君が代伴奏命令について書いた記事について、とある経由で興味深いブログを見つけたので、「私の主張も論破して下さい」とお願いしたら、ご返答をいただいた。ここのブログはgooのIDがないとコメントが書けないため、ご返答は向こうのブログに書かれてある。まあこの形がお互いにとって一番楽だと思う。本記事じゃないと字数制限が厳しかったりするので。
| 君が代伴奏命令、上告棄却判決について某ブログへの返答 (はな○そ刑事 の イッテキテる〜む BLOG 様) |
ただ、「ケンカを売られた」という認識は心外だなあ。私としては、こちらの記事のコメントで、ブログ主さんが
>ここhttp://blogs.yahoo.co.jp/higashidake/46522237.html ←華麗に論破したら、TBと一緒に削除されました(笑)「ざまぁみろ」なんて野蛮な言い回しと削除行為、背景まで反日Ponko君と一致します。 野風は6ネームそれぞれブログを作れ、自分のブログに最高5つのファンを自作できる妙なサイトです。馬鹿な私でも論破できてしまう成らず者・右翼ロジックが花盛りですが、意外と人数は少なく、多数派工作に打ってつけな野風を好んでいるのかも知れません(^_^;ゞ
2007/3/1(木) 午後 9:42 のコメント
こういうもの言いで、今回の判決に賛成する主張を論破したがっているように見えたので、私が
>なぜかTBを受け付けてくれないのでリンクを貼っておきます。 どうぞこちらも華麗に論破して下さい。 http://blog.goo.ne.jp/shirakawayofune001/e/f35c1100a6ff99e8f5f295c254b1d355 あ、「論破」という言葉を3/1のコメント欄であなた自身が使ったのですから、自分が論破できないことを「こいつは脳内が理屈で支配された知識ばかだ」と言って逃げることはやめて下さいね(笑)。
2007/3/2(金) 午前 3:25 ↑後半が挑発的に見えるだろうが、元記事を読んで頂ければこう書いた理由もおわかりになると思う。
と「論破リクエスト」を送っただけなのだが。私としてもケンカのための議論としてリクエストを送ったわけではないと明記しておく。
さて、ようやく本論に移るが、序盤からおかしい。
>まず例の教師は、部外者に知られない方法で事前に「私はコレコレの理由で
貴方たちに君が代を歌わせることが出来ません。でも今の国の仕組み上、
指導に従わなければ教師として貴方たちに教えることが出来ません。
社会規律を保つためにも、貴方たちにも協力してほしい…格好だけで良いので
従ってください。そして問題として認識してください。ごめんなさい!」
というように意思を生徒たちに伝えたうえで伴奏すればヨカッタのですね。
「そして問題として認識して下さい」というのは、君が代に対する、教師自身の特定の思想を児童たちに押しつける発言である。児童たちへの「刷り込み効果」を問題視しているあなたにとっては、のっけから大いなる自己矛盾である。
儀礼の中で国旗や国歌を尊重することは「強要による刷り込み効果」が生じるから「問題」で、
例の教師が生徒たちに国歌を「問題」として認識させることは「強要による刷り込み効果」ではないとあなたが無意識に(?)思っているのはなぜだろうか。
それは、「国旗・国歌を儀式で尊重することは問題だ」と思うことは「正常だ」という価値観をあなたが持っていることに他ならない。だから、あなたは立派に「左翼的」な思想をお持ちであると指摘せざるを得ない。
※ 便宜上、ここでは「左翼的な思想」を、
国旗・国歌を尊重することは、自国の利益を最優先するナショナリズムにつながるから望ましくない。
という思想のことであると定義しておく。これならあなたも文句ないでしょ?
次に、この部分。
>この法律の大きな問題点は、ダメ国家である現状は棚に上げて、
先ず「愛国心の刷り込み」を【性急な慣習の強要】という手段を経て、
しかも子供たちにとって最も重い教育の場である学校における
(昔から何となく慣習として行ってきた)儀式の場に持ち込んでいることと、
国歌・国旗に傾倒した、事実上の思想弾圧であることでしょう。
この部分が単なるあなたの「感情の吐露(感情論)」であるならば私がケチをつける筋合いはどこにもないのだが、これが「主張」であるならば、言葉の使い方からもっと敏感になるべきであろう、と言わざるを得ない。
>ダメ国家である現状は棚に上げて
ある国家が「ダメ国家」かそうでないかを判断する人は誰?そしてその基準は?
