思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「白樺教育館」の教育と文化活動を支えてきた「お金」のはなし。

2017-04-20 | 学芸

 わたしは、3月31日に亡くなった松橋桂子さん(大著「柳兼子伝」の著者・武満徹さんらと共に孤高の作曲家=清瀬保二さんの弟子で最期まで支えた・今年で83歳)の遺品(最初段ボールで2箱半、後で送られてきた3箱)の整理を始めました。教育館の三階への階段と踊り場が使えるので可能な作業です。
 それをしていて、ふと、わたしの白樺活動の「お金」の話をしっかりと記し、公表するのはとても大切で、意義深いことだと感じました。公的機関がすることとは異なる、個人からはじまる公共性(身銭を切ることが現実的条件)こそは、白樺派そのものだと改めて思ったからです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   「白樺教育館」の教育と文化活動を支えてきた「お金」のはなし。    武田康弘

 

 わたしが1976年以来40年以上にわたり取り組んできた教育・学問・文化・社会活動には、言うまでもなく、お金がかかっていますが、そのお金は、みな個人財産です。では、それはどこから?

 もちろん、基本となっているのは、わたし自身の心と頭と身体をフルに使っての「仕事」によるお金ですが、一人ひとりをみる教育は、お金の儲かる仕事ではありませんから、生徒からの月謝だけでは、土地や家や塾舎などを購入・建築するのは不可能です。

 わたしは財産に恵まれてはいませんが、なかったわけでもありません。
亡き父は退職金で、亡き母は遺産で得たお金で、わたしの教育・学問・文化・社会活動を支えてくれました。
 父は、学生時代(旧制中学~大学途中)は、祖父が修行していた文京区の真浄寺(浄土真宗東本願寺派)で、後にクレージキャッツの一員となった植木等さんと檀家回りなどをしていましたが、敗戦で学徒動員から帰った後は、労働省勤務一筋でした。その退職金を、わたしの「教育・学問・文化・社会活動」のために拠出してくれました。
 
神田生まれの神田育ちの母は、子ども~女学校の時代に戦争でした。天皇崇拝の教育を受けて軍需産業への奉仕活動や竹槍訓練をし、アメリカ軍による空襲で恐怖の体験をしました。神道学者が校長であった「天皇教」の女学校(安倍首相の思想と同じ)は、GHQにより解散を命じられ今はありませんが、その教育と体験はトラウマとなり、生涯消えませんでした。亡くなった時には、いくらかの現金が残っただけでしたが、それは必要な時々に出してくれていたからです。

 また、農家の本家の長男であった妻の亡き父(亡くなる数年前に「わたしら兵隊はみな天皇は自害すると思っていたが、のうのうと生き延びた!」と親戚一同の前で強い語調で話しました)も協力してくれて、『白樺教育館』の新館の建築費用を負担してくれました。書籍や諸設備の費用などを合わせて大変な金額になりましたが、日本オラクル初代社長の佐野力さん(わたしの哲学研究会と教育研究会の一番熱心な参加者でした)からの報酬と支援金もあり、完成させ、継続・発展させて今日に至っています。

 「白樺教育館」の建つ土地を半額ほどで以前に提供してくれたのは、わたしが我孫子に移り住んで以来、長年親しく交流した故・飯泉決(ひろし)さんで、志賀直哉や柳宗悦・兼子さんに幼いころ遊んでもらった我孫子の主のような数学中心の教育者です。

 このように教育や文化の市民的=公共的活動は、みなの力がなければ、公的機関によるものだけになってしまい、自由度の少ない活動しかできません。けれども、日本では、現実に「お金」を出す人は極めて稀ですので、先陣を切る人がほとんど全てを負担することになります。しかしながら、個人からはじまる市民的自由に基づく優れた教育・文化(それが「白樺派」の伝統)は、「身銭を切る」人が増えないと出来ませんし、続きません。白樺教育館の存在と活動は奇跡的とさえ言えます。

 よき理念実現のためにお金をかけるのですから、身銭を切るのは、狭く自分のためだけに使うより、桁違いに大きな徳と得があるのですが、それを実行する思想と決断力のある人が少ないので、日本では、自由で豊かな公共世界がなかなか拓けないのです。

 建物の維持管理、設備の修理や交換、新しい資料の購入、ふだんの維持費=諸経費、さまざまな活動、それらをすべて個人負担では「金持ち」しかできないですが、わたしは、お金がないにも関わらず、創意工夫の知恵と労力でそれを貫く先駆者になるべく日々奮闘してきました。
 これは確かにバカですが、バカでないと新しい世界はつくれません。それはバカを超えたバカと言えますが、その営みを支えるのは、新しい哲学=『恋知』(「私」を内から輝かす生)で、これはあらゆる宗教にまさる自己内確信を生む条件をもちます。
 また、自分でなんでもやること(やれること)は、とても大切です。

 というわけで、わたしは、バカの協力者と自身がバカになる人が増えることを願っています。それがなければ市民的公共にもとづく善美はつくれません。現代に生きる人々の生き方=価値観=思想の回心が求められると思います。
 いまなお、明治維新政府のイデオロギーである天皇現人神という国体思想=靖国思想が生きていて、自由と責任をもつ「個人」を育てる教育を現実に行おうとすると、ひどい逆流に苦しめられます。民主的な倫理による人間性の豊かさの実現には、まだまだ時間がかかるでしょう。

 なお、誤解なきように付け加えますが、
このお金という現実次元の話が成立するのは、「現実」に先行する豊かな「理念」、多くの人が心の底から納得する思想と実践が必要で、それがあってはじめてお金を出す意味が生じるわけです。人間の行うよきことは、すべて必ず豊かな「理念」が先行するので、その逆はあり得ません。「恋知の生」を共に!


屋上-21㎝反射望遠鏡       白樺教育館外観-40周年の日に              第40回式根島キャンプ&ダイビング63才                                             


  参議院で討論ー55才                                     新館落成10周年・2014年2月1日

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 北朝鮮はいまだミサイル攻撃... | トップ | 今日の手賀沼遠望と小さな花... »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
白樺文学館、教育館にみるタケセンの生。 (麻生博美)
2017-04-20 16:57:17
「よき理念実現のためにお金をかけるのですから、身銭を切るのは、狭く自分のためだけに使うより、桁違いに大きな徳と得があるのですが、」   これは、タケセンの実践を息子を通し、また自分自身でみて、間違いないことだと確信しています。タケセンの生を目の当たりにしてきた多くの人たちはとてもよくわかるのではないかと思います。  「それを実行する思想と決断力のある人が少ないので、日本では、自由で豊かな公共世界がなかなか拓けないのです。」  この事は日本に特有の悪しき問題だと思うし、根深さを感じます。個人レベルのことや小さい問題にいちいちとらわれていたら、ものごとを大きくひいて見る眼がくもってしまうような気がします。そんな生き方しかしないとしたら、誤解を恐れずに言えば自覚無自覚問わずとても罪なことだとも私は思います。冷たく平面的なつまらない人生より、たのしみやよろこびがひろがっていく生を生きたいものです。私も微力ながら賛同を続けていきたいです。
ありがとう! (タケセン)
2017-04-21 00:48:36
麻生さん、
高い評価、いつも感謝です。粘り強く、共に頑張りましょう~~

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。