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「基準問題」と自我の無制限な拡張

2007-03-29 23:34:50 | Weblog

 ここ数日ネットで話題に挙がっているニュースには、「基準」に関するものが多いと感じている。

 まずは「読み逃げ」ネタ。

「mixi読み逃げ」ってダメなの?(ITメディアニュース 07.03.20)

>「読み逃げ」という言葉をご存じだろうか。SNS「mixi」で、友人のページを訪問して足あと(アクセス履歴)を残しながら、 日記にコメントを付けたりメッセージを送ったりせずに無言で立ち去ること――いわば日記を「ROMる」行為を非難する言葉だ。 足あとを残して“逃げる”ため「踏み逃げ」とも呼ばれる。

>最近、読み逃げや踏み逃げを失礼だと考えているユーザーが増えているようで、mixi日記やプロフィールで「読み逃げ禁止」 を堂々と宣言したり、読み逃げを非難する人も現れている。読み逃げを許さない「地雷バトン」という名のバトンも流行中だ。

>一方で「特筆すべき感想がなければ、コメントは残さないのが普通では」「読み逃げという言葉自体に違和感を感じる」 「ROMることの何が悪いか分からない」と、読み逃げを容認する人も多く、“読み逃げ禁止文化”に対する困惑が広がっている。

 

 読み逃げがいいかダメか、どっちが「日本標準」あるいは「世界標準」なのかは、まさに「基準」に関する問題の一つである。読み逃げは問題ナシだと思っている人も、読み逃げされると「いやだ」と思っている人もそりゃいるだろう(私は当然のごとく前者なのだが)。

 いかにも今日的だなと思うのは、読み「逃げ」という言葉ができた点だ。ROMることを、一種の「逃げ」というネガティブな言葉で表現することを何とも思わない連中がいるということだ。読み逃げされるといやだと思っている連中は、読み「逃げ」というネガティブな印象を与える言葉を作ることで、「読み逃げは問題だ」という言い方を、より通用させやすくしている。「ROMは問題だ」と言うより、はるかに通用しやすいだろう。

 さらに言えば、自分が「読み逃げされたらいやだと感じる」という、個人内の感情的な現象を、「問題だ」という、「社会的な問題」として語ることができる人が増えたとも言える。このような言葉の使い方、このような「語り方」の裏に、

 「自分がこう感じたということは、自分以外の人もこう感じているに違いない」

という「自我の拡張」があるように思える。そして、こういう前提にかなり自信があるのか、あるいは全く振り返る習慣がないのか、 mixiには「地雷バトン」なるものがあるらしい。

>地雷バトンとは、あらかじめ設定された数十の質問に日記で答え、同じ内容の日記を友人にも書かせる「バトン」の一種だが、 「クリックしたい」と思わせるタイトルになっている上、読み逃げを許さないルールなのが特徴だ。

>タイトルは「mixi退会します」「離婚します」など、「気になる」「クリックしたい」と思わせるもの。 だが内容はタイトルとは関係のなく、「好きなタイプは?」「携帯の機種は?」などという他愛のない質問に対する答えが数十並ぶ。

日記エントリーの冒頭で、読みに来た人に対して同じ内容の日記を書くよう強制し、 「足あとが残ってますから来たことはバレてますよ」と半ば“脅迫”する――という仕組みになっている。

「足あとが残ってますから来たことはバレてますよ」って…私なら、「それで?」と思っておしまいなのだが。「脅迫」とすら感じられない。こういう言葉を「脅迫」と感じられる感性って、相手の要求通りに振る舞わないと、mixiの中で自分がいじめられそうで、それが怖くて言うことを聞くってことなのだろうか?

 自分が好きでやってるネットで、周りからいじめられることが怖いって…まさに「mixiで自分が否定されると、自分自身が否定された気持ちになる」という点で、ずいぶんとネット依存症が進んでますなあとしか思えない。

 

 次に、小4がAVをまねしようとして同級生をレイプしようとした事件。

AVと同じことしたかった… 小4男児が同級生を暴行(ZAKZAK 07.03.27)

 兵庫県尼崎市の市立小学校で昨年11月、4年の女子児童=当時(10) =が同学年の男子児童=同=に呼び出され、男児宅で性的暴行を受けていたことが27日、分かった。男児はアダルト映像に触発され、「同じことをやってみたかった」と話しているという。

 男児は同県西宮こども家庭センター(児童相談所)の指導を受けているが、小4児童による性的暴行に尼崎市教委は 「前代未聞の事態」とショックを隠しきれない。

 市教委などによると、性的暴行が起きたのは昨年11月中旬ごろ。女児が男児に誘われ、集合住宅にある男児宅を訪れたところ、 複数の男児らが集まっており、誘い出した男児が性的暴行を加えたという。

 女児は友人の女児に相談し、事態を知った友人女児の保護者が昨年12月8日、学校側に通報。学校側は同11日、 市教委に報告して対応を協議し、西宮こども家庭センターと連携して男児らの指導に乗り出した。

