だが、繰り返しになるが、この「必勝パターン」はもはや“必勝”ではなくなったのである。なぜならば総額20兆円近くもかかると一部には言われ始めている「復興」こそが今の政策目標である以上、もはや無駄遣いも、歳出削減もへったくれもないのである。大好きな「花見」すら自粛と言われれば自粛してしまうおとなしい我が国国民のことである。「復興」といわれれば「復興」に狂奔するのは目に見えているのであって、その内、”Everything like 『復興』 is right."となるのは目に見えているのだ。
●「地上波デジタル放送」への強制転換に伴うテレビ・メディアの低落を筆頭に、大手メディアはもはや瀕死の状態にある。そもそも、リアルタイムで「思考の糧」としての情報を得るために人々が接しようとするメディアであるのにもかかわらず、所詮は一民間企業に過ぎず、その意味で特定のポジションからの情報提供をするに過ぎない大手メディアたちは、徐々に視聴者・購読者を失っていくことになる。なぜなら、大手メディアにそうした役割は期待できず、そうである以上、大手メディアに接することは「時間の無駄(waste of time)」だからだ。
(特に雑誌メディアの低落ぶりは既にすさまじいものがある。某有名雑誌は、編集長が年俸2000万円台を維持している一方で、昨年だけで10億円を超える赤字を編集部単独で抱える(!)に至ったのだと聞く。賢明なる読者は、“赤字なのになぜ高給取りなのか”という単純な算数の問題をまずは考えてみるべきなのだろう。そこには“当座はキャッシュを出してくれる、社外のビック・ブラザーの姿”が見え隠れする気はしないだろうか。)
“That government is best which governs least”, as the motto goes. Fifteen years ago, much of the discussion of government shared this presumption in favor of smaller government and freer markets. Its policy conclusions are captured in the phrase; “Stabilize, privatize, and liberalize.”
While there is some merit what lies behind this prescription, it is an extremely incomplete statement of the problem.” (P. 30)
かつて90年代後半に米国政府の財務長官をつとめ、ワシントン・コンセンサスの旗振り役でもあったRobert Rubinすら参画しているこの委員会による報告書はさらに、必要なのは「小さな政府」ではなく「効果的な政府(effective government)」であるとし、それは結局のところそこにより集う個人の才能(talent)である以上、「ふさわしい人材を集めることが先決だ(Recruiting the right people is a start.)」と断言する(P. 66)。このようにして、米国が書いた画一的な処方箋から解放され、優秀な人材という“頭脳”を抱えた政府を筆頭とする形で、世界の国々は米国によるクビキから解き放たれる。―――つまりこの意味で世界はまず、“分散化”するのである。