先週このコラムにアップした内容が、1日10万PVを誇るというネットゲリラさんのブログで引用された。そのおかげでこの公式ブログ自体のアクセス数もかなりアップしたようだ(大感謝!)。
おそらく誰しもが思っていたテーマだったというのも、PV数上昇の理由だったように思う。そこで今回は前回ではやや舌足らずだった部分も含め、私自身の考えを少しだけ補足したいと思う。
410倍以上になっている情報量
「既存の4大メディア(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)が急激に衰退する」
「その一方で“全ての情報をインターネットに上げる”という米国・新政権の政策が展開する」
「“リッチ・コンテンツ”となったインターネットが情報メディアの主流となる」
「しかし情報の洪水の中で多忙な個人は彷徨することにもなる」
「そこで特定の関心分野について広大なインターネット空間で情報収集を行う職業が成立する」
「収集するのみならずカスタマイズされた分析を行う企業を起こしていく」
以上が前回のブログで述べた内容のサマリーだ。これは明らかに二つのことを大前提としている。
第一に、4大メディアが“急激に衰退する”ということ。
そして、“インターネット上の情報洪水に耐えられなくなる”ということ、である。
後者について具体的なデータを示そう(出典:佐藤尚之「明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法」アスキー新書 原典は総務省「平成17年情報流通センサス報告書」):

このデータは2004年段階のものであるが、既に1994年と比較すると情報の流通量が実に410倍にもなっているのである。これに対して人間の一日は等しく24時間だ。今から14年前の日本人が現代の私たちと比べてそれほどヒマだったとは思えないが、仮にかつての私たちが今よりもユルい生活をしていたとしても、その後、410倍もの情報洪水に対応するだけの技術革新があったり、あるいはライフスタイルの変更があったとはおよそ思えないのである。つまり、情報洪水は“これから生ずる現象”ではない。“今そこで起きている現象”なのだ。
Private Intelligence Agencyというセクター
情報洪水が既に起きていることは分かった。それでは、忙しい現代人に成り代わってインターネットの“海”の中で情報を収集し、それを(時にカスタマイズされた形で)分析することを生業とする企業など存在しているのであろうか?
実はこれも既にある。「残念ながら」というべきかもしれないが、まずは海の向こう(欧米)で徐々にメジャーなものになりつつある。そうした企業を総括して、private intelligence agencyと呼ぶ(Wikipediaにもしっかりと説明書きがあったりする)。
ますます「???」だと思うので、若干の解説をしておきたい。
●日本で「情報」というとまず思い出すのが“ジャーナリスト”である。これには2種類の人種がいる。一つがテレビ・ラジオ・新聞・雑誌といった大手メディアの従業員としての“ジャーナリスト”だ。この意味での“ジャーナリスト”(一般には「記者」「編集者」と呼ばれる)は時にインターネット上でも情報を収集する。
しかし、あくまでも第一次情報が(職業倫理的に)重要視されており、最終的には渦中の人物・組織などに対する“直当て(=直接、取材を申し込むこと)”を敢行する。つまりあくまでも“情報を足で稼ぐ”ことをモットーとしているのだ。
しかし、彼ら・彼女らを束ねている大手メディア自身はprivate intelligence agencyではない。なぜなら、後者は大手メディアたちが発している報道をインターネット上で収集し、それを比較分析するという、より“上から目線商売”だからだ。そのため、第一義的に“直当て”“足で稼ぐ”ということはない。極たまに非公開情報による補足が必要となってシャバに出ることはあるが、ウェイトとしてはインターネット上での情報収集をいかに網羅的に行うかが重視される業界である。その意味で、こうした“ジャーナリスト”サラリーマンの皆さんとは競合するようでいて、競合しない。
