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さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

醜悪な職業差別<旭山動物園への抗議メール

2005-06-12 12:06:57 | Weblog

旭山動物園:レッサーパンダ風太「見せ物」批判に抗議メール…HPに謝罪文(毎日)

(引用ここから)

  千葉市動物公園の2本足で立つレッサーパンダ「風太」のブームを、旭山動物園が公式ホームページ(HP)上で「見せ物にしないでほしい」と批判したが、その後市民から抗議を受けて、「行き過ぎた表現があった」などと謝罪文を掲載したことが8日、分かった。

 坂東元・副園長が5月27日の日記欄で「最近レッサーパンダの見るに耐えないニュースが氾濫(はんらん)しています」と批判。レッサーパンダは直立する習性があるとした上で、「あの取り上げ方は芸であり、見せ物だ」と疑問を呈した。それに対し「しょせん見せ物の動物園が『見せ物』」とは何事か」「旭山だってえさで釣って動物に芸をさせている」と抗議のメールが旭川市役所に寄せられたという。

 同園は7日、公式HPで「感情に走ってしまった」と謝罪した。坂東副園長は「何秒立つとか、歩くとかのお祭り騒ぎに違和感を感じた」としつつも、「前段で十分な説明をしないで、芸とか見せ物という表現を使い、誤解を招いた」と釈明した。

(引用ここまで)

 さっそく元ネタを調査。

 レッサーパンダを『見せ物』にしないでね(旭山動物園、ゲンちゃん(副園長)日記、5/27分)

(引用ここから)

 最近レッサーパンダの見るに耐えないニュースが氾濫しています。

 どこのレッサーが何秒立った!レッサー様々入園者が増えた!名前を登録商標!昔のエリマキトカゲのブームを思い出してしまいました。いや,エリマキトカゲの方がまだましだったかもしれません。あれは良くも悪くも野生下でも見られる特徴的な行動だったから。

  野生のレッサーパンダが普遍的に何十秒も直立する,あるいは立って歩く習性があって,これまで飼育下ではその行動を引き出してあげられていなかったのであ れば「凄い!」ことです。しかし,よく考えてみて下さい。そうではないですよね。あの取り上げかたは「芸」です。「見せ物」です。というかレッサーパンダ は解剖学的にも2本足で立つことは当たり前にできます。むしろ立つことができない個体がいるとしたらその方が問題です。「芸」以下ですね。

 レッサーパンダは外を覗きたい,エサをもらえるかもと立ち上がっているだけで,その行為だけを抜き取って「凄いこと」として取り上げています。「ここのレッサーパンダ立たないんだって。つまんない」これがレッサーパンダブームが招いたレッサーパンダの見方です。

 このような言い方は失礼かもしれませんが,一般の方やマスコミの方は素人です。私たちプロの側が,素人に短絡的に「受けること」を続けていていいのでしょうか?来年の今日,どれくらいの人がこのブームを覚えているでしょうか?

 レッサーパンダを「見せ物」にしないで下さい。関係者の方お願いします。

(引用ここまで)

 確かに、どういう意味で「見せ物にするな」と言っているのか、主旨がわかりにくいとは思う。しかし、

>「しょせん見せ物の動物園が『見せ物』」とは何事か」
>「旭山だってえさで釣って動物に芸をさせている」

という抗議メールが出るのは、この文章の主旨のわかりにくさ以前に、「動物園ごときが動物の見せ方をあーだこーだ言うのは生意気だ」という、「おれたちは客だから王様だ根性」が前提になければ書けない罵詈雑言だと思う。

 しかし、6/7に副園長から「お詫びの文章」が出る。とても長いのでゆっくり読むと良い(笑)。
 

(引用ここから)

  たくさんのご意見を頂きありがとうございました。市役所の方に質問などのメールを頂きましたので,やはり公式な場で回答をさせて頂きたいと思います。

  はじめに,これまでの文章が感情に走ってしまったことなど,動物園の公式コメントとして到らない点があったことを心からお詫びいたします。また,プロと素 人の表現は,たとえば物を販売する側(プロ)と購入する側(素人)といった意味で,来園者を見下す意図は全くありませんでした。情報を提供する側,発信す る側に対してのお願いのつもりでした。不愉快に感じられた方にお詫びいたします。

 最初の文章を書いたのは,次々と「立つ」レッサーパン ダが現れ,何秒立った,次は歩いた,立ち姿がどうとエスカレートし,明らかに立つことは危険と思われる種までもが「立った」とメディア紹介されていた時で した。それらは,自然な行動の中で立つのとは,明らかに異質な「立つ」であり,立ち姿だけを切り取って報道されていることに違和感を感じましたので,「見 せ物」という表現をしてしまったのです。

 「所詮見せ物の動物園が『見せ物』とは何事だ」,「旭山だってエサで釣って動物に『芸』をさせ ているではないか」とのご意見も頂きました。動物園は動物を展示しています。遊園地や物を売るのであればマイナーチェンジやモデルチェンジをして目先を変 えたり時代に合わせることができます。でも動物は変えられません。では,動物園の動物が普遍的に愛され続けるにはどうすればいいのでしょうか?

