思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

昨日は、スコットランドから、ユダヤ系イギリス人のジョナサンが来訪。宗教・哲学・教育・政治談議。

2016-09-18 | 学芸


昨日は、スコットランドから、ユダヤ系イギリス人のジョナサンが来訪。


時間以上に渡り中身の詰まった話でおおいに盛り上がり意気投合!

ユダヤ人の閉鎖性、ネタニヤフはとんでもない男であることや、アメリカ人の四人に一人はアダムとイブに始まる聖書物語をいまだに信じている(呆れ)というような話から、

アニメや可愛いもの好きの日本文化は楽しいが、それは、日本人が政治や社会問題を考え、公的な場で発言することが出来ないために「内に閉じこもる」結果ではないか(そうそう、ドイツ観念論の大殿堂も、現実にイギリスやフランスのように社会を変えられなかったゆえの思弁の豊穣(笑)とは、わたしの弁)とか、

東ドイツでは人々の顔が暗く街も沈んでいるのは、日本と同じで、「戦争への思想的反省」が弱いためではないか、とか(日本では、伊藤博文の天皇現人神という政府神道=国家カルト教による全国民の意識支配で富国強兵→無条件降伏)

そこから、フランス人は、フィロソフィーの伝統があり、他の欧州の人々よりも「個人」がしっかりしているのはなぜか?というわたしへの質問となり、

英米の民主制は、ジョン・ロックのピューリタン思想(キリスト教原理主義)の世俗化であるが、フランス革命を準備したルソーの思想は、古代アテネのソクラテス・プラトン、および、その影響下の初期ローマ共和制にある、という説明へ。

宗教的信念を隠れた動機とする社会思想や改革運動の時代はすでに終わっていること、それを超えるためには、各自の「善美に憧れる心を座標軸とする生」が求められること、そして、それはすでに古代アテネのフィロソフィーとインドのブッダにあり(共に印欧語族)、核心点は、超越や絶対を求める信仰ではなく、普遍(深い納得)を目がける考え方ー生き方にあること、をお話しましたが、ジョナサンは、とてもよろこび、賛同しました。

ユダヤ教やキリスト教の聖書の物語は、「物語」に過ぎず、未だにそれを史実であると思う人々は回心が必要ということをジョナサンが強調していましたが、各国のユダヤ人グループからは「お前はユダヤ人ではない」と言われていると笑っていました。
日本でも非国民とか!と言うと、日本は、まだ安倍に反対する健全な人々が大勢声をあげているが、イスラエルのユダヤ人は大多数がネタニヤフを支持していてヒドイもの、背後には、出エジプトの旧約聖書があり、それを信じている、と言います。

わたしが、安倍とネタニヤフは握手して、すでにイスラエルと日本の共同による武器開発が始まっていると話すと、悲しい顔をし、「ノー」。

 

次に、多くの日本人が「個人」として生られず「集団人」にさせられてることを、日本人はどう思い、それを変える考えがあるのですか?と聞かれたので、

大人はダメですが(わたしは大いに例外!笑)、こどもたちは嫌がっていると言うと、ユダヤ人グループの保守派は、こどもが13歳になると、ユダヤ教の儀式をし、そこで洗脳が行なわれ、自由でのびのびしていた子もまるで別人になり、保守的な「ユダヤ人」にさせられるとの話。

ちょうど同じ年代で、日本では中学校が、精神の自由や豊かな個人性を消し「集団人」にします、と話しました。その象徴が「部活動」で、受験主義の勉学が紋切型の知と行為をつくると説明しました。人間が豊かな個人として花開くのではなく、型ハマリになるーさせられるのは、恐ろしく悲しいことです。

各国のユダヤの保守派とイスラエルという国と日本という国は、共にこれから人間性回復のルネサンスが必要です。

そのためには、愛情いっぱいの子育てが大切との話になりましたが、
ジョナサンは、スポック博士の育児書をそのまま信じる両親に育てられ(母親は両親が幼いころ事故死ー愛情の薄い伯母に引き取られ為に育児書頼り)、自立のため、として泣いても放っとかれた、それが大人になっても情緒の不安を抱える原因になっていると思うが、スポック博士は、「わたしの本は間違っていた」と謝罪広告を出した!と笑えない笑話となりました。