一方、大手メディアには属さず、“フリー・ジャーナリスト”を名乗る第2の類型の人たちがいる。時に“上から目線”で大手メディアを批評するという意味では全く同じだが、彼ら・彼女もprivate intelligence agencyと等しくはない。なぜなら、彼ら・彼女らの多くが辛口メディア批評家であるという点で“上から目線”であったとしても、結局はBtoC、つまり自らが発する情報分析をなんらの大手メディアを介在させることなく顧客(C)に対してリーチさせるというビジネス・モデルでは動いていないからだ(いわゆるブログ・ジャーナリストを除く)。ひどい場合には結局のところ大手メディアのアウトソーサーである場合が多く、その意味でprivate intelligence agencyとは等しくない。
●さらに日本ではいわゆる「情報屋」といわれる稼業の人たちがいる。特定の業界で特定の秘密を知り得る立場にあった人物が“独立”した場合であるとか、あるいはそうした立場にある人物をバックに活動をしている個人・組織などである。マーケットや永田町にはこの手の「情報屋」さんがごろごろいる。
しかしprivate intelligence agencyはこうした「情報屋」とは一線を画している。なぜならば一つには情報分析の手法が異なるからである。「情報屋」が持っている情報は大別すると“自分の足で稼いだ情報”であるか、あるいは“タレコミ”によるものだ。いずれにせよ情報源との距離が近い「第一次情報」が好まれる傾向が強い。
これに対し、private intelligence agencyはOSINT(=Open Source Intelligence,公開情報分析)をベースとして活動を展開している。インターネット上にあがっている無数の情報を網羅的に取捨選択し、かつ一定のメソッド(分析スキーム)に則って分析するのである。日本語でいわゆる「情報通」「事情通」といわれるものとは訳が違うのである。
●日本では既にセミOSINTサイトとでもいうべき、いくつかの優れた公開情報収集サイトがある。冒頭に紹介したネットゲリラさんのブログもその一つだし、有名どころではきっこさん、あるいははなゆーさんのものなどがそうだろう。特にきっこさんのブログについては、いわゆる耐震偽造問題では日本中から注目を浴びるほどの情報収集力を誇っていたことが記憶に新しい。
しかし、こうした公開情報収集サイトが一般に匿名ブログの形態をとっていることからも分かるとおり、それは営利法人として責任の所在を明らかにした上で活動を展開する企業としてのprivate intelligence agencyとは性質を異にしている。もちろん、いわゆる匿名ブログであっても下手をすると“炎上”するわけであり、またそこで流す情報の取捨選択・分析の能力の高さからいっても決して責任ある媒体ではないと一概に切り捨てるべきでもない。だが、決定的に異なるのはprivate intelligence agencyは無料サイトを立ち上げてアフィリエイトで稼ぐといったレベルではなく、営利企業として個人・企業のクライアントを持ち、これらを相手に情報収集を行う、カスタマイズされた情報分析を提供するところにある。
なぜ“スモール・ビジネス”になるのか?
それではこのように他とは区別されるprivate intelligence agencyは、どうして大企業ではなく、“スモール・ビジネス”になるのであろうか。
その答えはprivate intelligence agencyが突き詰めて言うときわめてヒューマンな業界であることにある。確かにインターネット上の洪水の中で情報は無数にある。しかし、無作為にそれを拾えばよいというわけではなく、そこにはおのずから収集する者が持つ視座・視点から“有用”と認められる情報だけを取捨選択するという作業が入ってくる。さらに、そうやって集めた情報(料理でいえば材料)をどのように分析(“調理”)するのかという部分も、最終的には個人技とならざるを得ない。つまり、出来上がった分析(”料理“)にはそれに携わった人間たちの人格が色濃く刻印されるのが常なのである。
これはいわゆるインテリジェンスのプロの世界で「“ストラクチャード・テクニーク”はYESか、NOか?」として知られる問題にも通じている。
「分析手順を可能な限り定式化するという「ストラクチャード・テクニーク」に対しては、特に冷戦終了後、テロ分析のような複雑な問題に対しては有効ではないという批判が高まった。
批判派は、「ストラクチャード・テクニーク」は、複雑な問題に含まれる無数の可変要素を説明しきれないので、分析官のほうが優れている、と主張する。
