松本高等学校跡は、その後公園として整備され、さらに今では全国の旧制高校の資料を集めた「旧制高校記念館」が旧本館の背後に併設され、とてもよく保存されている。
ひとつ不満があるとすると、有名な旧思誠寮が保存されなかったことであろうか。
保存運動の発端は、松本高等学校最後の入学生で、後身の信州大学文理学部の第一回生でもある映画監督の熊井啓氏が、久しぶりに母校を訪問し、信州大学の統合移転のため本館に隣接していた図書館がすでに撤去されていたのにおどろいたことに由来すると聞いている。
このときも、また、私が最初に訪れたときもまだ思誠寮(東寮)はグラウンドの脇に残っていたのであるから、これはぜひ保存してもらいたかった。
いま、この写真のあたりはブロックが敷かれ、何のへんてつもないカラの駐車場になっており、そこに寮があったことを想像するのは困難である。寮生たちが「あがたの森」を抜けて毎日(?)学校へ通った姿は、大正から昭和の松本の風物詩だったはずであり、それがみすみす失われたというのは、画竜点睛を欠く話である。
かつて松竹で、山口高等学校OBの山田洋次監督が、松山高等学校OBの早坂暁氏の「ダウンタウンヒーローズ」を映画化したが、当時の寮は現存するものがないため、セットを作って大変だったという。しかし、山口、松山、松本の各校は同じ中橋プランで作られた同系統のキャンパスであった。したがって、もし松本の思誠寮が公園の一部として残せていたら、この映画のロケもより簡単にできたはずでもったいない話である。
(つづく)
ひとつ不満があるとすると、有名な旧思誠寮が保存されなかったことであろうか。
保存運動の発端は、松本高等学校最後の入学生で、後身の信州大学文理学部の第一回生でもある映画監督の熊井啓氏が、久しぶりに母校を訪問し、信州大学の統合移転のため本館に隣接していた図書館がすでに撤去されていたのにおどろいたことに由来すると聞いている。
このときも、また、私が最初に訪れたときもまだ思誠寮(東寮)はグラウンドの脇に残っていたのであるから、これはぜひ保存してもらいたかった。
いま、この写真のあたりはブロックが敷かれ、何のへんてつもないカラの駐車場になっており、そこに寮があったことを想像するのは困難である。寮生たちが「あがたの森」を抜けて毎日(?)学校へ通った姿は、大正から昭和の松本の風物詩だったはずであり、それがみすみす失われたというのは、画竜点睛を欠く話である。
かつて松竹で、山口高等学校OBの山田洋次監督が、松山高等学校OBの早坂暁氏の「ダウンタウンヒーローズ」を映画化したが、当時の寮は現存するものがないため、セットを作って大変だったという。しかし、山口、松山、松本の各校は同じ中橋プランで作られた同系統のキャンパスであった。したがって、もし松本の思誠寮が公園の一部として残せていたら、この映画のロケもより簡単にできたはずでもったいない話である。
(つづく)