隠久日記(こもりくにっき)

士やも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして  山上憶良

夕顔とカタクリ

2017年06月20日 | 日々

夕顔の苗を植えた。葉が三枚ほど出たばかりでは少々早すぎるかもしれないが、こう言うことは厳密にやっても上手くいったためしがない。土も肥料も庭の片隅に残っていた野菜用のものを流用、同じ事を春には牡丹でやって想定外の成功を収めた。いい加減が一番。

絵に使うカタクリの伝統文様が見つからないので自作した。今回は菫や蒲公英の文様で代用はしたくない。これと籠目文様を組み合わせて、「、、、寺井の上の 堅香子の花」となる。

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休日の画家

2017年06月18日 | 模写

この頃は滅多に模写をしなくなった。今日は町内会一斉清掃日で早起きをしたので、午前の雑用も前倒しで早く終わらせ、一休みの間に描いてみた。

若い頃は極力忠実に描たものだが、今は勝手に自分の制作の方へ引き寄せている

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必須小道具

2017年06月17日 | 制作

予備の精密ピンセットが届く。このピンセットがないと地塗りから油彩文様描きまで支障を来してしまう。それにもかかわらず今までたった一本でやってきたわけでリスク管理がなっていなかった。制作中、画面から埃を取る時に、油彩の段階だと刷毛で払うわけにもいかず、ブロワーで飛ばないものも多い。埃は単に目障りなだけでなく、それを媒介して余計な所に絵具が着いてしまう。ちなみに空気清浄機は三台使っている。

「胡蝶」の構想を練っていたら、花がオダマキからコデマリに変わってしまった。オダマキにたいする拘りが制作を停滞させていたのかもしれない。しかし、「胡蝶」の冒頭部分はある意味危険なほど絵に展開しやすい。

 中島の入江の岩陰にさし寄せて見れば、はかなき石のたたずまひも、ただ絵に描いたらむやうなり。

 水鳥どもの、つがひを離れず遊びつつ、細き枝どもをくひて飛びちがふ、鴛鴦の波の綾に文をまじへたるなど、物の絵様にも描き取らせまほしき、

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カメラと写真

2017年06月15日 | 徒然

昼間、油彩でひたすら文様を描き、夜は「少女」の帖を読む。最後の部分を絵にしようと思っていたが、ここの季節は秋だ。するとオダマキをモチーフとするには「胡蝶」の春を選ぶべきか。庭の野草はオダマキが終わり、今はヤナギランが盛りだ。

複写など仕事で使う場合を除いては、自分にとってカメラは玩具なのだとつくづく思う。写真を大切にしていない。それを恥と考えることもあったが、今は違う。居直っているのではなく、自分にとっての写真のあり方を自覚しているから。

写真で自己表現をする能力がない。作品は創れない。そして何よりも、思い出は心に刻みたい。人は死の直前に生涯が蘇るという。その時、スマホの画面がアップで出たら悲惨だ。写真を撮る時、何かを失っていることを忘れないようにしたい。

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ピンクに緑

2017年06月11日 | 制作

「紅梅」に青貝を置く。紅梅の色と青貝の輝きが予想していたよりも良いコントラストを作った。貝のカットには昔やっていた銅版の経験が役に立っている。

「薄雲」は一時凍結して、万葉集シリーズの「堅香子」の構想を練る。伝統文様を調べている内に、オダマキを「胡蝶」か「少女」に使う構想が浮かんだ。ヤナギランでの六条よりも、こちらの方が先に出来そうだ。とにかく「薄雲」にこだわっていると何も先に進まない気がする。

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