この疑問に答えられない限り、あなたのこの主張は全く意味をなさない。全く同様に、最終部分の
>簡潔に言うなら…先ず国の正常化です!
「ある国が正常である」ことを判断するのは誰?その基準は?多数決?それともあなた自身が「日本は正常な国だ!」と思えていればいいの?
いずれにせよ、「ある国が正常である」ことの客観的な判断基準を提供できない限り、あなたのこの主張は単なる感情論に過ぎない。
何かを「主張」として展開するときに、ある「基準」や「条件」を持ち出すときには、その「基準」や「条件」は、第三者からも冷静に判定可能なものでなければならない。例えば、
「いじめの加害者は出席停止にすべきだ!」という主張をするときには、「いじめ」とは何か、「いじめの加害者」とはどういう条件を満たしたときにそう見なされるのかという「条件」が客観的でなければならないということが理解できるだろうか?
理解できるにせよできないにせよ、きわめて主観的な条件や基準を振り回しているあなたが、異論を持つ他者を
>現実を見ない二進数?によるオカシイ右翼ロジック
>右翼たち(に限りませんが)の理論は、愛国心にしても核にしても、
単語の意味を直訳する”機械読み”(右翼なのに左脳バリバリ?笑)と、
「右翼なり」の情報リテラシーに始終するから、
結果として実情に沿わない結論に至ることが多々あるのでしょう!
などと、「こいつらにはリテラシーがない」などという言い方でこき下ろす資格はどこにもないと私は考えるがいかがであろうか。
さらに、
>先ず「愛国心の刷り込み」を【性急な慣習の強要】という手段を経て、
上記と全く同様に、「性急」の基準は?高校生以降なら性急ではない?それとも成人後?いずれにせよその妥当性は?
さらに、儀式で国旗や国家を尊重することが「愛国心の刷り込み」になるという根拠は何?私は、私自身の元記事で、
>内心として日の丸や君が代に対してクソクラエと思っているのは自由である。まさにそれこそ「思想と良心の自由」であり、あくまでも儀式として全員で君が代を歌う。全員で歌うことが「儀式として」重要なのだ。
とハッキリ書いてあるが。
「それでも『事実上』、愛国心の刷り込みになるでしょう?」という論があなたはお好きなようだが、「事実上」という言葉は、あなたの勝手な思いこみを通すための都合の良い道具ではない。特定の政治思想を刷り込み全てを問題にするのであれば、例えば学級会において最終的に多数決で決定を下すという行為も立派な「民主主義的思想の刷り込み」なのだから行うべきではないということになるし、給食の時間に「いただきます」と手を合わせるのも、宗教的な仕草であると批判されればそれはたちまち「宗教的思想の押しつけ」という「大問題」になるであろう(※)。
したがって、特定の政治思想を刷り込むことを問題にするからには、問題になるものとならないものの「線引きの基準」を示してもらわないと、何ら実効的な主張にはならないはずなのだが、この観点もあなたの文章からは完全に抜け落ちている。
さらに、あなたはそもそも「愛国心」の定義をしていない。こちらの主張には、どこにも「愛国心」などという言葉を入れていないが。愛国心の議論をしたいのなら、あなたが積極的に定義をした上で使うべきであろう。
さらに続けると、
>国歌・国旗に傾倒した、事実上の思想弾圧であることでしょう。
これも、どのくらい傾いていれば「傾倒」になるの?あなた自身が、
>>儀式において国旗や国歌が使われることが「グローバルスタンダード」であることに他ならないわけで、それを根拠にして入学式や卒業式において国旗や国歌を使うことを「儀礼的な強制」とすることは、何らおかしなことではないからだ。
>事実上の標準(あたりまえ)であることは判りますが、
それは国が素晴らしく愛せるが故に、「当前」というのが本来でしょう。
儀式とて、愛したくても愛せない国に強要されるのとは訳が違います。
このように、儀式において国旗や国家を使うことを「事実上の標準」と認めているのだが、それにもかかわらず、入学式・卒業式において国歌・国旗を扱うことを「国歌・国旗に傾倒している」と表現する理由と基準は何なのか。