これに対して支持派は、直感の限界を指摘する。つまるい人間は七つ程度のインフォメーションの固まりを同時に考察するのがせいぜいであり、それを越えるインフォメーションに接すると自分のバイアスに適合するもののみ採用し、かつ自分のバイアスに適合するように、都合良く解釈するようになる、と主張し、特に処理すべきインフォメーションの量が多い場合の、直感に頼ることの危険性を強調する。さらに支持派は、直感に頼ると分析官の疲労、退屈などによって、同一の分析官が行う複数の判断の間の整合性が失われやすくなる点を強調する。」(北岡元「インテリジェンスの歴史 水晶玉を覗こうとする者たち」慶応義塾大学出版会より抜粋)
結局、あとは情報分析の提供を受けるカスタマー(クライアント)側の“趣味の問題”ということになる。
匿名ブログによる公開情報収集・分析の中には、時に「あいつが言っていることは間違いで、オレが言っていることが正しい」と分析の優劣を論じる向きがいる。しかし、所詮、誰が最も正しい分析をするかどうかというのは、ある意味、確率論に過ぎないのであり、また趣味の問題にしか過ぎないのである。
最終的な淘汰はprivate intelligence agencyの場合、マーケットが行ってくれる。収集される分析の量が乏しく、偏っていたり、あるいは分析結果があまりにも現実とかけ離れている場合には、自ずからマーケットより排除されていく。その意味で、「語ること」「発信すること」が主目的となっている匿名ブログによる場合とは全く異なる(したがって、private intelligence agencyが発信する情報について、「気概がない」とか、「商売っ気」がありすぎるなどといって批判するのは的外れである。なぜなら、そこがまさにいわゆる言論サイトとは異なるのであるから。)。
そして究極においてカスタマー(クライアント)の主観的な“趣味の問題”に帰着する以上、private intelligence agencyはむしろ小回りが利く規模の方が良いのである。企業体として図体がでかくなり、社員が多くなると、それだけプロダクトは匿名性を帯びることになっていく。大量生産・大量消費であればそれでよいのであろうが、結局は「主観性」というか、「分析=物の見方、角度」が勝負となるprivate intelligence agencyである。コンサルティング・ファーム同様、物の見方を等しくする少数精鋭が団結し、そこで搾り出される“アイデア”を売るのがとどのつまりそこでのビジネス・モデルなのであって、いたずらに社員がいれば良いというものではないのである。
クロス・メディア化がかえって市民インテリジェンスを助長する
前回はやや調子にのって(?)「大手メディア、そして広告代理店は消滅する」といった勢いでこのコラムを書いたのだが、現実には全てが全て、一斉に無くなるということはありえない。しかし、昨日発表された有名週刊漫画誌の“コラボレーション”に余りにも明らかな危機感からも分かるとおり、大手メディア、そしてそれを支える広告代理店セクターが危機的状況に無いわけではないのである。
時に規模こそ小さくなるとはいえ残るであろう大手メディアがその“本領”を発揮するのは、マーケティングの観点から見ると、新製品にすぐさま反応する「イノベーター」+「アーリー・アダプター」を超え、「マジョリティ」がその製品を買うようになる段階においてである。前2者と後者の間をブリッジするのが往々にして大手メディアなのであって、メディアに取り上げられることによって、いわゆる”メジャー化する“という現象が起きてくる。
その意味で、やや規模や勢いはそがれるとはいっても、大手メディアに存在意義がないわけではないのだ。むしろ、WEB2.0を念頭においたさまざまなネット上のツールをも巻き込んだ、総合的なメディア戦略=クロス・メディアこそがこの波の中でますます主流になっていくというのが一般的な見解だろう。
単にさまざまなメディアを並べ、そこに商品関連情報を等しく流すという“メディア・ミックス”ではなく、カスタマー(クライアント)の生活リズム・生活空間を前提にあくまでも「自然」な形での各メディアとの接触ストーリーを描いていく“クロス・メディア”。確かに聞こえは大変良いのだが、それは時にあまりにも巧妙でもある。今はやれ「WEB2.0」だなどとえらそうに言っていられても、ふと気づくと自分のブログも含め、大手メディア主導の“クロス・メディア”戦略の一翼を担ってしまっているということになりかねないのもまた事実なのである。
そのため、巧妙化していくメディアを“読み解く”能力が一般市民生活の中で自ずから必要になってくるのではないだろうか。今まで当たり前と思っていたストーリーや情報も、蓋を開けると実はクロス・メディアの罠そのものだったということになりかねないのである。クロス・メディアが作り上げる空間にひたることは、それはそれで楽しいこともあるだろうが、いわばメディアに囲まれてしまう分、その呪縛から逃れることもまた難しい。したがって、本当に“自由”な存在でありたいと思うのであれば、今こそ情報リテラシーが求められているというべきなのである。
