…今日は早く寝たかったのにこんなネタが…。
|
教育改革を掲げる安倍政権下では、教育基本法の改正にからみ、この問題も主要な論点の一つになるかも知れない。まぁなろうがなるまいが、一審で難波孝一裁判長が憲法判断に踏み込んでいる以上、主に憲法判断が必要な審理を行うとされている最高裁まで、敗訴した側が上告していくのだろう。そこまで先を読み、「一石を投じた」という意識で彼は判決を下したのだろうと思う。それ以上の裁判官の心理については、私ごときにはわかるはずもない。
今日、私がこれに関連してアーカイブしておきたいことは、岩波『判例基本六法』に載っている、憲法一九条「思想・良心の自由」に関するこの判例である。有斐閣の「法律学小辞典」でも「参照せよ」と出てくるくらいに有名な判例だ。時間がないので今日はこれだけやっておく。
|
日本国憲法 第19条 思想および良心の自由は、これを侵してはならない。 最高裁大法廷判決 昭和31.07.04(岩波の要約による) 民法723条にいう名誉回復処分として、加害者に新聞紙等への謝罪広告の掲載を命ずることは、それが単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる限り、加害者に屈辱的もしくは苦役的な労苦を課し、またはその倫理的な意思・良心の自由を侵害するものではないから、強制執行することもできる(反対意見もあり)。 |
調べてみて良かった。今では普通のこととなっている「謝罪広告の掲載の命令」には、このような法的根拠があったわけね…。
難波裁判長がこの立場に立って今回の判決を下したとするならば、起立や国歌斉唱の義務化は原告者に「屈辱的もしくは苦役的な労苦を課し、またはその倫理的な意思・良心の自由を侵害している」から「起立や国歌斉唱の義務化は憲法違反である」という判断を下したわけであるし、
難波裁判長がこの立場に立たずに今回の判決を下したとするならば、この判例にとらわれない新たな「思想および良心の自由が侵されている判断基準」が提示されたということで、
どちらにしても、今後はかなりもめるだろうということが、私ごときにも簡単に予想ができる。例の、首相の靖国参拝の、大阪高裁での「傍論」による違憲判断、などの「反則技」が炸裂しない限りね(苦笑)。
今日はこのくらいにしておくが、
>「日の丸」や「君が代」について、「明治時代から終戦まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ、国旗、国歌と規定された現在でも、国民の間で中立的な価値が認められたとは言えない」と判断
というのは、いかにも苦しい判断で笑った。このフレーズは、クソガキどもが「先生の言うことを聞かないのも憲法で保障された『思想の自由』だろ!」などという理屈でますます傍若無人になり、各現場で学級崩壊がさらに進むことを防ぐための、必死の「防波堤」となっている。
逆に言えば、今回の判決は、どういう内容の事柄については『思想の自由』という根拠で守られるべきかということを、「国民の間で中立的な価値が認められているかどうか」という基準で線引きをしたということだ。
…おいおい、また裁判所が、価値の中立性を判断したのかよ?例の大阪高裁の判決と同じ構造じゃねえか(苦笑)。
裁判所が法律自身の解釈を行うのは本業であるとして、個々の社会現象の価値判断まで裁判所が行っているという最近の流れ…その根拠は何なの?双方の言い分だけを聞いて、個々の社会現象の価値判断を、裁判所が行っていいということ???
…news23風に言えば、また「あの時代」を彷彿とされるものがあるな(嘲笑)。
また後日、別角度から考察してみよう。(ホントか?)











