉も産地に気を付けている」
・「原発問題について知っている人が知らない人に伝えていく姿勢が重要。そのために地道に伝えていくことを続けていかないといけない」
・「原発問題と向き合わないと始まらない。そのために考えることが一番大事だ」
・「無関心の人がいたとしても、それが責められる問題でもない。私たちは原発問題に関心があるけれど、沖縄の基地問題はよく分からない。原発問題について、全員が考えるというのは難しいのではないか」
こういう「意見」しかないのだが、どれを見ても、「原発賛成」と解釈できる意見は見当たらない。それどころか、
「知っている人が知らない人に伝えていく姿勢が重要」
とは、何から目線なのか。「原発反対派、ないしは原発に批判的な人間だけが真実を『知っている』」という前提なしには絶対に口にできない言葉である。
さらに、二つ目の意見には何の根拠もない。ただ風評被害を助長させているだけの発言だ。この発言のどこが、「原発について考えている意見」になるのだ???
そして「神は細部に宿り給う」も蓋し名言である。上に紹介されていた写真にもそういう姿勢は実に端的に表れている。

なんじゃこの「ヒジを横に出っ張らせてます姿勢」は。そんな「姿勢」で、他人と「対等」の立場で「議論」なんぞできると思っているのだろうかこの「SARAに属している自称学生」とやらは。
学生は、人と「議論」をするときに、ヒジを外にとんがらせてやるんですか????母親が子どもに対して「説教」する姿勢ですよそれは。
もしもこの記事が、
・『「脱原発世界会議」が、反原発の若者を揃えて、どうすれば反原発運動を広げられるかを議論した』
というタイトルで、そこに
・「原発反対の話をしたら友人から『そういう話はもう辞めて欲しい』と言われた」「ツイッターで反原発の話をつぶやいたら、友人からフォローを外された」などのエピソード
を紹介した、という記事本文であったなら、私は何も怒りを感じない。なぜなら、もしこういう記述をしていたなら、その記述自体は正確であるがゆえに、この記事が、ここに出てくる「子どもたち」を「手段」として使い、ある特定の政治的メッセージを読者に「刷り込もうとしているのだな」という意図を感じなくなるからだ。
ところが、そういう「自分の主張」が「固定化されていること」に関してはきれいに何重にもオブラートに包んでおいて、
・「原発の話をしたら友人から『そういう話はもう辞めて欲しい』と言われた」「ツイッターで原発の話をつぶやいたら、友人からフォローを外された」などのエピソード
を紹介したという記事を書き、いかにも「彼らはニュートラルな立場で原発の話をしようとしたら拒絶された」「ツイッターでニュートラルな立場で原発の話をつぶやいたら、友人からフォローを外された」という雰囲気を仕立て上げ、その雰囲気をさらに「手段」として、読者に対して、「子どもたち」ないしは「若者たち」に対するまちがった印象を与えようとする。それがタイトルにされている、
・原発の話をしたら友人から"特別扱い"
という文言が、読者を導こうとしている方向性によ〜く表れている。
これこそが、「子どもをダシにした、ニュースの形をしたプロパガンダ」でなくて何なのか。この記事の仕立て上げ方に対して、猛烈な怒りを感じる。
カントのありがたーい言葉の意味からかみしめ直していただきたい。
また、別角度からの話になるが、ある話をしたら友人からフォローを外されたから何だという話でもある。「ツイッターでの相互フォローが、友情の証あるいは象徴」とでも言いたいのだろうか。
だとしたら、それは友情でも何でもなく、相互を束縛する単なる暴力である。
・ケータイの番号を教えてもらえないから私はあの人に好かれていない
・メールがほとんど来ないから私はあの人に好かれていない
・メールを送っても返事がないから私はあの人に好かれていない
こういう発言と
・ある話題を切り出したらツイッターでフォローを外されたから私はあの人に嫌われた
という発言は、本質において同形である。それはすなわち、
「形あるもの、もしくは確定的な事実が保証されていなければ、友情すら実感できない、現代大学生の知的・情緒的レベルの貧困さ」
を自らさらけ出していることに他ならない。例えば私には、もう何年も会っていないしメールや電話でのやりとりもほとんどないが、間違いなく「親友」だと思える人間が複数人いる。そう思える想像力が、大人としての知的・情緒的レベルを下支えする最も重要なポイントの一つであることに、この記事を書いた記者ですら気づいていない。さすがニコニコニュースと言うべきか、やはりニコニコニュースというべきか。
そりゃネットでしか就職活動をしない、中小企業は不安定そうだから求人があっても履歴書を送らない、そのくせ
「不景気で就職できないのは大人のせいだ!」
と、他人のせいにする、頭の悪い大学生になるわな。
二十歳そこそこになっても、こういう「知的基本動作」「情動的基本動作」が全くできていない、ひからびかけたアメーバみたいな子どもを大量生産してきた日本の教育界はどうなってるんだ?
少なくとも私の教え子はそうならないように「しつけ」て大学に送り出しているがな。大学に入ってからまた「ぬるま湯」「お客さん扱い」してたらたちまち元に戻るだろうな。
それにしても腹が立つ記事だ。ひさびさに本気で腹が立った。言葉にするまで3時間ほどかかった。