IISIAでは、2008年になってから、フツーの人が「情報リテラシー」を持ち合わせるべきだという主張をこめて、“市民インテリジェンス(civil intelligence)のススメ”を説いてきている。ここでいう“市民”とは、いわゆる“プロ市民”のことではない。適当な日本語がないので便宜上用いているだけであり、要するに「フツーの人が情報収集・分析能力を持つべきだ」ということである。インターネット化が加速度的に2009年に向けて進み、その中で駆逐されそうになる大手メディアが逆にクロス・メディア化を進める中で私たち=フツーの日本人の生活空間そのものが囲まれてしまう危険性があるからこそ、“市民インテリジェンス”は必要なのだと思う。
そうした流れの中で、営利企業としてのprivate intelligence agencyはその利益の一部を共同体の再生に向けた社会貢献のために用いるのならば、“市民インテリジェンス”の普及を後押しすべきだというのが私の考えである。これまで世界で存立してきたprivate intelligence agencyはその業務形態や分析結果などから見て、たぶんに各国の情報工作機関のアウトソーサー、あるいは「天下り先」という感じがする。しかし、それにとらわれることなく日本のprivate intelligence agencyは独自の道、すなわち社会貢献をも包摂する存在であっても良いのではないかと思う。
・・・・以上が現状分析と私なりの経営理念(らしきもの)の一部である。
道のりは遠く、またIISIAはまだまだ小さい。
だが、既存の秩序に対する知的挑戦者であるからこそ、日々得られるものが大きいこともまた事実である。
引き続き、日本初のprivate intelligence agencyとして邁進していきたいと思うので、どうぞよろしくお願いいたします。
2009年3月19日
東京都・国立市にて
原田武夫記

(m.o.v.e "destiny")
おそらく誰しもが思っていたテーマだったというのも、PV数上昇の理由だったように思う。そこで今回は前回ではやや舌足らずだった部分も含め、私自身の考えを少しだけ補足したいと思う。
410倍以上になっている情報量
「既存の4大メディア(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)が急激に衰退する」
「その一方で“全ての情報をインターネットに上げる”という米国・新政権の政策が展開する」
「“リッチ・コンテンツ”となったインターネットが情報メディアの主流となる」
「しかし情報の洪水の中で多忙な個人は彷徨することにもなる」
「そこで特定の関心分野について広大なインターネット空間で情報収集を行う職業が成立する」
「収集するのみならずカスタマイズされた分析を行う企業を起こしていく」
以上が前回のブログで述べた内容のサマリーだ。これは明らかに二つのことを大前提としている。
第一に、4大メディアが“急激に衰退する”ということ。
そして、“インターネット上の情報洪水に耐えられなくなる”ということ、である。
後者について具体的なデータを示そう(出典:佐藤尚之「明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法」アスキー新書 原典は総務省「平成17年情報流通センサス報告書」):

このデータは2004年段階のものであるが、既に1994年と比較すると情報の流通量が実に410倍にもなっているのである。これに対して人間の一日は等しく24時間だ。今から14年前の日本人が現代の私たちと比べてそれほどヒマだったとは思えないが、仮にかつての私たちが今よりもユルい生活をしていたとしても、その後、410倍もの情報洪水に対応するだけの技術革新があったり、あるいはライフスタイルの変更があったとはおよそ思えないのである。つまり、情報洪水は“これから生ずる現象”ではない。“今そこで起きている現象”なのだ。
Private Intelligence Agencyというセクター
情報洪水が既に起きていることは分かった。それでは、忙しい現代人に成り代わってインターネットの“海”の中で情報を収集し、それを(時にカスタマイズされた形で)分析することを生業とする企業など存在しているのであろうか?