また、「思想弾圧」という言葉を使っているが、どのような思想が、どのように弾圧されているのか。その「弾圧」の条件は何なのか。これも全くわからない。今回の最高裁判決では、「ピアノ伴奏を求める職務命令が直ちに上告人の歴史観や世界観を否定すると認めることはできない」という言い方で、「今回の校長の職務命令は、教師の思想弾圧にあたらない」という明確な判断を下したわけだが、これを「事実上」という言葉で反論するからには、しつこいが、「事実上」という言葉の定義をはっきりさせてもらわないと、主張としては完全に失格である。
さらに続けていこう。
>第一に、命令してでも国歌・国旗の刷り込みを行うというのは、
ちょっとズレていて、国歌・国旗を通した愛国心の刷り込みに傾倒している印象です。
教育は色々な様態があるはず。冷静になって考えるべきでしょう。
誰も指示に従わなければ、ピアノ伴奏をする人がいなくなる。「テープでも構わない」という社説もあったが、儀式で国旗・国歌を尊重するのがグローバルスタンダードだと認める以上、生演奏できる環境であるところを、わざわざテープに変えるのは、相対的に「尊重していない」と言われても仕方がない。さらにテープでは、ライブと比べて、不測の事態に対応することができないという点も大きなデメリットである。生演奏することにより、生徒の歌うペースに合わせてリードしたり演奏を遅らせることができる。そのようなインタラクションがあって初めて「生演奏で歌った」ひいては「みんなで国歌を歌った」という事実や印象につながるであろう。
そして何より、命令や罰則がないということを盾にして、全国の公立学校で国旗の掲揚や国歌斉唱を拒絶してきたのは現場の教師たちである。そのような現状を考えれば、儀式において国旗・国歌を尊重するために命令や罰則を規定するのは至極当然の論理である。
したがって、国旗・国歌を尊重するのを命令することは、従来の教師たちの行動を考えれば当然のことである。
>教育は色々な様態があるはず。冷静になって考えるべきでしょう。
これも意味不明な表現だ。「いろいろな様態」とは何を指すのか?「自由が大切」というのであれば、卒業式や入学式に参加しない「自由」、卒業式や入学式の中でケータイメールを打ったり、ケータイでしゃべったり、ただおしゃべりする「自由」も認められるのか?これも前記事に書いたはずである。
「それは『常識』の範囲でしょ」と言うのであれば、儀式において静粛にしていることが『常識』であり、儀式において国旗や国歌を尊重しないことは『自由』の範囲だという線引きこそが、あなた自身の『主観』であり、あなた自身の『思想の押しつけ』であると言わざるを得ない。その線引きのしかたの妥当性は何なのであろうか。ぜひ答えて頂きたい。
随分長くなったので、まとめておこう。
1. あなたの使う「事実上」「国の正常化」「性急」「思想弾圧」「愛国心」「傾倒」の言葉は、定義もされていなければ、文脈上推測できる「基準」や「条件」も示されていない。その点で、あなたの主張は単なる感情論で、「主張」になっていない。
2. 刷り込み効果を問題視しているところから、特定の政治思想を児童たちに教えることを問題視していると推測できるが、どのような政治思想からも自由に教育を行うことは不可能であると前記事で明記したはずである。この点は無視したのか?
>右翼たち(に限りませんが)の理論は、愛国心にしても核にしても、
単語の意味を直訳する”機械読み”(右翼なのに左脳バリバリ?笑)と、
「右翼なり」の情報リテラシーに始終するから、
結果として実情に沿わない結論に至ることが多々あるのでしょう!
最後に、「単語の意味を直訳しない”非機械読み”(意訳のことか?)に基づく、『結果として実情に沿う結論』」とは、「事実上」や「国の正常化」などという言葉で、あなたにしかわからない基準で自分の感情を吐き捨てることを「主張」と思いこんで自己陶酔することなのだろうか?この点にもお答え頂ければありがたい。
さらに反論があれば、そちらの本記事に載せていただければそれで構いません。アップできたらTBを貼って頂ければわかりますので。
-----------------------------
※ 今週の週刊新潮に、実際にそういう批判が出て「いただきます」の仕草を一時中断した学校が紹介されていたな。