 私たちは,動物たちのありのままを,生き生きとした姿を伝えよう,そのためにはそれぞれの種が持っている行動を発現させて,能力を十分に発揮させてあげようと考えました。気持ちよさそうにしている動物を見て「つまらなく」と思う人はいないのではないかと思ったからです。

  過去の動物園は,野生での当たり前の行動をほとんど発揮させることができず,生きている姿・形だけを見せていたのではないでしょうか。うちのオランウータ ンの空中散歩,彼らは気が向いた時に行ったり来たりしています。オランウータンの体のつくりの必然性,生活ぶりが一番よく伝わる行動です。でも,高所を腕 渡りしている場面を目撃できる機会はそう多くはありません。来園者の滞在時間は2~3時間が平均です。その時間の中でもこの腕渡りを見てもらえないかと考 え「もぐもぐタイム」を企画しました。生きる基本である食べ物を得るために,オランウータンが,種として獲得した行動をたくさんの方に伝えたいと思ったか らです。ホッキョクグマもしかりです。ただ,来園者の中には「オランウータンの空中ショーは何時から?」と か「解説はいいから早くやれ」との声も聞かれます。さらにはオランウータンにさせているわけではないので渡らない時もあります。そうなると「『渡らないで すね』とは何事だ!」とクレームをつけてくる人もいます。ですから,旭山動物園のもぐもぐタイムは「これはショーや芸ではありません…」と言ってから始ま ります。ただ,うちの動物園も「切り取って」紹介されていることがあるのも事実です。私たちの伝え方の未熟さも加わって,たくさんの誤解を生んでいること は反省しなければいけないと感じています。

 さて,家で飼っているネコがソファーで寝ているのを見て気持ちが和むのに,多 くの人は,動物園でライオンが寝ていると,なぜ「つまらない」と思うのでしょう?ライオンはもう見飽きたからなのでしょうか?飼っているネコを見飽きるこ とはないと思います。それはきっと成長の過程を見続けていて,命として感じているからではないでしょうか。動物園の動物も命を持っています。命として伝え られれば,命が流行ったり飽きられたりするはずはないと思います。私たちは,いいところだけをつまみ食いするのではなく,においや気配など全てをありのままに伝えていきたいと考えています。

  芝刈りをしている時,驚くほどたくさんの種類の虫やカエルが出てくると,“どこか少し,刈り残しておこう”と思う人がいます。アリの巣がたくさん見つかる と,“ひとつくらいは駆除せずに残しておいてあげよう”と思う人がいます。私たちは,来園された方々の心にそんな気持ちが芽生えたり,育ってくれることを 願っています。それが私たちが目指す動物園ですので,これからも試行錯誤を続けて少しでも理想に近づいていきたいと思います。環境保護,野生動物の保護, 地球温暖化問題,それらは,頭の中の理解からはどこか他人事で,一人一人の行動には結びつきにくいと思います。問題解決に向けて心が動くこと,何事もここ から始まるのではないでしょうか。現実には,自然を破壊することも守ることも,そこに価値があるのかないの かさえ人間が決めてしまっています。そこにどんなすばらしい命が存在していて,それらがとても尊く愛おしいものであるかをどこかで伝え続けなければならな いと思います。それが動物園の大きな役割なのだと信じています。動物園は「見せ物」ではないはずです。

 最後になりましたが,動物園の関係者,特に飼育に携わっている方々に配慮を欠いたコメントとなったことを心からお詫びいたします。他人事とは思えずに書いてしまいました。皆さんの動物に対する思いを踏みにじる気はありませんでした。

 これで私の意見は終わりにします。たくさんのご意見を頂きました。ありがとうございました。心から感謝致します。

(引用ここまで)

  私なりに要約すると、旭山動物園の基本ポリシーは、とにかく結果としてお客さんが動物を見て楽しめればいいのではなく、それぞれの動物のありのままの姿を 見せることを通して、動物や命に対するいとおしさをはぐくみたいということか。こういう主張は5/27の方には明確には出ていない。しかしだ。

『5/17の文章を読み、なぜこの人は「レッサーパンダを見せ物にしないで下さい」と言うのだろう?』

 という、好奇心なり「人の意見をまずは聞いてみよう」という姿勢なりがある限り、この文章に対していきなり

「しょせん見せ物の動物園が」

などという言葉は、決して出てこないであろう。逆に言えば、人の言葉をしっかり受け止めもせずに、自分があらかじめ持っている偏見が正しいと心底思えているから、こういう愚劣な言葉が吐き出せるのだろう。

