思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「日本の悠久の歴史は、天皇制による」(安倍晋三)ーもちろん真っ赤なウソです。

2016-07-24 | 社会思想

 神話上の神武天皇(126歳の長寿)を初代とする天皇国の日本こそが、世界に誇る悠久の歴史をもつニッポン、と主張するのが「日本会議」ですが、その主要メンバーである安倍首相も自著(「美しい国」へ=改訂版は「新しい国へ」)で「天皇制こそ日本の歴史の根幹」と書きます。

 はたして、ほんとうにそうでしょうか?

 神話の世界までをも現実だとする戦前の「天皇現人神」(現代の言葉で言えば「カルト」です)の思想を喧伝する「日本会議」の主張が正しいと仮定しても、その悠久の歴史とは、わずか二千数百年に過ぎません。

 彼らは、律令政治の始まり(645年の大化の改新ー701年の大宝律令)ではなく、そこから遡ること1300年以上も前から天皇の時代だった、と主張をするわけですが、それは、稲作文化の弥生時代と重ねたいからです。天皇家の中心行事は大嘗祭や新嘗祭ですが、この稲作儀礼が「みな一緒=同調」をつくる象徴行為ですので。

 しかし、もし、日本の「悠久の歴史」を語るならば、それは弥生時代ではなく縄文時代であることは、どなたもが義務教育で習い知っているはずです。

 1万年以上にわたり平和のうちに生活し、土器に代表される驚くべき高い芸術性をもち(弥生とは比べものにならない)、エコロジカルな生活をつくった縄文文化は、いま、世界の研究者から称賛されています。とりわけ、彼らが稲作技術を知っていたにも関わらず、それが大規模な自然破壊をもたらす(森林伐採)と判断して、稲作中心ではなく栗栽培を柱とする森林文化を守り育てたことは世界に例をみないと言われ、行き詰った現代文明を救うヒントになるとさえ称されます。

 時間的にも日本史の大部分を占める縄文時代とその文化を外して、その後の稲作中心の弥生以降を強引に天皇=皇室と結びつけ悠久の歴史とするのは、あまりにも狭隘な思想です。今また戦前のカルト思想を広めて何をしようというのでしょうか? 
 古代において王政による律令政治を支えた天皇という存在を、過去にも未来にも引き延ばして「永遠化」しようとする試みは、明治維新政府の中心思想でしたが、それにより全国民を縛る国家宗教=天皇教は、太平洋戦争で無惨な結末を迎えました。その歴史の事実を反故にして、再び、真っ赤なウソを広めるのは、おぞましい犯罪行為というほかありません。歴史・現実的にはウソを、思想的には稚拙な言説を広める先頭に首相が立つ国とは、「醜い国」「旧い国」でしかありません。

 おぞましい想念に憑りつかれ、すぐカッと熱くなり子どもじみたな言辞を弄するのをやめ、少しは冷静で明晰な理性を持たないと、国が滅びます。いまは、21世紀の近代市民社会なのですから。



 ※なお、物部氏の「神道」を排して「仏教」による国づくりを宣言した聖徳太子の17条の憲法の意義については次に書きます。明治維新政府の「廃仏毀釈」とはアベコベ。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員ー国会職員に「日本国憲法の哲学的土台」を講義)


国会内の売店で売られている歴代天皇の一覧カップです(神武からはじまる神話上の天皇の名前も列挙されていますが、そもそも壬申の乱で勝利し天皇制をつくった天武天皇673年即位が最初の天皇であり、それまでは大王と呼ばれ天皇という呼称さえ存在しませんので、これも真っ赤なウソです)



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1 コメント

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本物の日本の伝統が好きです (浅間の風)
2016-07-27 13:19:57
こんにちは。

憲法17条について、なるべく早く読みたいです。

最近、東京新聞に意見や質問を投稿しています。

日本(天皇家)の国教(現在はもちろん自由ですが)は聖徳太子の時代に蘇我氏と物部氏が闘って、仏教にするということで決着がついたはずだから、明治政府の国家神道は新興宗教(邪教)だという私見を書きました(合衆国がピューリタンという過激で英国にいられなくなった宗教団体によって建国されたのとよく似てますね)。

古代のことは武田さんの仰る通りでしょうが、それ以後でも、

律令制度の根本は儒教ですし、江戸時代の国民統合の象徴は徳川様でしょう(昭和9年生まれの母でさえ「私の故郷は天領だから」と誇らしげに言っていました)。

もし私の認識が間違っていたら訂正せねばなりません。

それから、政治とは全然関係なく、最近「雅楽」に興味を持ち始めたのですが、ウィキペディアに恐ろしいことが書いてありました。明治になって(千年も続いて来たのにいきなり)途絶えた楽曲は全て「仏教」「道教」に関する曲だとのこと。これも廃仏毀釈の一手なのでしょうか?

聖徳太子の憲法についていつも思っていることは、余りに大王家や高位高官が醜い争いばかりを繰り返しているので(韓国歴史ドラマを見れば歴然。当時はほとんど同じ文化ですから)「和をもって」という条文を作ったのであって、日本文化が「和を尊ぶ」からというのは有り得ない、ということです。日本人がおとなしいのは建前だけで、実は揉め事大好きですもの(残念ながら私も日本人ですが)。
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