実はこれも既にある。「残念ながら」というべきかもしれないが、まずは海の向こう(欧米)で徐々にメジャーなものになりつつある。そうした企業を総括して、private intelligence agencyと呼ぶ(Wikipediaにもしっかりと説明書きがあったりする)。
ますます「???」だと思うので、若干の解説をしておきたい。
●日本で「情報」というとまず思い出すのが“ジャーナリスト”である。これには2種類の人種がいる。一つがテレビ・ラジオ・新聞・雑誌といった大手メディアの従業員としての“ジャーナリスト”だ。この意味での“ジャーナリスト”(一般には「記者」「編集者」と呼ばれる)は時にインターネット上でも情報を収集する。
しかし、あくまでも第一次情報が(職業倫理的に)重要視されており、最終的には渦中の人物・組織などに対する“直当て(=直接、取材を申し込むこと)”を敢行する。つまりあくまでも“情報を足で稼ぐ”ことをモットーとしているのだ。
しかし、彼ら・彼女らを束ねている大手メディア自身はprivate intelligence agencyではない。なぜなら、後者は大手メディアたちが発している報道をインターネット上で収集し、それを比較分析するという、より“上から目線商売”だからだ。そのため、第一義的に“直当て”“足で稼ぐ”ということはない。極たまに非公開情報による補足が必要となってシャバに出ることはあるが、ウェイトとしてはインターネット上での情報収集をいかに網羅的に行うかが重視される業界である。その意味で、こうした“ジャーナリスト”サラリーマンの皆さんとは競合するようでいて、競合しない。
一方、大手メディアには属さず、“フリー・ジャーナリスト”を名乗る第2の類型の人たちがいる。時に“上から目線”で大手メディアを批評するという意味では全く同じだが、彼ら・彼女もprivate intelligence agencyと等しくはない。なぜなら、彼ら・彼女らの多くが辛口メディア批評家であるという点で“上から目線”であったとしても、結局はBtoC、つまり自らが発する情報分析をなんらの大手メディアを介在させることなく顧客(C)に対してリーチさせるというビジネス・モデルでは動いていないからだ(いわゆるブログ・ジャーナリストを除く)。ひどい場合には結局のところ大手メディアのアウトソーサーである場合が多く、その意味でprivate intelligence agencyとは等しくない。
●さらに日本ではいわゆる「情報屋」といわれる稼業の人たちがいる。特定の業界で特定の秘密を知り得る立場にあった人物が“独立”した場合であるとか、あるいはそうした立場にある人物をバックに活動をしている個人・組織などである。マーケットや永田町にはこの手の「情報屋」さんがごろごろいる。
しかしprivate intelligence agencyはこうした「情報屋」とは一線を画している。なぜならば一つには情報分析の手法が異なるからである。「情報屋」が持っている情報は大別すると“自分の足で稼いだ情報”であるか、あるいは“タレコミ”によるものだ。いずれにせよ情報源との距離が近い「第一次情報」が好まれる傾向が強い。
これに対し、private intelligence agencyはOSINT(=Open Source Intelligence,公開情報分析)をベースとして活動を展開している。インターネット上にあがっている無数の情報を網羅的に取捨選択し、かつ一定のメソッド(分析スキーム)に則って分析するのである。日本語でいわゆる「情報通」「事情通」といわれるものとは訳が違うのである。
●日本では既にセミOSINTサイトとでもいうべき、いくつかの優れた公開情報収集サイトがある。冒頭に紹介したネットゲリラさんのブログもその一つだし、有名どころではきっこさん、あるいははなゆーさんのものなどがそうだろう。特にきっこさんのブログについては、いわゆる耐震偽造問題では日本中から注目を浴びるほどの情報収集力を誇っていたことが記憶に新しい。
しかし、こうした公開情報収集サイトが一般に匿名ブログの形態をとっていることからも分かるとおり、それは営利法人として責任の所在を明らかにした上で活動を展開する企業としてのprivate intelligence agencyとは性質を異にしている。もちろん、いわゆる匿名ブログであっても下手をすると“炎上”するわけであり、またそこで流す情報の取捨選択・分析の能力の高さからいっても決して責任ある媒体ではないと一概に切り捨てるべきでもない。だが、決定的に異なるのはprivate intelligence agencyは無料サイトを立ち上げてアフィリエイトで稼ぐといったレベルではなく、営利企業として個人・企業のクライアントを持ち、これらを相手に情報収集を行う、カスタマイズされた情報分析を提供するところにある。
なぜ“スモール・ビジネス”になるのか?
