隠久日記(こもりくにっき)

私が深く動かさるる美しさは、いつも弱きものにのみ存するやうだ。病的な譏りはいつでも甘受する。(鏑木清方)

「闇ならば うべも来まさじ 梅の花 咲ける月夜に 出でまさじとや」を描く

2012年02月19日 | 日々

 梅の季節が終わる前に仕上がると良いのだが、油彩の段階では、次の行程まで最低でも一週間は乾燥させたい。結局、この梅の絵に手を着けるのは一週間ぶりとなった。

 先週一旦潰れた下地の表情は、新たな油彩処理で蘇った。同時に、夜を明るく照らす月も描き入れた。後でのグラッシに備えて月は明るく飛ばしておく。また乾燥させ間を置いて、次は梅を描く。花の色は白に決めた。

工芸化の不安の中で

2012年02月16日 | 日々

 梅の枝振りだけを、まず決めたが、予想よりも随分時間と労力を必要とした。花は紅白いずれにするか決められずにいる。憶良の歌が詠まれた状況からは白梅だろうが、もう一点の梅の花の絵との関係もある。昨日できた下地はご覧通り潰れてしまっているが、油絵具の透明性と下地の処理で、次の段階では蘇ると期待している。

技法書

2012年02月15日 | 日々

 技法的なヒントを得るためには、絵画関係の書物よりも工芸に関するものの方が適している。先日、図書館から借りてきた某書を手がかりにして、梅の花第二作目の下地を完成させた

工芸品のように

2012年02月12日 | 日々

 やっと出来上がった下地に油絵具で描いて行く。その下地も一旦隠れてしまうが、油絵具の特性と後処理によって無意味ではなくなる。この辺りの描き方は以前と較べると工芸的である。画家が工芸的と言う場合、多くは否定的な意味で、工芸職人に対する無意識の侮蔑があるのかもしれない。だが、危うさを知った上で、自作に関しては、作品の質を高めるために工芸的である必要がある。

新しい大理石のパレット

2012年02月12日 | 日々

日本画を意識するようになって、油絵具の使い方も変わってきた。混色を控えるようになり、パレットの状態は至ってシンプル。理由は別にあるが、この方が顔料の力が生きて来るだろう。

少しずつ顔が変わる

2012年02月12日 | 日々

 習作で培ったイメージを元に、眉と額付近を中心として表情を微調整していく。美人画ではここが上手くいかないと、制作を先へ進める気持ちがなくなる

四季草花下絵和歌巻

2012年02月11日 | 日々
 小林秀雄の全集は、以前新旧二組持っていたが、引っ越しの際に古い方を処分した。その残った新版の方は、購入直後から何故か著者から心が離れ、紐解くことが少なくなっていた。しかし、プルーストからフローベール、ウルフと翻訳文学への熱中から、日本古典文学へと興味の対象が変化し、それをテーマに「日本の絵画」を描こうとしている今、気になっている小林秀雄の随筆がある。

 「光悦と宗達」、この一文は、若い頃から、現代に生きる画家として問題を突き付けられているようで、忘れられないものだった。しかし、今、読み直してみると、以前よりその問題が増えて見える。

 不当に無視された「古今」「新古今」の形式美は、現代に於ける形式の混乱に、無言の復讐をしてはいないか。形式美は遂に形式美より他のものを現さぬという粗末不遜な考えの極まるところ、僕等は心の美しさも失わざるを得ないのではないか。(小林秀雄)

 アルカイックを、中世美術を、持ち上げていれば「教養人」であると言うような通念から、私は万葉集を見てはいないかと自分を訝って見るべきだ。

 この歌巻の表現しているものは、極まるところ、幸福というものの秘密ではないだろうか。この考えは、光の様に、僕を照らしたが、すぐ消えた。恐らくそれは、僕の不幸を照らし出したが為である。(小林秀雄)

 芸術に限らず、私達は、自由と自己主張を得た引き替えに、幸福を失ってしまったのではないか。小林秀雄はこう続ける。

 幸福は、己れを主張しようともしないし、他人を挑撥しようともしない。言わば無言の智慧であろうが、そういうものも亦大思想であると考える事が、現代では、何んと難しい事になったか。(小林秀雄)

額から眉にかけて

2012年02月10日 | 日々

 「ももしきの 大宮人は 暇あれや 梅をかざして ここに集へる」の部分習作を描く。

素描アーカイブ

2012年02月09日 | 素描アーカイブ(1996年〜)

習作は素早く

2012年02月08日 | 日々

 エスキースを鉛筆で描いていると、そのトーンを作る速度がイメージの展開に追いつかないようで、最近は、水墨調に、黒の透明水彩を、リス毛の水彩筆に着けて一気描きをしている。

 これは、万葉集、梅シリーズの二作目、山上憶良「春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ」から構想して描いているところ。