 こういう言葉が愚劣だと信じられない人は、自問自答してみるがよい。「しょせん」という枕詞がつかない職業は、あなたにとって何なのかと。すると気づくだろう。あなたが無意識に軽蔑している職業を指すときに、「しょせん」などという言葉がつくのだということを。

  大学時代にやっていた演劇という世界でも、演劇人を「河原乞食」という蔑称で呼ぶ大人が意外と多いことに心底驚いた。同僚や後輩が、演劇をやっていること をご両親に話すと、ご両親が「そんな河原乞食みたいなことやるな!」と本気で怒ったという話は5人に一人くらいから聞いた。

 というわけで、こういう心ない抗議メールが出てきたきっかけは、5/27の日記が説明不足だったことではあろうが、本質は、動物園の副園長が生意気な口を叩くのが心情的に我慢できなかったのであろう。誠にもって醜悪な輩である(もちろん、こういう抗議メールばかりではなかったということも知った上で書いている)。

  ところが、他の職業を軽蔑しなければ、自分の職業の威信が保てない輩は多い。性風俗業界でも、さんざんプレイを楽しんだ後「こんなことやってていいと思っ てるの?」などとネチネチ厭味をたれる客がいかに多いかということは、さまざまなブログで「キャバ嬢」「ソープ嬢」あたりで検索をかけてみると、飽きるほ ど読めるから探してみるとよかろう。

 去年の授業でたまたま議論したが、合法的な職業である限り、職業に貴賤(尊いと賤しいの区別)はないと私は考えている。このネタは以前某掲示板でも議論したが、わかろうとしないヤツとは永遠に話が噛み合わないね。

 最後に、演劇の師匠から教えてもらった名言でも書いておこう(誰の名言かは忘れた)。

役に大きいも小さいもない。いるのは、大きな役者と小さな役者だけだ。

 職業も同じだね。いるのは、大きな職業人と小さな職業人だけだ。


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8 コメント

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TBありがとうございました (フジ@牛乳戦隊MILKMAN)
2005-06-12 14:58:25
はじめまして。TBありがとうございました!

私の言いたいことはこれなんだ~!

と、深くうなずきながら読ませていただきました。

(自分の文章力のなさといったら…)

読みやすくて、とてもわかりやすいです。

また色々と、勉強させてもらいに来ます!それでは。
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引用について (ブログ向上支援団体)
2005-06-12 16:40:12
初めまして。

ブログの内容には直接関係ありませんが、

こちらのサイトの最新記事へコメントさせていただきました。



私たちは、個人の小さな団体ですが、

今後のブログの発展を考えまして、様々なサイト管理者様へ

ご意見をお伺いしております。



こちらのブログは、記事中に新聞社や他のサイトから「引用」をされていますが、

掲載元のサイトには、承諾を得ていますか?

承諾を得ている場合は、一言、記事中に明記されることを、お勧めいたします。



もし、未承諾の場合、

個人のサイトなら、何を書いても良い、何を使っても良い、

という考え方は、著作者から見ると、大きな問題になっています。

この機会に、正しい手順を踏まれまして、情報源の有効活用をお願い申し上げます。



ご参考



「YAHOO! NEWS」の場合

http://help.yahoo.co.jp/help/jp/news/q12.html





「旭山動物園」の場合

http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/asahiyamazoo/zoo/siryou/hp-kijyun.html

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ご意見ありがとうございます (白河)
2005-06-12 23:49:35
>ブログ向上支援団体様



これはどういう団体でしょうか?

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>フジ様 (白河)
2005-06-13 10:37:13
コメントまでいただいて、どうもありがとうございましたm(_ _)m



これがわかりやすい文章とは・・・なかなかの強者ですね(笑)。



牛飼いを夢見るその魂にグッときました。今後ともよろしくお願いします!
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Unknown (ブログ向上支援団)
2005-06-17 18:11:02
著作権を守り、正しく楽しいブログの発展を望む団体です。
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Unknown (白河)
2005-06-18 00:05:05
団体なら、自らの団体を説明するページがあったり、ここで自らの団体について説明なりをするのが普通だと思いますが。



そもそも団体名も、「ブログ向上支援団」なのか、「ブログ向上支援団体」なのか、団体名もはっきりしませんね。



さらに、「個人の小さな団体」とありましたが、「個人」なのですか?「個人」とは通常「団体」とは言わないのですが。



ちなみに、著作権については、このブログが問題を起こしているとは考えていません。著作権法をあなたご自身がもう一度読むことをお勧めします。

返信する
まだまだ考えられるのでは? ()
2005-07-06 16:22:18
こんにちは。はじめまして。



旭山動物園を検索していてこの日記がヒットしました。



大変興味深く読ませていただきました。(わたしも、大変わかりやすい文章だと感心いたしました。)