それではこのように他とは区別されるprivate intelligence agencyは、どうして大企業ではなく、“スモール・ビジネス”になるのであろうか。
その答えはprivate intelligence agencyが突き詰めて言うときわめてヒューマンな業界であることにある。確かにインターネット上の洪水の中で情報は無数にある。しかし、無作為にそれを拾えばよいというわけではなく、そこにはおのずから収集する者が持つ視座・視点から“有用”と認められる情報だけを取捨選択するという作業が入ってくる。さらに、そうやって集めた情報(料理でいえば材料)をどのように分析(“調理”)するのかという部分も、最終的には個人技とならざるを得ない。つまり、出来上がった分析(”料理“)にはそれに携わった人間たちの人格が色濃く刻印されるのが常なのである。
これはいわゆるインテリジェンスのプロの世界で「“ストラクチャード・テクニーク”はYESか、NOか?」として知られる問題にも通じている。
「分析手順を可能な限り定式化するという「ストラクチャード・テクニーク」に対しては、特に冷戦終了後、テロ分析のような複雑な問題に対しては有効ではないという批判が高まった。
批判派は、「ストラクチャード・テクニーク」は、複雑な問題に含まれる無数の可変要素を説明しきれないので、分析官のほうが優れている、と主張する。
これに対して支持派は、直感の限界を指摘する。つまるい人間は七つ程度のインフォメーションの固まりを同時に考察するのがせいぜいであり、それを越えるインフォメーションに接すると自分のバイアスに適合するもののみ採用し、かつ自分のバイアスに適合するように、都合良く解釈するようになる、と主張し、特に処理すべきインフォメーションの量が多い場合の、直感に頼ることの危険性を強調する。さらに支持派は、直感に頼ると分析官の疲労、退屈などによって、同一の分析官が行う複数の判断の間の整合性が失われやすくなる点を強調する。」(北岡元「インテリジェンスの歴史 水晶玉を覗こうとする者たち」慶応義塾大学出版会より抜粋)
結局、あとは情報分析の提供を受けるカスタマー(クライアント)側の“趣味の問題”ということになる。
匿名ブログによる公開情報収集・分析の中には、時に「あいつが言っていることは間違いで、オレが言っていることが正しい」と分析の優劣を論じる向きがいる。しかし、所詮、誰が最も正しい分析をするかどうかというのは、ある意味、確率論に過ぎないのであり、また趣味の問題にしか過ぎないのである。
最終的な淘汰はprivate intelligence agencyの場合、マーケットが行ってくれる。収集される分析の量が乏しく、偏っていたり、あるいは分析結果があまりにも現実とかけ離れている場合には、自ずからマーケットより排除されていく。その意味で、「語ること」「発信すること」が主目的となっている匿名ブログによる場合とは全く異なる(したがって、private intelligence agencyが発信する情報について、「気概がない」とか、「商売っ気」がありすぎるなどといって批判するのは的外れである。なぜなら、そこがまさにいわゆる言論サイトとは異なるのであるから。)。
そして究極においてカスタマー(クライアント)の主観的な“趣味の問題”に帰着する以上、private intelligence agencyはむしろ小回りが利く規模の方が良いのである。企業体として図体がでかくなり、社員が多くなると、それだけプロダクトは匿名性を帯びることになっていく。大量生産・大量消費であればそれでよいのであろうが、結局は「主観性」というか、「分析=物の見方、角度」が勝負となるprivate intelligence agencyである。コンサルティング・ファーム同様、物の見方を等しくする少数精鋭が団結し、そこで搾り出される“アイデア”を売るのがとどのつまりそこでのビジネス・モデルなのであって、いたずらに社員がいれば良いというものではないのである。
クロス・メディア化がかえって市民インテリジェンスを助長する
前回はやや調子にのって(?)「大手メディア、そして広告代理店は消滅する」といった勢いでこのコラムを書いたのだが、現実には全てが全て、一斉に無くなるということはありえない。しかし、昨日発表された有名週刊漫画誌の“コラボレーション”に余りにも明らかな危機感からも分かるとおり、大手メディア、そしてそれを支える広告代理店セクターが危機的状況に無いわけではないのである。
