国立公文書館で昨年の夏頃に展示されていた「ふしぎなふしぎな
百人一首」。
百人一首は鎌倉時代の歌人、藤原家定によって編集されたと定説
になっている秀歌撰で、100名の歌人の和歌を1首ずつ集めたもの。
江戸時代には和歌の手習いや手本として流行っている。
私も子供の頃は本来のかるた遊びとしてではなく、子供用にルー
ルを決めたゲーム(天智天皇ゲーム、蝉丸ゲームと呼び合って)をや
っていたものだ。
まず第1弾は「小倉山庄色紙倭歌」、江戸時代前期の能書家・信
海(1626〜88)が書写したもので、金泥の下絵に霞や胡粉、雲母を
用いた布目模様の料紙が使われ豪華な装丁がされている。
信海は石清水八幡宮の社寺豊蔵坊の僧侶で、狂歌歌人でもあり、
書は能書家の松花堂昭乗に学んでいる。
小倉山とは東麓に嵯峨野、南に桂川を望む景勝地で、平安時代は
貴族の別荘があったところ。定家の別荘も小倉山にあったので、そ
のように呼ばれている(写真は2008年)。
京都学習院旧蔵、全一軸。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)
百人一首」。
百人一首は鎌倉時代の歌人、藤原家定によって編集されたと定説
になっている秀歌撰で、100名の歌人の和歌を1首ずつ集めたもの。
江戸時代には和歌の手習いや手本として流行っている。
私も子供の頃は本来のかるた遊びとしてではなく、子供用にルー
ルを決めたゲーム(天智天皇ゲーム、蝉丸ゲームと呼び合って)をや
っていたものだ。
まず第1弾は「小倉山庄色紙倭歌」、江戸時代前期の能書家・信
海(1626〜88)が書写したもので、金泥の下絵に霞や胡粉、雲母を
用いた布目模様の料紙が使われ豪華な装丁がされている。
信海は石清水八幡宮の社寺豊蔵坊の僧侶で、狂歌歌人でもあり、
書は能書家の松花堂昭乗に学んでいる。
小倉山とは東麓に嵯峨野、南に桂川を望む景勝地で、平安時代は
貴族の別荘があったところ。定家の別荘も小倉山にあったので、そ
のように呼ばれている(写真は2008年)。
京都学習院旧蔵、全一軸。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)