刺激されて私も考えてしまいました。



で、少し思ったのですが、取り上げられている問題は「職業差別」というレベルでオチがつくものでしょうか?筆者の方の問題へのアプローチは非常に確かな感じがするので、社会道徳のレベルで考えが底を付いていると納得できないのです。

つまり、もっと底があるはずだと思います。



「しょせん見世物」という意見は、「より良い価値」をめがけようとする姿勢を、相対化し無意味なものだと言っているわけです。



筆者はそのことを見抜き反論しているのですが、それが「社会道徳」では、問題が横滑りするだけではないでしょうか?つまり、「しょせん見世物」と同じように「職業差別」も、原理的な検証は不可能なわけです。

つまり、社会通念に照らすことを根拠に議論するのであれば、「動物園はしょせん見世物」だって社会通念だと言い切ることも可能です。検証不可能なのですから。

これでは問題はスライドし、結局は信念対決に陥ってしまします。

ですから、「職業差別」というオチをつけるのではなく、「価値」の問題の議論を一貫してするべきでは無いでしょうか?



さしあたり私の個人的な意見としては、「しょせん見世物」という言い方は一見まともな考えのようにも見えますが、この正体は「価値」を無意味化する相対主義です。実はこの言い方だと、何にたいしても「無意味だ」と言えるんですね。いつでも、誰にでもできることです。



それはともかく、なぜ相対主義だとダメかというと、そうやってあれこれを無意味だと言ってみたところで、現実の私たちが生きている「世界」をきちんと表現できているとは到底言えないからです。私たちはどの動物園に行っても同じ程度の印象を受けるわけではありません。映画でも小説でも住む部屋でも恋人でも仕事でも同じです。必ず意味と価値をそこから汲み取り、味わおうとして生きています。相対主義が「無意味だ」と言っているのはそこです。自分は決してそのように生きていないはずなのに、それは矛盾しています。





では、なぜ相対主義の意見者は、そんなことをするかというと、自己意識の保全のためだと思います。つまり「自分以外はバカばっかりだ」と言えることが、この発言者の本来の目的だといえるのではないでしょうか。



「動物園の社会的意義や価値をめがける」という旭山動物園の姿勢は、現実に多くの人から動物園で遊ぶ楽しみと共感を得られました。それは、旭山動物園の姿勢がまさしく「見世物」のレベルを越えたからではないでしょうか。

旭山動物園のレッサーパンダブームへの発言は、以上のことからごく自然に発せられたものだと納得できるのではないかと、私は感じます。



いかがでしょうか?ご意見をお聞かせいただければ幸いです。





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なるほど (白河)
2005-07-13 09:59:19
 こちらこそ初めまして。鋭いコメントをありがとうございました。そして、大変遅くなってすみませんでした。色々考えていたものですから。



 私なりに色々考えてみたのですが、今回の問題は相対主義からは逃れられないという結論に至りました。



 というのは、『旭山動物園の姿勢がまさしく「見世物」のレベルを越えた』かどうかを判断するのも、人によるからです。「しょせん見せ物が」と思いこんでいる人にとっては、旭山動物園がどれだけ動物園の価値を高める試みを行おうとも、「見せ物の割にはましだな」という判断(というか頭の中の「仕分け」)で済ませる可能性は十分にあります。さらに意地悪く見れば、どれだけ旭山動物園が工夫をしようとも、「所詮動物園なんだから、どれだけ工夫をしようがかえって見苦しい」と、ネガティブな評価が出てくることさえ考えられます。



 ここでブログをやっていてよくわかることは、まさにこの世界は「限りなく相対主義」であるということです。そもそも言葉を解釈しようという姿勢がない人に、いくら言葉を尽くしても、どこまでも話は噛み合わない。だからこそ世界でも日本でも争いはなくならない。結局はそういうことだと今は考えています。



 しかし、相対主義的な立場を取るからといって、それは「何をしても同じ」ということではありません。相対主義的な立場から「職業差別は止めろ」というメッセージを送ることで、一人でも多くの人が、「じゃあ別の立場に立ってみよう」と思ってくれれば、そういう発言には、相対的に相対主義の中身を変える(笑)働きが出てくるはずです。



 こういう考え方に立てば、「ダ」さんのおっしゃりたいことと、私が言いたいことはほとんど変わらないような気もします。



 かなり抽象度の高いコメント かつ 即答すべきとは思えないコメントだったので、こちらもこういうコメントになりました。またご意見があったらよろしくお願いします。
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