時に規模こそ小さくなるとはいえ残るであろう大手メディアがその“本領”を発揮するのは、マーケティングの観点から見ると、新製品にすぐさま反応する「イノベーター」+「アーリー・アダプター」を超え、「マジョリティ」がその製品を買うようになる段階においてである。前2者と後者の間をブリッジするのが往々にして大手メディアなのであって、メディアに取り上げられることによって、いわゆる”メジャー化する“という現象が起きてくる。
その意味で、やや規模や勢いはそがれるとはいっても、大手メディアに存在意義がないわけではないのだ。むしろ、WEB2.0を念頭においたさまざまなネット上のツールをも巻き込んだ、総合的なメディア戦略=クロス・メディアこそがこの波の中でますます主流になっていくというのが一般的な見解だろう。
単にさまざまなメディアを並べ、そこに商品関連情報を等しく流すという“メディア・ミックス”ではなく、カスタマー(クライアント)の生活リズム・生活空間を前提にあくまでも「自然」な形での各メディアとの接触ストーリーを描いていく“クロス・メディア”。確かに聞こえは大変良いのだが、それは時にあまりにも巧妙でもある。今はやれ「WEB2.0」だなどとえらそうに言っていられても、ふと気づくと自分のブログも含め、大手メディア主導の“クロス・メディア”戦略の一翼を担ってしまっているということになりかねないのもまた事実なのである。
そのため、巧妙化していくメディアを“読み解く”能力が一般市民生活の中で自ずから必要になってくるのではないだろうか。今まで当たり前と思っていたストーリーや情報も、蓋を開けると実はクロス・メディアの罠そのものだったということになりかねないのである。クロス・メディアが作り上げる空間にひたることは、それはそれで楽しいこともあるだろうが、いわばメディアに囲まれてしまう分、その呪縛から逃れることもまた難しい。したがって、本当に“自由”な存在でありたいと思うのであれば、今こそ情報リテラシーが求められているというべきなのである。
IISIAでは、2008年になってから、フツーの人が「情報リテラシー」を持ち合わせるべきだという主張をこめて、“市民インテリジェンス(civil intelligence)のススメ”を説いてきている。ここでいう“市民”とは、いわゆる“プロ市民”のことではない。適当な日本語がないので便宜上用いているだけであり、要するに「フツーの人が情報収集・分析能力を持つべきだ」ということである。インターネット化が加速度的に2009年に向けて進み、その中で駆逐されそうになる大手メディアが逆にクロス・メディア化を進める中で私たち=フツーの日本人の生活空間そのものが囲まれてしまう危険性があるからこそ、“市民インテリジェンス”は必要なのだと思う。
そうした流れの中で、営利企業としてのprivate intelligence agencyはその利益の一部を共同体の再生に向けた社会貢献のために用いるのならば、“市民インテリジェンス”の普及を後押しすべきだというのが私の考えである。これまで世界で存立してきたprivate intelligence agencyはその業務形態や分析結果などから見て、たぶんに各国の情報工作機関のアウトソーサー、あるいは「天下り先」という感じがする。しかし、それにとらわれることなく日本のprivate intelligence agencyは独自の道、すなわち社会貢献をも包摂する存在であっても良いのではないかと思う。
・・・・以上が現状分析と私なりの経営理念(らしきもの)の一部である。
道のりは遠く、またIISIAはまだまだ小さい。
だが、既存の秩序に対する知的挑戦者であるからこそ、日々得られるものが大きいこともまた事実である。
引き続き、日本初のprivate intelligence agencyとして邁進していきたいと思うので、どうぞよろしくお願いいたします。
2009年3月19日
東京都・国立市にて
原田武夫記

(m.o.v.e "destiny")
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所コーポレート・サイト
原田武夫.com
『教科書やニュースではわからない 最もリアルなアメリカ入門』
『アメリカ秘密公電漏洩事件 ウィキリークスという対日最終戦争』
『脱アメリカ時代のプリンシプル』
『世界通貨戦争後の支配者たち』
『狙われた日華の金塊――ドル崩壊という罠』
計画破産国家アメリカの罠 そして世界の救世主となる日本
『大転換の時代――10年後に笑う日本人が今すべきこと』
『北朝鮮VS.アメリカ――「偽米ドル」事件と大国のパワー・ゲーム』
『仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理』
『「日本叩き」を封殺せよ〜情報官僚・伊東巳代治のメディア戦略』
『騙すアメリカ 騙される日本』







