思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

高校生が批判ー長谷部泰男東大法学部教授の主張

2010-01-11 | 社会思想

1月7日(水)のブログにました長谷部泰男さん(東大法学部教授)杉田敦さん(法政大学法学部教授)との朝日新聞の対談記事を読んだ高校生二人の感想と意見を記します。


(A君)
長谷部さんは、宮内庁が独自で定めた「30日ルール」は大事だ。カントも言うように天皇を利用価値のある「手段」として扱ってはならず「目的」として扱うべきだ、そうでないと、天皇や皇室独自の価値や尊厳が崩されてしまう、というが、
その考えは、おかしいと思う。
誰か特定の人や家族に尊厳があるとすれば、その他の人や家族には尊厳はない(少ない)ことになってしまう。ぼくたちは、みな対等・平等な価値をもった人間であって、特定の人が生まれながらして「偉い」というのは、第二次大戦の前と同じ考えでしかないと思う。いまの憲法は、天皇主権から国民主権に変わり、天皇は儀礼的なことをする人でしかないはず。長谷部さんは憲法学者だと言うが、どうしてこんなおかしな主張をするのだろう?昔と同じ思想をもつ人なのかな。

(Bさん)
東大の教授だから自分が偉いと思っているんじゃないの?自分が昔の天皇みたいな気持ちなのかもしれない(笑)。

(A君)
官僚が決めるという今までのやりかたが「民主的」と言っているように読める。官僚=東大だから、政治家ではなくて、官僚の方が上だと言いたいのかな。「宮内庁長官」の発言がいいと言っているし、「内閣法制局」の憲法解釈がいいとも言っている。でも、これはすごくおかしいことだと思う。タケセンもブログに書いているけど、三権分立の三権の一つの「内閣」の下にいろいろな行政機関があるのに、その機関(役所)が、内閣が決めたことに従わない独自の権力をもったら、民主制ではなくて、官僚制になってしまうはず。

(Bさん)
そうね。杉田さんもそうだけど、長谷部さんのは、違う次元の話を一緒にして語り、自分の意見が正しいと言っているから、間違いだし、すごく分かりにくい。現状維持のために話を誤魔化している感じて、学者なのに「官僚ぽい」。

(A君)
内閣法制局の問題でも、長谷部さんは、アメリカやフランスでも同じようなものがあるからいいんだ、って言うけど、これはひどい話ですよ。同じようなものがあるといっても、その中身や位置づけは日本と同じだとはとても思えないし、それに、状況が異なるほかの国の話を持ち出しても、「よい」ということの証明にはならないはず。だいたい、ここで云われている9条の解釈のことは、アメリカやフランスの例を出しても意味ないですよね(笑)。

話が戻るけど、この論理のすり替えみたいなことは、天皇問題への発言でもそうで、カントの言った「目的として扱え」というのは、平等な一人ひとりの人間の尊厳という意味なのに、天皇制という制度の問題と次元を混ぜて言うから、読んでいてすごく気持ち悪い。個人の人間の話ではなく、天皇や皇室という制度は、もし「利用価値」がないのなら、それを国民の税金で維持している必要はないはず。主権者の意思で、儀礼(そういう仕事)をしてもらっているだけなのに、そういう民主主義(国民主権)の基本がはっきりしないから、意味がすっきり通らないんだと思う。

(Bさん)
なんだか、官僚主義という「古きよき伝統を壊そうとする政治家」を攻撃する!?(笑)っていう感じ。
それにしても、論理をすり替えたり、次元の違いを無視して混乱させるようなひどい対談を、どうして『朝日新聞』は載せるのかな~?その意図が分からない。新聞記者も名前が偉いとイイものだと信じてる?

(A君)
一元化はダメ、とか権力は多元的であるべき、とか、言葉の表面だけを見るとなんとなくイイように見える(聞こえる)けれど、よく考えると、ほんとはひどい話で、政治は成り立たなくなる。責任がはっきりせず、バラバラで、空気で動く、空気に縛られる。でも、それが戦争を引き起こしたんだし、戦後も無責任で、昔の思想を反省できない原因になっていると思う。

(タケセン)
うーーん、素晴らしい感想&意見だね(感心)。ありがとう!
その無責任性を生んでしまう日本人の考え方と権力構造の問題を主題化して世界的なベストセラーになったのが、ウォルフレン(オランダ)の『日本権力構造の謎』という本なんだが、レジュメがあるから後で見てもらおう。
自分の頭で生き生きと「考える力」が豊かになると、灰色の日本人から脱却できるよね~~(笑)。単なる「事実学」から「意味論」へ、だね。


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2 コメント

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同感です。 (荒井達夫)
2010-01-11 16:35:48
私も、この2人の大学教授の対談記事を読みましたが、これらの高校生と同じような印象を持ちました。特に長谷部さんの方には、「主権在民の原理に立脚して考える」という姿勢が著しく欠けていると思います。我が国のような民主主義国家において、行政運営は主権在民の原理に基づく以外にあり得ませんが、この当たり前のことが、憲法の権威であるはずの大学者には十分に理解されていないことを、素人である高校生が指摘しているわけです。非常に興味深い話で、また、白樺教育館の水準の高さが良くわかります。
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鋭い批判! (古林 治)
2010-01-11 21:46:45
高校生の批判、鋭いですね。
長谷部教授も杉田教授も普通の人が知らない専門用語や哲学者の言葉、外国の事例等を持ち出してさまざまな持論を語ってますが、高校生が指摘する通り、内容そのものは極めて陳腐なものです。カントのとんでもない解釈や次元を取り違えた権力の一元化問題など、唖然! 原理(核心)のない思想の戯れです。これを取り上げる朝日の編者もまた同様の知的レベルなのでしょう。
知の荒廃きわまれり!
もう笑える段階ではありませんね。
改めて知の再構築が必要だと強く感じます。

そうそう、息子(法政大学法学部)がゼミの見学で杉田教授の話を聞いたことがあります。その印象は、『穏やかで優しそうだけど、普通の人が知らない学者の造語をこねくり回して、現実から乖離した独自の理論を語って、優秀だと思い込んでるようだ』ということです。もちろん杉田ゼミには入ってません。それから、息子の友人が杉田教授の講義を聞いたときに、次のようなコメントがあったそうです。
『法政の学生にはわからないでしょうねぇ。』
多分、本音なのでしょう。さすが東大法学部卒(笑)。
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