武田の子育ては、心身全体の愛によるもので、あふれるほどの愛情を直接交わすのが何より大切で、常識とは逆に、それが強い精神的自立を生むと話し、ジョナサンはとても納得。

そこから、再び、政治と社会の話になり、わたしは、古代アテネの「直接参加民主主義」の理念を活かすことをミニコミ紙「緑と市民自治」で繰り返し主張し、我孫子市で、福嶋浩彦市長誕生に結びついたこと。それは全国へ広げる必要があるが(もちろ我孫子でも不十分で今の保守主義の市長の下で逆転)、この前の参院選では、鳥取-島根から福嶋さんは立ち、新たな自治政治(市民的公共)の考え方を訴えたことなどを話しました。

また、日本では「公共」という概念がひどく弱く、「プライベート世界」 と 「国家(官僚政府がおおやけを独占)」の両極端で、シチズンシップに基づく「公共世界」がないのだが、それは、単なる「私」ではなくて、自覚的な「個人」意識が育まれないことと一つであることを説明しました。

ここわたしの家の向かいは、古代ギリシャを中心とする歴史家の村川父子(共に東大教授)の旧別荘なのだが、息子の堅太郎は、「アテナイ人の国制」(講談社学術文庫)の冒頭で、20世紀の巨大な官僚王国であるわが国と、古代アテネでは大きくことなるが、現代の市民参加の民主制にとり、アテネの国制の研究はおおいに参考になる」と述べている、と言いつつ、

 ああ、そうだ、見学しようと、村川旧別荘に入りました。
この椅子は、イギリス人のバーナード・リーチのデザイン、と教えると、ジョナサンはビックリ仰天! リーチの焼き物が大好きで黒い大きな花瓶をもっていたとのこと、

それで、わたしがこのすぐ先でリーチが柳の家に居候していたことを話し、わたしが、『白樺文学館』をつくった(お金はわたしの哲学の生徒であった佐野力さん日本=オラクル初代社長)ことを言うと、もう言葉もない(笑)

まだまだ面白い話がたくさ~~んあるのですが、もう疲れたので、お終いです。
(ハッセルブラッドーツァイスレンズとライカ使用の話なども)

(追記)

出来たてほやほやのCD、わたしの大好きなヴァイオリニスト=アリーナ・イブラギモヴァ(ロシア生まれで10歳からロンドン在住=メニューイン最後の弟子でいま30歳)とコンビのフランスのピアニスト=セドリック・ディベルギアンのモーツァルトのヴァイオリンソナタ全集Vol 1をお聞かせしました。まるでいま創られたばかりのように新鮮で美しい21世紀に生きるモーツァルト
聴き惚れました。これは、わたしが一昨年の10月に銀座王子ホールで聴いた曲目ですが、CDの録音はイギリスでのセッションです。

わたしが組んだオーディオの音のよさにも感動!!そこで演奏しているかのよう。

次に、清瀬保二のピアノ・歌曲・室内楽を小音量で流し、最後に、「尺八三重奏曲」を音を大きくして聴いてもらいました。オリジナル!神秘的!と言い、曲が終わると、goodではなく、「やった!!」と日本語で(笑)。
このCDは「清瀬保二生誕100周年演奏会」の非売品のCD4枚組で、お弟子の松橋桂子さんに頂いたものですが、
日本最高の作曲家である清瀬の独創的な音階=ハーモニーについて説明し、先一昨日、彼の傑作「ヴァイオリンとピアノのために二楽章」を上野の文化会館で聴いてきたが(聴衆は清瀬の曲に一番多く拍手)、一般には知られないと言うと(10年ほど前に清瀬の故郷である大分県の教育委員会から、わたしにメールと電話で、清瀬の作品を学校教育で使いたいので譲って頂けないかと言われ、非売品やすでに入手困難の音源をCD化してお送りしくたくらいですからー清瀬長男夫妻からも武田さんよろしくと頼まれて)、「とても悲しい」と。



武田康弘


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