 同市教委学校教育課は「男児の保護者から女児の保護者への謝罪の場を設けたり、 女児にも学校のカウンセラーによる心のケアを進めるなど慎重に対処している」と話している。

 

 こいつの親が、このサルガキにどういう「しつけ」や「教育」をしてきたのかが、この記事からは全く分からないのだが、この記事から察するに、このサルガキには

1. 「性的暴行(レイプということだろうが)」をしようとして、相手がいやがっていることを、「相手がいやがっている」と認識できない「認識能力の欠如」=「相手の気持ちを想像する姿勢の欠如」

2. 自分がやりたいと思ったことは何でもやってみる権利があると疑っていないからこそこのようなことができる。=「自分の欲望を叶えるにも、『環境的な制限がかかっている』ということが事実としてわかっていない」

3. 最悪の場合、こいつが見た「アダルト映像」とやらの中で、レイプされている女性が「いやがっている」ことすら認識できていない可能性さえある。

こういう特徴がありそうだ。とすると、やはり、このサルガキが幼少期にこういう姿勢や事実や最低限の認識能力を親から指導されていないことが、要因としては大きいと痛感する。

 ただ、上に挙げた中では2番目が、自我の拡張と強く感じられる点なので、この問題も、最初のネタと根が似ているなぁとしみじみ感じる。こいつの親自身も、1〜3のような特徴を持っているのかも知れないとさえ思う。

 

 最後に、このネタ。

新幹線が緊急停車、乗り間違えた男性が非常コック操作(読売 07.03.28)

 28日午前8時10分ごろ、JR東海道新幹線の広島発東京行き上り「のぞみ62号」が、京都駅を出発直後に、「戸じめ表示灯」 が消えたため、緊急停車した。

 車掌が車内を点検したところ、6号車内で、非常用のドアコックを操作していた客の男性(26)を発見した。約5分後に、安全が確認されたため、 運転を再開するとともに、この客を、臨時停車した米原駅で降車させ、滋賀県警米原署に引き渡した。

 同署の調べに対し、男性は「九州方面に行くつもりだったが、乗り間違えてパニックになってしまった」と話しているという。

 JR東海によると、このトラブルで、「のぞみ62号」は岐阜羽島駅を11分遅れて通過した。約1000人の客が乗っていた。

 

 去年か今年に、大学入試会場に行くために降りる駅か何かをまちがえて、特急が緊急停車して下車を許された事件があったが、これはスケールが違う。自分で新幹線を強制的に止めようとしたのである。

 この26歳は随分と器用なようで、パニックになっても非常用のドアコックはしっかり目に入ったらしい。

「自分のために、自分以外の数百人は我慢してくれるだろう」

ということに関する絶対の自信なしには、いくらパニックに陥っても、私は絶対に非常用のドアコックなどいじらないが…。ここにも、限りなく自分に都合よく解釈することができる「自我の拡張」現象を感じる。

 

 基準といえば…私は、電車に乗っていて、ドアそばに立っていたせいで最初に下りるときは、急いでなくてもけっこう走ることにしている。なぜなら、後で下りる人がもしも急いでいたら、前を歩く人がゆ〜っくり歩いていると困るだろうなぁと思うからだ。関東地方はなんだかんだ言って地方と比べて格段に乗降客が多いので、最初に電車を降りた人がゆ〜っくり歩いていると、急いでいてもどうにもならないことが多い。周りが全て「壁」になってしまうからだ。メールを打ちながら歩いている人がぐっと増えたせいで、ますます駅のホームは「人垣の迷路状態」になるので、ささやかな抵抗をしているわけである。

 こういう電車ルールを勝手に設定している私だが、こんなことやってる人は少ないだろうなぁ〜という自覚はもちろんある(苦笑)。だから他人には強制しない。こんな風に、「周りは自分とは考え方が違うだろうなぁ」と日々「想像してみる」経験を積むことが、こういう「基準問題」を語るときには一番必要なのかも知れない。子どもに限らず大人も含めて。

 子どもを中学受験させるかどうかなんてのも、切実な「基準問題」だろうな。よく「やっぱり中学は私立の方が安心よ〜」などという発言を聞くが、「やっぱりってどういうこと?」と聞き返すと何も返ってこない。要するに根拠もなく思いこんでいることを、「やっぱり」という言葉でごまかしているだけだ。こういう言葉づかいにも、「自分の思ったことは、根拠がなくても、みんなは納得してくれるだろう」という甘えや「自分が引いた基準は日本標準だ」と簡単に思いこむことのできるおめでたさというか、精神年齢の低さを強く感じる。

 ふむ。甘えか。「甘ったれるんじゃねえ!」と叫ぶのは簡単だが、そう叫んでいる人こそ、周りが全然理解できない基準に凝り固まっていたりするから始末が悪い。叫べば済む問題では全然ないのである。

 


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ドアコック 東海道新幹線 児童相談所 ネット依存症
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